第14回 学校がイヤになって
当時の若者は今の子より根性があった、
というのはウソですよね?
ないない。根性、ないです。
(笑)
そこは、ちゃんと、
歴史として伝えておくべきだと思うんです。
根性なんか、まるでなかった。
今の子どもよりも、
「考えていない」ということはありますね。
なんにも、考えてなかった。

ともだちの下宿に何日間か泊まり歩いていて、
着るものも、ない。

洗濯しているあいだ、
たまたま、地方の社長の子で、裕福だった
白井ってヤツのところにいたことがあった。

「着るものないんだけど、
 おまえ、背、高いからなぁ」

「東京に出てくるときに、
 おふくろが、着物をつくってくれたけど」

しょうがないから
そいつの羽織を着て学校にいくと……

「オマエ、また、きどってきて!」

「ちがう! ないから、借りてんだ!」
 
「キザ! キザ!」

「いや、ちがうちがう」

「お師匠さん! お師匠さん!」
(笑)
それがまた、キレイな着物だったんですよ。
学部はなんでしたか?
文学部です。
文学をしたおぼえは?
‥‥まったく、ないですね。
(笑)

どのぐらい、通いましたか?
1年半ぐらいですね。
そのへんは、ぼくもおなじです。
一年半は、けっこう
授業もちゃんと出ていましたよ。
だけど、大学紛争になるんです。
それで、大学に、はいれないし、
しょっちゅう、デモがおこなわれている‥‥。
クラスにいけば革マルと民青が争って大激論。

なんだろう、これは?

「革マルに、はいらないか」

「そういうつもりは、ない」

「‥‥きみはノンポリだ。もっと、思想的になれよ」

そう言われて、そのときはほんとに落ちこみました。
当時、
あらゆる意味で、落ちこんでいますよね。
「オレって、せめられたらよわいんだ」
と、気づくんですよね。
そうです。
せめられたら、ものすごくよわい……。
中核にとりかこまれたときは
殺されるかと思ったもん。

ちょっと批判的なことを言うと、
ウワーッと集まってきて。
そんなこんなで
学校にいくのがイヤになってきました。

ちょうどそのとき、クラブ(ジャズ研)も
いそがしくなってきていました。
クラブの連絡帳には

「オレも学生運動をはじめた。
 射精同解放派
 (※社青同解放派という左翼系の集団のもじり)
 という派閥をつくった」

「しゃせい」の字がちがうんですよ。
それで、先輩から呼びだされて……。

「バカか、オマエは!
 連絡帳にいちいち書くことか?」
(笑)
明日に、続きます
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2007-01-11-THU

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN