その2

ぼくの理想のお通夜。

芝崎
「生活のたのしみ展」の予告のページに
「商店街をつくります」とありました。
たしかに商店街には、
自分で作ったものを売ってるお店もありますし、
仕入れてきたり、セレクトしたり、
そういうお店がありますね。
糸井
似ていますよね。
福引をやる場所があったりね。
あれは、商店街ならではですよね。
芝崎
今回、出展する方たちというのは、
糸井さんのほうから声をかけたということですね。
糸井
そうですね。まだ1回もやってないんで、
ひとりずつ口説いていくところから。
──
口説いた覚えは、あまりチームにはなくて、
「生活のたのしみ展」というタイトルで
すっとわかってもらえたように思います。
芝崎
やっぱりそうなんですね。
タイトルを言って中身がわかるというのが
いちばんいいって、
雑誌を作りながら、いつも思うことなんです。
いつもそこで苦しんでるんですけど‥‥。
いろんな人の企画書をいただくときも、
タイトルだけでわかるのが、
いちばん伝わってるなと思います。

私も「『生活のたのしみ展』というのをやるんですよ」
と聞き、すぐにピンと来たというのは、
きっとすごくいいタイトルだからだと思うんです。
このラインナップを見ると、
皆さん、ばらつきがあるんですけど、
感じていることが似ている、
芯のところが一致してるのかなと思いました。
糸井
何でしょうかね。
それはやっぱり生活をたのしみたい、
ということが一致してるんでしょうか。
芝崎
糸井さんは、「生活をたのしむ」って、
どういうことだと思われますか?
糸井
ものすごく煎じ詰めて言うと、人は、
オギャーと生まれて死ぬまでしか時間がありません。
やれることもそのなかでしかないんです。
「生きていること」しか。
そして「なんでオギャーと生まれたの?」ということは、
だれもが、若いときから年取るまで、
ずーっと、わからないですよね。
大人になると、そんなことを考えたくなくなったりもする。
でも「生まれてよかったんだろうか」と言わなくても、
案外、実はみんな1人になると、忙しいときはとくに、
「これ、何のためにやってるのかな?」って、
逆説の質問として考えたりします。
さらにぐるっと回って、
「ああ、生まれてよかった!」なんて言ったりもする。
そうやってネガフィルムみたいに反転しながら、
「生まれてよかったのか悪かったのか」って考えながら、
いちばん長い時間は、食って寝て恋して、
というようなことです。
そのどこを強調するかで
雑誌の種類が変わるんですけど(笑)。

じゃあ素晴らしい人生って何か、と言うと、
あとから「あの人はこういう業績があって」なんてことは
どうでもいいわけで、それよりも近くにいる人が
「あの人はたのしそうだったね」とか、
「いい人だったね」と言ってくれるところに
いちばんの広々と豊かなベースがあったら、
無名であろうが、人にちょっと笑われていようが、
素晴らしい人生だと思うんですよ。
ぼくは、そのことについて、
ずーっとキャンペーンをやってるような気がするんです、
広告を仕事にしていた時代から。
芝崎
はい。
糸井
「なんでもない日、おめでとう。」っていう言葉も
ほぼ日でよく使ってきましたけれど、それは
「なんでもない人、最高だね」という意味でもあるし、
なんでもない日でも、
やっぱりその日があってよかったと思えるのは、
「なんでもある日が素晴らしい」ということよりも
もっと素晴らしいわけです。
‥‥あ、そうだ、マガジンハウスも以前は
「平凡出版」ですからね。
平凡の「平」と「凡」って字は、
いま考えてもずいぶんとかわいらしいですよね。
芝崎
そうですね(笑)。
糸井
なんでもない日が素晴らしいんだってことを、
声高にじゃなく、
自分自身に向けて言われたいんです、ぼく。
街を歩いてる子どもから、どこかの偉い人からも、
「たのしそうだね」って言われるのが、
ぼくの仕事のような気がするんですよ。
芝崎
糸井さん、以前、コラムで、死ぬときには
「ああ、面白かった!」って言って死にたいって、
書いておられましたね。
糸井
そうなんです。ぼくを肴にして、
友達同士が集まって食ったり飲んだりして、
「もともとなんで来たんだっけ?」
ってわかんなくなっちゃうぐらいになって、
夜中になったら「1回俺、家帰ってまた来るよ」とか、
そういうお通夜をやりたいんです。
3日ぐらい続けて、
いつ終わるかわかんないっていう時間のなかで、
「子ども寝かしつけてからもう1回来るわ」なんて、
そうやって亡くなった人の思い出を語るお通夜を。
ほんとうは自分がいちばん参加したいんだけれど、
自分は見られないわけ。
それだけ言わせるほどの面白かった人として死にたい。
「あの人は偉かったですね」なんてお通夜だったら、
すぐ終わっちゃうじゃない?
芝崎
(笑)そのお通夜のためにいま生きてるんですか。
糸井
そうです、そうです。本当にそうです。
そこが決まったのでラクになりました。
芝崎
世の中のいろんなところで、
幸福論みたいなことが話されていて、みんなが
「幸福って何だろう」みたいなことを考えてるのと、
糸井さんたちが「生活のたのしみって何だろう」と
考えてることは、ちょっと似ているように思います。
今回「生活のたのしみ展」に出展なさる方々は、
作ったり、集めたりするなかで、
そのモノをどういうふうに使うと
幸せなのかとか、
面白いだろうかとか、
そういうことを考えて作ってらっしゃる方が
自然に集まったという印象です。
糸井
そうですね。『&Premium』には、たとえば
お掃除している伊藤まさこさんが登場していますよね。
まさこさんって、掃除の最中にも、
ちょっとニンマリしてそうじゃないですか。
あのニンマリは何なんだろう? って思うんですよ。
「掃除をしなきゃ‥‥!」じゃなくて、
掃除そのものにたのしみが入っている。
「何のために」じゃなくて、それ自体がたのしい。
つまり、人生そのものもニンマリしていられれば
いちばんいいわけで、
ぼくはそれを感じ取れる人たちと
集まりたいんでしょうね、きっとね。

フードスタイリストの飯島奈美さんも、
おいしいものを作ったとき、
ちょっと悪だくみな顔をするんですよね。
「ふふふ、これ、おいしいですよ」って(笑)。
芝崎
(笑)
糸井
コンサートでのミュージシャンも、
ギター弾きながら前に出てくるとき、
絶対に「ちょっと悪い顔」してますよね。
ああいうことがいちばんみんなたのしい。
その悪い顔に共感して、お客さんもいるわけです。

「生活のたのしみ」に「展」が付いたことで、
小さく見栄が張れるのも、またいいんです。
出展者のかたがたにも、
「え、飯島さんがそんなことを? 負けてられない!」
みたいな、遊びで競争するっていう要素も、
ここにはちょっとだけあるような気がします。
芝崎
なるほど。

(つづきます)