SWITCHとあそぼう(1)新井敏記×糸井重里 対談「SWITCH」がいる理由。
ほぼ日刊イトイ新聞

第4回
「一銭ももらってないけど、名刺もないんですけど」

糸井
新井さんとは、よくいままで会わずに来たなぁ。
新井
そうですね。
糸井さんが傾倒している吉本(隆明)さんのことも、
ぼくは「Coyote」で特集してるんです。
糸井
あの、杖ついてる表紙の号ですよね。
あの写真は、どなたが撮影されたんでしたっけ。
新井
ホンマタカシさんです。
糸井さんは言われるように
吉本さんは、インタビューすると、お話が長いです。
一所懸命しゃべってくださる。
それをどう編集するかというところで、
やっぱり「ほぼ日」を見ましたよ。
インタビュアーとしての糸井さんのすごみがわかる作品です。

同じように、糸井さんが構成編集した
矢沢永吉さんの『成りあがり』は、
「こういう編集の仕方があるのか」と驚きました。
ぼくは、どちらかというと海外のロック、
ボブ・ディランやCSN&Yや
レッド・ツェッペリンとかを通って来ちゃったので、
矢沢さんには通過してきていなかった。
日本の音楽は「はっぴいえんど」や
「はちみつぱい」とかです。
糸井
そっちだったら、
「矢沢」には行かないんだね。
新井
ええ、おそらくあまり行かないです。
糸井
でも、ぼくはそこを、
グゥーっとハンドル切りまして(笑)。
新井
ええ、あの『成りあがり』の‥‥いわば、
本の軽さといったらいいのか‥‥。
装丁を含めてショックでした。
糸井
あれはもう、知らないから、
あんなことしたんですよ。
ぼくは本なんか作ったことなかったから。
新井
あ、そうか。
あれがはじめてだったんですか。
糸井
それまでインタビューの
真似事をしたことはありましたよ。
宇崎竜童さんの取材に行ったことがあるんです。
いやぁ~新井さん、
いいこと訊いてくれました。
思い出しました(笑)。
新井
(笑)
糸井
それこそさっきの片岡義男さんにつながる話ですが、
雑誌「ローリングストーンジャパン」に
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのレポートを
取材して、書いたことがあるんです。
新井
へえぇ。
糸井
『ジャニス ブルースに死す』という
デイヴィッド・ドルトンの本がありますよね?
あれはジャニス・ジョプリンのツアーに
著者がついていってまとめたものです。
そんなのがアメリカではいっぱい出てました。
「なんてカッコいいんだ!」
「ぼくもああいうことしたいなぁ」
と思ったわけです。
新井
まさしくぼくも同じです。
糸井
ね? 音楽の仲間にはなれないけど、
そばにいて「それはいいな」と自分が感じたものを
みんなに伝えることが
やりたくてしょうがなかったんです。

で、当時湯村輝彦さんのところに
「ローリングストーン」の営業の人が来てました。
その人に「ああいうことをやりたいんだけど」
と言ってみたら、
「いいですよ。ただしお金がないんです」
と言われました。
じゃ、全部自前だったらやらせてくれるのかな?
と訊いたら、「ええ」と言う。
新井
すごいですね。
糸井
「じゃあ、やりたい」と答えました。
もちろん矢沢永吉さんのキャロルにも
興味はあったんだけど、
宇崎竜童さんのダウン・タウン・ブギウギ・バンドは
ああいうバンドでは当時めずらしく、
テレビの取材をへっちゃらで受けてる人たちでした。
いわばブラウン管の中にいる
不良っぽい人気バンドです。
テレビの外に出た彼らが実際に
「何を考えてて、どうおもしろいか」
を知りたかったんです。

「取材費タダならどうぞ」「わかりました」で、
まずは彼らがどこでライブをしているのかを
調べることにしました。
当時はネットもコネもないんで、
それこそ「明星」とか、雑誌を買って調べました。
沖縄で2日間の公演があることがわかって、
「そこなら会えるな」と思って飛行機に乗りました。
でも、具体的な会場の場所はよくわからなかった。

