ほぼ日刊イトイ新聞 フィンランドのおじさんになる方法。

第16回 家を建てるサンタクロース。〜タンメルハヌリの、エーリクさん。〜 武井義明

「歳をとってよかったこと?
 家族にしてあげられることが、増えたことだよ」

57歳になってどうですかという
ぼくの質問に、エーリクさんは、さらりと、
あたりまえのように、そう答えました。

「なにしろ、若い頃からずっと忙しかったからね。
 子供たちにも、してあげられなかったことが、
 いっぱいあったんです。
 でも、いまは教職についているから、
 学校には夏休みがあるでしょう?
 時間ができました。
 そのぶん、みんなに、
 してあげられることが増えました。
 孫の相手もちゃんとできる。
 教えたいこともいっぱいある。
 それが、うれしくて、たまらないんです」

そのことばに、歳をとることのかなしみはみじんもなく、
いま、自分に与えられているものを
すべて受け入れて、とことん楽しもうという、
前向きで、明るい響きがありました。

「そもそも、57歳って言われても、
 ぜんぜん意識していないんですよ。
 訊かれたから、生まれ年から計算して答えたくらいで、
 いつもは、年齢のこと、忘れてるくらいだもの。
 50歳になったときのこと?
 あ、そうなの、っていう感じかな?
 きっと100まで生きても『あれ、100歳?』って
 言ってる気がするよ」

エーリク・マキネンさん。
おじさん楽団タンメルハヌリの創立メンバーで、
57歳の今(この楽団では、若手のほうに入ります)、
アコーディオン弾きとして活躍するのみならず、
楽団ぜんたいのまとめ役であり、
ムードメーカーでもあり、
一部の楽曲は編曲を行ない、世話役でもあり‥‥と、
この楽団内だけでもたいへんいそがしく働いています。

じつは、最初にお目にかかったとき、
ぼくはこの人のことを
「おもしろいおじさん」だと思っていました。
よく、いるじゃないですか、どのグループにも、
人懐っこくて、わりと冗談ばっかり言って、
その場の雰囲気を、すぐにあたためちゃうような人。
ぼくはフィンランド語はわかりませんが、
おじいちゃんたちの間で、
右に左に全身をうごかして笑いかけ、喋り、
場をなごませているエーリクさんをみて、
「なんか、芸人さんみたいだなぁ」と思ったのです。
でも決して、エーリクさんは
前に出過ぎることはしません。あくまでも控えめ。
脇役に徹しているように見えました。
そんなキャラクターで
生きてきた人なのかもしれないなぁ。
それがエーリクさんの第一印象でした。

ちなみに、森下さんから聞いていたのは
「愛する奥さんのために、
 まるでムーミンやしきのような家を
 自力で、一軒、建ててプレゼントした人」。
楽団内での印象と、その情報とが、
すでに、なんだかちょっとちぐはぐです。

ほんとうのエーリクさんはどんな人なんだろう?

そんな思いで、エーリクさんのお宅にうかがっての
取材がはじまりました。

エーリクさん夫妻が、
フィンランドで4番目に大きな都市であるタンペレから、
ここヴェシラハティに越してきたのは
2002年のことでした。
4番目の都市といっても、タンペレは、
東京から訪れたぼくには、
とても静かで居心地のいいところに思えます。
しかしエーリクさんは言います。

「どんな静かであっても、
 都市には、都市の音があるんです。
 タンペレもそうでした。
 ぼくらは、街灯すらないような道を通って、
 ここに来て、はじめてここの丘に立ったとき、
 ほんとうに静かだと思った。
 そして、これからはずっと、
 この静けさのなかにいたいと思ったんです」

そして引っ越しを決意、
土地を買って、エーリクさんは家を建てはじめます。
‥‥あれ?
その家も、自分で建てたんですか?

「そうだね、ほとんど自分で」

つまり、ぼくらが取材に来た、
この奥さまにプレゼントしたアトリエより前に、
住むための家も自分で建てたってことですか?

