ほぼ日刊イトイ新聞 フィンランドのおじさんになる方法。

第52回 “こども”でいれば、いいじゃないか。──アリさんのこと。 武井義明

アリさんは、17年ほど前、40歳になった誕生日に、
いまは亡きお母さんからこんなことを言われたそうです。

「あきらめたわ‥‥あなたが、おとなになるのは」

よくおぼえていないけど──、と、アリさんは言います。
「たぶん、こどものころから変わらないような
 悪ふざけを、母さんの前でしていたんじゃないかなあ」

アリ・タハヴァイネンさん、57歳。
ほんとにいつでも満面の笑顔、
サウナと寒中水泳でつちかった肌はつやっつやで、
見ているだけで、こちらが元気になりそうな人です。
寒中水泳の「しろくまクラブ」に所属、
サウナと寒中水泳が大好きで、
そのサウナ好きがこうじて
「インターナショナル・スモークサウナクラブ」の
フィンランド代表をつとめるほど。
水泳、柔道、キノコ狩り、自転車、ランニング、釣り、
ずっと体をうごかしてきた人生でした。
「とにかく、落ち着きがないのが俺なんだよ」
というアリさんですが、意外にも
出身はヘルシンキのどまんなか、
ハカニエミ市場の近くの、
人口密度の高い地域だといいますから、
かなりのシティ・ボーイです。

アリさんは、所属する寒中水泳の
「しろくまクラブ」で、広報を担当しています。

寒中水泳、というものを、どう伝えたらよいか‥‥
なぜまたあの極寒のフィンランドで、
氷に穴をあけてまで泳ぐんだろう、
ガマン大会? ‥‥って
思われちゃうかもしれないですが、
そういうことでもないんです。
寒中水泳は「健康法」。
血行がよくなって風邪の予防になる、と言われています。
ときに100度を超える高温のサウナから飛び出て、
氷点下の空気をすすみ、氷の湖にとびこむ。
サウナ抜きで、ふつうにさらっと泳ぐひともいますけど、
ともかく「健康のため」なんです。

そして、これは「やってみた」感想なんですけれど、
太陽が出なくって、なんとなくどんよりした気分の冬、
あついサウナから
思い切って凍った湖に飛び込んでみると、
なぜだかわからないけれど、笑いがこみあげてきます。
つよくつよく「生きている」という実感がわく。
全身の皮膚が、ぴりぴりするくらいに刺激されて、
陸に上がったあと、5分くらい、氷点下のなかでも
へいきな感じになっちゃう。
そして、そんなことすべてがたのしくなって、
だんだん、やみつきになってくるんです。

アリさんも言ってました。
「極夜、闇の季節を乗り切るには、
 冬にやることがないとつらいんだ。
 趣味をもつ、クラブに入る、ジムに行く、
 なんでもいいから動いていることが大事だよ。
 誰も家に迎えになんか来てくれないからね、
 自分から出て行くことが大事さ」と。

寒中水泳、サウナと湖の往復は、
5回するといいぞ、と言われました。
そして最後にサウナで終わりにする。
最後にかいた汗は、いい汗なので、
シャワーなどで流さずにおくといいよ、と。
この「寒中水泳で、湖に5往復」を達成したことを、
その後、フィンランド人に話すと、
みんながみんな、大笑いして大喜びしてくれました。
そうか、寒中水泳をやったのか、それも5往復!
いいぞ、いいぞ、と、一気に距離が縮まるのでした。

スモークサウナと寒中水泳を楽しむのが
「しろくまクラブ」なんですが、
こういうクラブって、なかなか入れないんだそうです。
閉鎖的ということではなくて、
欠員が出ないので、新規会員募集がない。
それくらい、みんな、「続ける」ものなんですね。

アリさんに話をもどしましょう。
アリさんの本業は印刷屋さん。
16歳で活版工になり、
その後、印刷工としての人生をおくります。
82年には印刷工場をたちあげ、順調に業績アップ、
86年、社員から株を買いたいという申し出があったときに
会社をまるごと売りました。
その後。印刷機械のセールスの仕事を経て、
95年にドイツのハイデルベルクという印刷の会社に就職、
北欧統括マネージャーにまでなりましたが、
2002年「デンマーク人のボスと、合わなくて」退職。
ちょっと腰をわるくしたこともあって、その後は休職し、
いまは貿易や英語の勉強をしながら暮らしています。

仕事と並行して、
スポーツに打ち込んだ人生でもありました。
体操、持久走、いろんなスポーツを経て
17歳で柔道に出会います。
なんとフィンランドの
ナショナルチームに入るまでになり、
ユース、団体、個人で、
3度、チャンピオンになりました。
1971年の世界選手権にも参加しているんだそうです。
スポーツ、とくにこの柔道で学んだことをもとにして、
いろんなスポーツのコーチもしました。
たとえばホッケーのナショナルチームのコーチも。
アリさんの指導のもと、男子は北欧選手権で銀メダル、
女子は金メダルを獲っています。

それってお仕事ですか、とたずねましたら、
「いや、それはボランティアだよ」と。
6時起床、朝食、ストレッチをしてから出勤、
7時から3時半まできっちり働いて、
そのあとオリンピックスタジアムに
通っていたんだそうです。タフ!

プライベートでは、73年に結婚、83年に離婚。
3人の娘の父親であり、孫7人にめぐまれました。
離婚後1年してから、その後10年を
5人の子供のいるパートナーとともに暮らしましたが、
「ここ1年半は一人暮らしさ!」ということでした。
(なんだかこういうことを言うときにも、
 アリさん、ずっとにこにこしていて、
 まったくもって「青年」と
 話しているみたいなんですよ。)

アリさんのもうひとつの顔が、料理人です。
アマチュアではありますが、
サケはきちんとフィンランド伝統の
ペルホネン(蝶々)型にさばけるし、
(「うちの婿殿は、できないんだよなあ」とアリさん)
キノコについては、「街のキノコ博士」と
言ってもいいくらいに、くわしい。
「秋にまたおいで、
 この森を歩いてキノコ狩りをして、
 それを調理してあげるからさ」なんて言います。

57歳、休職中のアリさん、
これからどうします?

「これから? 健康でいることだろうな。
 健康でいれば、やることがいっぱいある。
 アクティブでいられる。
 スモークサウナも寒中水泳も楽しめる。
 そうだ、火曜日のいいところを知ってる?」

火曜日‥‥ですか? なんだろう?

「それは、水曜日にスモークサウナがあることさ!」

ああ、まるでムーミンパパみたいです。
そういえば、トーベ・ヤンソンの描くムーミンパパも、
おとなだけど、
とてもこどもっぽい一面のあるひとでしたっけ。
アリさんのおかあさんが言った
「あきらめたわ‥‥あなたが、おとなになるのは」
というせりふ、なんだか納得できる気がしてきました。

「それはさ、おとなとしての責任を負わない、
 ということではないと思うんだよ。
 それはそれとして、
 こどもでいられるのなら、
 こどもでいたら、いいじゃないか。
 それで、いいじゃないか」

アリさん、どうもありがとうございました。
またいつかお会いしましょう!

次回は、白樺細工の「エイノさん」をたずねます。

2011-04-14-THU
takei

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