タモリ先生の午後2006。
去年と今年と、昭和と平成。
第9回 わからないまま、つながった
タモリさんの一族は、
九州にどう帰ってきたんですか。
うちのばあさんというのは
これがだいたい信心深い人で、
仏教に凝ったかと思うと、
神道に凝ったらしいんですよ。
(笑)
ものすごく気の強い人で、ある日、
「神のお告げがあった!」
と言ったらしいんです。

「ここには火の柱が立つから、
 私は日本に帰る!」

昭和12年か昭和13年に、
そんなことを言ったらしいんですね。

「そんなことは、ないから……」
「それならいい、私だけは帰る!」

しょうがないから、
うちの一家だけ、
日本に帰ってきたんです。

他の一族は、
ほとんど満州に残ったままなのに。

結果的には、
うちの一族だけが
無傷で帰ってこられたんですね。
財産もぜんぶ現地で処分したから、
お金も持って帰ってこられた、という。
それじゃ、やっぱり
「明るい大地の子」ですね。

かせぐだけかせいで、
「シャリアピンステーキ」は食べられて。
(笑)「シャリアピンステーキ」は、ね?
それから、ラ・フランスも食べて。
戦争という
それだけの大きな断絶があるなら、
昭和に謎や闇が出てくるのは
当然ですよね。
そう。

だから
親戚の話はぜんぜんわからなかったんです。

熊岳城だの、
大石城だの、
旅順だの、鞍山だの……

後になって、
地名をあとで地図でながめるまでは、
音だけでは、会話の内容が
何にもわからないんですから。
タモリさんは、
大陸では暮らしていないんですよね。
行ったことないですね。
お母さんが、向こうを
「ふるさとだ」と思っているんなら、
タモリさんは、日本にいる日本人だけど、
「日本2世」というか、
不思議なところがありますね。
おふくろ、同窓会は、
ちゃんと、ずっとやってるみたいですよ。

知りあいと飲んでいて、このあいだ、
たまたま、じいさんの話になったんです。

「じいさん、何やってんの?」
「うちは、満鉄の駅長だった」

「え、うちもだよ? どこ?
「牡丹江」
「あぁ、牡丹江なの!」

行ったこともないのに、
地名だけは頭に入っていますから。

「うちは最後は熊岳城だったよ」と。

その人は、
その人のばあさんに電話して、
ぼくは、うちのおふくろに電話して、
その場で、おたがいにいた場所を
確かめてみたんだけど……。

「その人の
 じいさんが住んでいた裏の池で、
 うちのおふくろが、
 スピードスケートの練習をやっていた」
ということが判明した。
(笑)あはははは。
おふくろが言うには、
「あぁ、ハガミガ池でしょ!」
こっちには
わけがわからないまま、
電話を経由して、
接点が見つかって……。
 
 
明日に、続きます

2006-01-25-WED