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ポジション・トークに
気をつけて。
武田徹さんに、
「報道」への考えを訊きました。

3 「ナマ=現場」ではない

前回の予告にひきつづき、
きょうは、武田さんのひとつの発言を、ご紹介します。

「インターネットをはじめとする、
 いままでメインとされていなかったメディアの台頭と、
 情報の消費のされかたについて、どう思いますか?」


そう、聞いてみたところ、
次のようなコメントを、いただきましたよー。

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「アメリカのエスタブリッシュなメディアへの
 不信感というものが、ありますよね?
 もちろん、そういったメディアはイラクの戦場にも
 ある程度行っていると思うんですけど、
 日本のテレビで放送するものは、
 そういうものから取った映像が多いわけでしょう。

 1回できてしまった、
 そういうメジャーなメディアに対する不信感というのは、
 ぬぐいがたいでしょうから、
 インターネットをはじめとする、それ以外の、
 オルタナティブメディアに行ってしまった気持ちが、
 完全にもどるということはないと思います。

 ただ、オルタナティブメディアの情報量の多さって、
 決して、すべてよいことではないんですよね。
 一面では、情報源が増えたとも言えるけれど、
 諸手をあげていいということではないというか・・・。
 そのあたりに、問題意識みたいなものを、
 持たなければならない時期が来ていると思うんです。

 いま、日本人でも、英語のできる人は、
 それこそ、兵士の村の記録から含めて見て、
 本人としては、
 『マスメディアに
  伝えられていない情報を俺は知ってる』
 と感じているのかもしれないけれど、
 それは、危険なところがありまして。

 インターネット固有のあいまいさ、
 誰がどこでどう発信しているか、
 そういった情報が入ってこないのに、
 内容がストレートにナマのまま伝わってしまいますよね。
 
 その情報の内容はナマかもしれないけど、

 ナマであるということは、
 かならずしも
 『現場に近い』ということではない。

 もしかしたら、核心から離れた遠くのものが、
 ナマの情報のように見えているかもしれません。
 
 現地から直に送られたものほど、
 『今、核心のリアルな情報に触れているんだ』
 という幻想を、ふくらませる危険性があるんだけれども、
 あいまいさが払拭できない情報ですよね。
 そういう情報を獲得するために、

 人がどんどん集まっていってしまうと、
 報道は、そういう質のものだけに
 なってしまう危険性がある。

 
 マスメディアに不信感が生まれ、
 オルタナティブなメディアまで視野に入れているのは、
 ある種、メディアの成熟ではあるんですけど、
 だからといって、問題解決に至っているのかというと、
 逆に違う方向に行っているようなイメージがあるんです。

 ディーバー・システムというのは、
 情報を氾濫させることによって、
 見せたくないものを見せなくさせるという、
 意識的な情報操作のメカニズムのことですけれども、
 オルタナティブメディアがさかんな今は、
 それが、意識的じゃない方向で、進んでしまう・・・。
 
 オルタナティブメディアも含めた
 情報量の多さのなかで、
 見えなくなっているものが、確かにあります。
 イラクがどうだとか、アメリカがどうだとか、
 ブッシュがどうだとか、
 そういう主語のある情報が、いまは多いですよね。
 ただ、
主語も固有名詞もない中に存在するものこそ、
 ぼくは「戦争の本質」だと思うのですが、
 そこを語る視点が、情報の氾濫の中で、どんどん
 隠されていってしまうような気がするんですよ。

 ベトナム戦争の時の開高健の書いたものや、
 コッポラの『地獄の黙示録』のように、戦争そのものを
 見つめることが、報道から奪われているという」


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このあと、武田さんは、
「戦争報道をする時に、ある方向を見つめてしまうと、
 どうしても、無益なことになってしまうのではないか」

ということについて、話してくれたんですが、
その話は、また、次回に、おとどけいたしましょう・・・。


(つづく)

2003-04-09-WED

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