「そうだよ。若い頃バイトで
 大工をやっていたし、
 家も建てたことがありました。
 そもそも、祖父が木を切る仕事でしたからね。
 道具も、ほとんど持ってるし、
 子どものころから親の手伝いもしていました。
 材木もすぐに手に入ります。
 組み立てるだけの、家の部材も
 フィンランドではわりとかんたんに買えるんだよ」

うわぁ‥‥エーリクさんが大工仕事好きっていうのは
あの道具部屋を見てわかりましたけど、
家まで建てちゃうほどだったんですか!
ちなみに、その建て方は昔ながらのやりかたで、
煉瓦+断熱材+煉瓦を重ねて
45センチほどの厚さの壁をつくるのが
基本なのだそうです。
そこをきっちりやっておけば、
夏も冬も室内の温度変化が少なく、
冬でも、薪の暖房で、家中があたたまる
気密性の高い家ができあがるのだそうです。

そういうことを、こうしてふつうのおじさんが
ちゃんと理解していて、
自分で建てることができるんだ!
‥‥と、驚いているぼくのことが逆に不思議みたいで、
「フィンランドでは当たり前なんだけどなぁ」
というような顔を、エーリクさんはしていました。

ちなみに、トゥーラさんのためのアトリエを建てよう!
と思い付いたのは、冬のある夜のことだったそうです。

「そうだ、トゥーラに、
 ステンドグラスのためのアトリエをつくってあげよう!
 と、突然思いついたんです。
 すぐにスケッチを描いて、
 友人の建築家にアドバイスをもらって仕上げ、
 翌年、春が来て
 雪が溶けた日に基礎を作りはじめました。
 その夏は、ひたすら建物をつくって、
 最後に雨どいを取り付けたのがクリスマス・イブ。
 ‥‥ペンキを塗るのは翌年になっちゃったけどね」

完成までに足掛け3年、ではありますが
実質、ひと夏でつくっちゃったようなものですね。
しかも完成がちょうどクリスマス・イブ?!
ものすごいプレゼントを持ってきた
サンタクロースみたいですね、エーリクさん!

エーリクさんはもともとエンジニア。
職業高校を出て、ポリテクニックという、
4年制の教育機関を働きながら卒業、
81年に学士号を得ました。
配電を専門とし、すぐに長距離バスをつくる工場の
プロダクトマネジャーに就任。
若くして100人の部下をもつ立場になります。
さらに翌年には工場長になって
部下が250人に増えたことで、
あらためて「リーダーシップ」を学ばねばと
トゥルクの商科大学で勉強をしなおしたそうです。
87年にその会社を辞めて、
洗車マシンの会社で2年間を過ごしたのち、
tamkという応用科学系の大学の研究室の求人を見て、
これはおもしろそうだと、さらなる転職をしました。
研究職でもありますが、そこは大学ですから、
「教える」という仕事にも就くことになったわけです。

「気づいたら、そこから19年です」

ちかごろのフィンランドには
「パートタイム定年」という制度ができました。
仕事の量を減らして、給料が減ったぶん、
そのぶんを年金として
受給することができるようになる制度です。
これを使うと、少しずつ仕事量を減らしていって、
完全な定年を迎えるまで、
ゆるやかに引き継ぎ、引退していくことができます。
収入はそのままで自分が自由に使える時間を
だんだんと増やすことができるわけです。
エーリクさんのような仕事だと、
通常であれば64歳くらいで定年になるところを
68歳くらいまでは、そんなふうにして
仕事をしていくことも可能なのだそうです。

(ちなみに、フィンランドでの平均的な定年は、
 かつては60歳。
 でもこのごろは、60代前半、という感じのようです。
 もちろん職種によってもことなり、
 船乗りさんのような肉体的にきつい仕事の定年は
 55歳くらいからだそうです。)