空港からすぐにタクシーに乗って
「ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが
どっかでコンサートやるらしいんだけど」
と運転手さんに言ったら
「だったらあそこかなぁ」なんて、
もうほんとに、街の人に
取材するとこからはじめて(笑)。
新井
いいですねぇ。ニュージャーナリズムですね。
糸井
そのときすでに、ぼくの『ジャニス』は
はじまっていたんです。
舞台は沖縄。
日本に返還されて間もない状況でした。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが
どこに泊まってるのか、
推理ゲームのように考えるところからのスタートです。

きっとここだろうとあてこんで、
ホテルのフロントで
「ここにダウンタウン泊まってますか?」
と訊いたら、正解でした。一発で当てたんです。
新井
へぇぇ!
糸井
「よーし!」と思いまして(笑)、
ぼくもそこに部屋をとって、
「すいません、宇崎さんのところに
この手紙を置いといてください」
と、ホテルのキーボックスに
手紙を置いてもらって、部屋で待ちました。
宇崎さんがいつその手紙を受け取るかも、
いつ部屋に連絡くれるかも、わかんないからね。
そしたら、夜、
コーラをぶらさげたアロハシャツのお兄さんが、
コンコンとノックしてやって来ました。
「宇崎です」
と、その人は言いました。

ぼくは宇崎さんに、
これこれこういうわけで、一銭ももらってないけど、
名刺もないんですけど、
「ローリングストーン」の仕事なんです、と
説明しました。
で、東京で急きょ買った
テープレコーダーを取り出して。
新井
はははは。
糸井
テープレコーダー買って、飛行機の予約して、
タクシー乗ってホテル探してきました、
という話をしたら
そういうタイプの取材はないから、
宇崎さんはおもしろがって、
ほんとうに一所懸命しゃべってくれました。
新井
そのとき糸井さんがホテルに預けた手紙が
よかったんじゃないですか?
見ず知らずの人だし、
変な奴だと思ったら、その先はないでしょうから。
糸井
手紙はべつにたいしたことないです。
おそらく「ローリングストーン」という言葉が
きいてたんだと思います。
新井
なるほど。
糸井
雑誌の「ローリングストーン」の取材で、
あてずっぽうでここに来ました、
みたいな内容だったと思います。
だけど、それはやっぱりおもしろかったんでしょう。
ぼくが宇崎さんでも
「どんな奴かな」って思うだろうから。
新井
顔を見たいですよね。
糸井
うん。だから、手紙には
最低限のことしか書いてなかったと思います。
新井
でもそこには、なにかがあったと思うな。
おもしろいし、緊張してるし、
よくわからない切迫感もあったでしょうし。
糸井
きっとそうでしょうね。
その夜、宇崎さんは、
「自分のバンドがみんなつなぎを着てるのは、
おそろいの衣装をすぐに仕入れられるからだ」とか
「俺は歯を治したあとがあるから、
マイクにくっついてしゃべるんだ」とか
「顔がいまひとつだから、
サングラスで見えないようにしてる」とか、
いろんな話をしてくれました。
そして翌日、ぼくはステージを観て帰りました。

東京に戻って、テープ起こしして、
トピックを広告の裏にメモして、
原稿用紙に貼りつけていきました。
書いたら長くなっちゃったんで、
「ローリングストーン」に2号にわたって
掲載されました。
新井
ぼく、それ読んでないです。
糸井
読んでなくて当たり前ですよ。
でも当時は「あれは誰が書いたんだ?」と
話題になっていました。
まさか広告屋が書いてるとは思わなかったでしょう。
充分に貧乏で、たのしくてごきげんだった
20代の後半です。
そのあとで、小学館の人が
「糸井さん、キャロルのほうも興味あるよね。
書いてみる気ない?」
と言ってきました。

(第5回につづきます)

 2016-09-14-WED