その4

はみ出しちゃった音符。

芝崎
「生活のたのしみ展」で買えるのは、
基本的には大量生産品ではないものばかり、
でしょうか。
糸井
「ほぼ日」を始めてわりと早い頃から、
大量生産品と一点モノの
芸術‥‥アートと呼ばれるもののあいだに、
ものすごくいっぱいいろんなものがある、
という話を何度も書いているんです。
一時、フランスのカフェで使うような割れにくいグラス、
デュラレックスが流行ったときも、
高級品ではないのだけれど、あれを使うことで、
いままでのぼくらのコップの価値観が再編成されました。
そういうものは、大量生産品でも
「どうぞいらっしゃい」という気持ちはあります。
それをずっとぼくらは扱ってきていると思うんですよね。
今回だと「モンベル」にはぼくが使っている雨具があって、
それを人は大量生産品と思っているかもしれないけれど、
これはやっぱりすごいもので、
そういうものは入れたいんです。
芝崎
機械で作ったからダメということではないんですね。
糸井
そういうことではないですね。
そのあたりが柔らかくやれるのが、
「ほぼ日」がいままでやってきたことの良さです。
硬くなると、やっぱり、苦しいんですよね。
芝崎
じゃ、手づくりかどうか、
1点ものかどうかというふうに
きちっと線を引いてるわけではなく、
いわば同じ方向を向いてるものが
集まってくるということですね。
作り手や集める人が見えていて、
そういう人が見えているってことは、
嘘がつけないだろうなと思います。
糸井
そうですね。生態系が同じ、という気がしますね。
川の生き物もあるし、海の生き物もあるし、
森の生き物もあるんだけれど、
その循環において、互いをわかり合っている、
そんな気がしますね。
芝崎
糸井さんはスタッフのみなさんに
「あまりまとめないように」
とおっしゃったと聞きました。
ばらつきがあったほうがいい、
整い過ぎてるとよくないと。
私は雑誌では「整える」という特集を
作っているんですけども(笑)‥‥。
糸井
(笑)
芝崎
ただ「整える」も、
近ごろはミニマリスト的な志向が流行り、
何でも捨ててしまおうという流れがあって、
そこまで行っちゃうとどうも、と思うんです。
糸井
それはやっぱりオシャレだし、
もっとほかにやることのある人が考えるべきことですよね。
「整える」っていうテーマのまま、
デコボコを眺めるっていうのが「たのしい」んです。
芝崎
そうですね。その人のルールがあって、
こういうふうに自分の好きなモノを並べたら、
モノがたくさんあっても気持ちよく過ごせるよね、
っていうのが「整っている」ということであって、
モノが少ないとか、整然と並んでるってことで
ないと思うんです。
糸井
どんどん突き詰めて行ってしまうんですよね。
最初は「これをやっているから安心」なんだけど、
なかには自分を苦しくするほど追いつめる人もいます。
ぼくらは逆ですよね。
「音楽にだって小節の区切りがあるだろ?」
ということなんですよ。
小節線ですね。
4拍子なら4拍子で、
そこからはみ出しちゃった音符を
なんとかするように、音楽ってできている。
そのリズムが壊れると音楽にならないから。
だから小節線というのは生活において
「整える」ってこととイコールじゃないかなぁ。
こどもに「遅刻するな」だとか「時間守れ」だとか
「だらしない」って強く言うつもりはないんだけど、
「音楽にも小節線があるんだぞ」とは言えますよね。
芝崎
「はみ出しちゃった音符」は、
生活のなかにちょっとだけ入る異質なものですね。
それがあるほうがむしろ「整っている」と感じますし、
「たのしい」ですね。
糸井
そうだと思います。
要らないって言っちゃうと、
そいつが持ってきてくれた面白いお話が
聞けなくなっちゃう。
例えばいま、急にうちの会社に
ブラジル人が入ったとします。
日本語では通じなくても、
一緒にご飯食べてるときに、
「ほう!」とかって向こうが感心したことがあれば
それはぼくらにとっても素晴らしい情報で、
「ブラジルから見たらそんな驚くんだ!」
っていうのは、「プレゼント」なんですよね。
違和感がアイディアのすべての源です。
それがないと、ただの趣味のいい
自慢のし合いになっちゃう。
「高級」で済んじゃうんですよ。
昔の時代は、お金持ちの人は
高級なものを持ってたんですよ。
いまのぼくらの価値観だと
高級でも要らないものがあるってことなんです。
芝崎
「ちょっと違和感があるものがいいですね」
って糸井さんがおっしゃると、
皆さん、そっちをやりたがらないですか。
糸井
それは多分大丈夫だと思います。
なぜなら、みんなも若くないから(笑)。
「生活のたのしみ展」は大人の集まりですから(笑)、
ワガママ放題にならないだろうと思いますよ。
大人のやんちゃは、けっこう使い途があるんです。
だからこれから「生活のたのしみ展」を続けていって、
若い子に入ってほしいってときには、
多分よく話し合いをして、
どういうものを求めているのか、
そうとうしつこく面接をすると思います。
「ほぼ日手帳」の外部デザイナーを
決めるときと似ているんですよ。
手帳は1年付き合うものだから、
「使いにくいけどステキ」っていうのはダメだとか、
アーティストの良さを殺さないようにしながら、
そのやりとりをしていくんです。
芝崎
皆さん、いい塩梅で
「ちょっとだけ外してくる」ような感じもしますね。
糸井
そうですね(笑)。大いに外したら、
それはちゃんと笑い合えばいいんです。
この人たちには「いい意味で失敗すると思うけどね」って、
いまからもう言おうかと思います。
おそらく稼がない人も出てくると思いますよ。
もちろん稼がないことを目的にするわけじゃないんだけど、
「あ、これは通じないんだ」とかね、
山ほど出てくると思うんです。

だからと言って稼ぐことだけを目的にして
「落ち着き」をなくしたらうまくいかないと思うんです。
世の中には落ち着きさえすればうまくいくことが、
山ほどあるんですよね。
落ち着いてなかったからうまくいかなかったんだな、
ってことは、自分も振り返れば山ほどあります。
いまは「誰よりも、早くやれ!」ばかり聞こえてくるから、
みんなが共倒れしてしまう。
芝崎
その「早さ」の逆を行く感じが
「生活のたのしみ展」にあるように感じます。
作ること自体大変だろうな、
時間がかかるんだろうなというもののほうが、
同じ機能があったとしても、
使っていて嬉しいんですよね。

(つづきます)