「長くつとめていると
 若い人と、自分との年の差が
 どんどん開いていくでしょう?
 そうすると不思議なことに、だんだん、
 自分の時間が大事だぞ、と思うようになってね。
 だから、パートタイム定年制度を
 すぐにでも使いたいんですが、
 なにしろ次の人が決まっていないので
 なかなか辞めさせてもらえないんです」

そんな話を聞きながら、
ぼくはエーリクさんが大学で教えているすがたを
想像しました。
それは、楽団でのおもしろいおじさんの顔とも、
楽器を弾いている真剣だけど楽しそうな顔とも、
リラックスしてトゥーラさんといるときとも、
お孫さんと遊んでいるときとも違う、
ちょっと厳しい顔でした。
想像でしかありませんが、
もしかしたら学生にとっては
それなりに怖くて、
しかも人気のある先生なんじゃないのかな。
そんなふうに思いました。

ところで‥‥ぜんぜん話が変わりますが、
ガレージにバイクがありましたね。

「そうそう、50歳になるとフィンランドの男は
 “そのどちらかをやる”って
 言われていることがあるんです。
 ひとつは、歌を唄うようになること。
 そして、もうひとつはバイクを買うこと。
 ぼくはまさしく後者で、
 50歳になったときにヤマハのバイクを買って
 トゥーラと、1週間かけ、北の海をめざして
 3500キロのツーリングをしたんですよ」

わ、かっこいい! すごい50代の始まりでしたね。
なんだ、気づかないうちに
50歳になっちゃったみたいに言っていたけれど、
それなりにお祝いしたんじゃないですか。
しかしそれも、自分だけのたのしみというより、
奥さまといっしょにたのしむバイクなんですね。
これから、そんなふうに、奥さまや家族のために
時間を使っていくんでしょうか。

「うん、もちろんそうですよ。
 でも、自分のことも、これまで以上にやりますよ?
 まず、演奏活動は今まで以上にしたいです。
 そして、大工仕事もね。
 ぼくは、若い頃からそのふたつの趣味があって
 ほんとうによかったと思っているんです。
 ‥‥定年を迎えるときが来たら、
 なおさらそう思うことでしょうね。
 だからぼくの子供たちへの教育方針は
 『趣味を持ちなさい』だったんですよ」

うわぁ、いい、おとうさんだなぁ。
そうそう、さきほどエーリクさんの部屋で
壊れたアコーディオンみたいなのを見ました。
ああいうのも、修理するんですか?

「あれはね、いまはもう作られていない、
 フィンランド製のボタン式アコーディオンなんです。
 美しいでしょう?!
 じつは資料も持っていて、
 いつか修理しようと思っているんですが
 さすがに今はできません。
 とても時間がかかるから。
 だから、あれも、定年後のお楽しみです」

老後の蓄えとして、そんな仕事を
たのしみとしてとっておく。
ぼくが「いいなぁ」という顔をするのを、
エーリクさんが
「いいでしょ」というような顔をしている、
そのようすを、トゥーラさんは、
なにも言わずに、にこにこと見ています。

窓の外は夏の風が吹いて
木々の枝が揺れているのが見えます。
まだまだ沈みそうにない太陽の下、
夏のフィンランドの時間が
ゆっくりとすぎていきました。
話しているぼくらのテーブルから、
奥さまのトゥーラさんがそっと立ち上がります。
「ごはん、食べていってね。
 いつも食べているようなものだけど、
 フィンランドの家庭料理よ」

じゃあ、ぼくは、と、
エーリクさんは急に「おじいちゃん」の顔になって、
お孫さんといっしょに遊び始めます。
これから、この子は、ほんとうにたくさんのことを
このおじいちゃんから学ぶことでしょう。
このおじいちゃんの孫だったら、
きっとかっこいいおじさんになるぞ、君も。

(エーリクさんの回はおしまいです。
 次回、松井さんの感想をはさんで
 こんどは「キヒニオ」に向けて出発です!)

2009-03-23-MON
takei

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