テレビファン ぼくら、テレビが大好きだから。   鈴木おさむ─────糸井重里
第4回 そいつらが頭を下げるくらいに。
鈴木 1年ぐらいクイズ作家をやったあと、
その女性のディレクターさんが
声をかけてくれました。
「ちゃんとしたチーフの作家になりたいか?」
「はい、もちろんなりたいです」
「でも、若いし、
 文章力はまだまだだから」

そして、こう言われました。
「やる気があるんだったら、来週から、
 放送されないけど台本書いてこい」
 
糸井 え? 放送されないけど?
鈴木 はい。
番組は月〜金で毎日やってましたから、
月、火、水、木、金、
毎日チーフ作家さんがついてました。
そのディレクターからは
「じゃ、水曜日分でね」と言われました。
水曜日の放送分で、
放送はされないけど、
今日から鶴光さんに書くと思って、
どういう台本にするか考えて、
毎週書いてこいって。
それを添削してやるって言うんですよ。
糸井 いい問題ですね。
鈴木 もうね(笑)、それ、
1本書くのに10時間ぐらいかかるんですよ。
何にも知らないですし。
糸井 うん、うん。
鈴木 うまくなると、
2、3時間でできるんですけど、
そのときは何もわからなかったので。

それでも毎週毎週、書いて持って行きました。
すると、その人は、ていねいに
「これがこうだから」と
全部赤入れてくれました。
糸井 すごいなぁ。
 
鈴木 それを無償で、
半年間やってくれたんですよ。

ぼくも、少しでも早く
いい仕事をしたいと思うから、
毎週がむしゃらにやりました。
毎週毎週、半年間見てくださって、
あるとき、
「もう通用するから、
 チーフにしてやる」
と言われました。
糸井 うん、いいねぇ。
鈴木 ぼくをチーフにしてくれるって、
その女性ディレクターが言ったとき、
周りで、
「あいつら、つきあってんの?」
と言う人もいました。
糸井 ああ。
なるほど。
鈴木 つきあってるからやさしくするんだと
思ったらしいんですよね。
だけど、そのディレクターは
こう言ってました。
「つきあってるのか、と言う奴もいる。
 力があると思うから、
 台本を見てきただけだけど、
 これから数か月か1年くらいは
 たぶんそういうふうに言われると思う」
糸井 うん、うん。
鈴木 ぼくはすごく腹立ってたんですけど、
「そう思われるだろう」って、
その人は冷静に言ってました。
「だけど、結果、そいつらが
 すいませんでした、って言うくらいに
 がんばんなさい」
と言ってくれたんです。
あのときのぼくには、
それはもう、でかかったです。
糸井 すごいねぇ。
鈴木 ありがたいと思いました。
糸井 それがなかったら、どうだったと思う?
鈴木 なかったら、ダメだったと思います。
糸井 書けない?
鈴木 はい。
糸井 それは、ほんとに、
占い師のとおりに(笑)、
運命を変えてくれた恩人ですね。
 
鈴木 まったくそうですね。
糸井 23歳かぁ。
それで、「鶴光」だもんねぇ。
鈴木 はい。
そのあと木村(拓哉)くんと
ラジオやったときに、
「おまえの台本って読むのパワーいんだよな」
と言われました。
それは、ありがたい褒め言葉だったと
思っています。
鶴光さんのあの番組で、23歳のオレが、
「鶴光さんになって主婦を笑わそう」と思って、
必死でやらせてもらったからです。
ほかの芸人さん向けの台本だと、
あそこまで書き込まなかったと思います。
「鶴光さんに読ませる台本を作ろう」
と、毎回真剣に思ってましたから。
糸井 木村くんとは同い年?
鈴木 はい、同い年です。
出会ったのはちょうど糸井さんが
深夜番組をなさってたときだと思います。
木村くんがドラマで
「若者のすべて」をやってた頃でしょうか。
糸井 うんうん、あのドラマが
終わったぐらいの頃かなぁ、
木村くん、よく言ってたんですよ、
「若い者同士でやるようなことも、
 俺はどんどんやりたんだ」って。

そのとき、ぼくは木村くんに
「そういう人、いる?」
って訊いたんです。
そしたら、
「ちょっといるんですよ、
 ラジオやってるやつで」
って、鈴木さんのことを言ってたんです。
「ちょっとわかんないけど」
なんてことは言わないで、すぐに
「いるんですよ、
 きっとこれからいっしょにやっていくと思う」
と即答してた。
「いるんですよ」というのは、
なかなか言えないことですよ。
鈴木 もう、17年とか、経つでしょうか。
糸井 うん。
あの人は、
そういうものを見る目というのは、
鈴木 すごいです。
糸井 (笑)
鈴木 やっぱり、
彼はすごいプロデューサー目線を持ってます。
糸井 そうなんですよね。
鈴木 あのときの、あのぼくに
そう思ってくれたということが、まず、
すごいなと思います。
 
  (続きます)
2010-07-30-FRI