HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN × ORIX Buffaloes
		野球の人・田口壮の新章 はじめての二軍監督
16 他者を思いやる気持ち

熱戦の甲子園も閉幕し、
ルーティーンのようにさまざまな番組をはしごしていた、
高校球児のチェックも終了です。
職業柄、観戦モードがスカウト目線になってしまうのは
致し方のないところでしょう。
(ええ動きしとんなあ)
(これからもっとよくなりそうな感じやなあ)
しかしチェックポイントは技術面だけではありません。
僕が特に気にするのは、この子は、親や周りの人たちに、
どんなふうに育てられてきたんやろう、ということ。

すべての出場選手が、すべての時間を野球に注いで、
甲子園の土を踏んでいます。
けれど、選手の将来を左右するものは、
努力の量ばかりではありません。
野球の技術や才能と同じくらい、
時としてそれ以上に必要とされるものが、
「他者を思いやる気持ち」です。

「プロは力がすべての世界」
という言葉はある意味真実ですが、
ある部分では違います。
社会に出て仕事をする以上、
上下関係や周囲に対しての思いやりや
気配りは必須でしょうが、
プロ野球の世界では、
力さえあれば何をやっても許される、
と誤解されることがあるのです。

そのため、
(この子を将来プロにしたい)と願う親や関係者の中には、
野球さえできればいい、と、
人間性や社会性の形成を置き去りにして、
野球以外の苦労を本人にさせない極端な例もあって、
結果として生まれた
「野球の上手なお殿様」が
プロに入ってくることがままあります。
これは、どのチームにも起こりうる現象です。

「この子は特別」として蝶よ花よと育てられ、
うるさい家老もいなかった殿は、
心優しく決して人柄が悪いわけではないのですが、
常にまわりが自分に気を遣ってくれていたので、
周囲のことを考える、という能力に欠けています。
目上やチームメイトの感情をくみ取れなかったり、
自分本位な行動を悪気なく取ってしまいます。
そんな姿がチームに悪影響を及ぼし、
いつしか監督・コーチから疎んじられるようになると、
出場機会が減ってしまってもおかしくありません。
けれどそれまで誰一人
厳しいことを言ってくれなかったから、
殿はなぜ自分がかわいがってもらえないのか理解もできず、
したがって反省もできません。

「なぜじゃ」
殿は悩みます。
「なぜ余はこのように素晴らしい選手でありながら、
 硬い椅子にずっと座らせられねばならぬのじゃ。
 たれか座布団をもてい!」
とは言わんやろうが、気分的にはそんなものでしょう。

性格の善し悪しではない。媚びろというわけでもない。
ただ、集団の中でいかにまわりに目配りをできるか、
という部分が、プロの世界ではかなり重要になってきます。
周りを見られるということは、走攻守においても、
状況をきちんと把握できる能力につながっています。

甲子園は、ある意味野球エリートの集まりですが、
いざプロ入りした時に、
「自分は特別だからいいんだ」という
植え付けられた勘違いが足枷になることもあります。
それだけに、親をはじめ、自分にとって耳の痛い言葉を
きちんと伝えてくれる誰かと出会えるかどうか、
その言葉を素直に受け入れることができるかどうかで、
若い選手の置かれる環境、
与えられるチャンスは変わってくるものです。

ほんの少しの気配りができなかったために、
己の力を出す場所を思うように得られないとしたら、
それは本当にもったいないとしか言えませんし、
同時にチームプレーとはいかに
他者を思いやる競技であるかと
再認識させられはしないでしょうか。

甲子園を見ながら、そんなことをふと思っていた僕。
我が家の殿もいまのうちどうにかせんとアカンなあ‥‥。




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