フィンランドの人たちは自分たちのことをよく
「森の民」と呼びます。
そして森の民について嬉しそうに語ります。
調子づいたおじさんたちは、さらに話を飛躍させます。
地理的にすぐ傍にいたバイキングたちが
「歯がたたない」と攻められなかったのが
フィンランド人だったとか。
すごいだろ、みたいな表情で語るのです。
森の民は、かつて「魔法つかい」だと思われ
恐れられていたのだそうです。
魔法ではないけれど、魔法じゃないかと思われ
脅威とされていたのが
森の中、木々の隙間から
誰にも気づかれずに
敵を射抜くフィンランド人の技だったりとか。
とにかく自然を味方にして、
驚異の力を発揮してきたらしい。
まるで自分の武勇伝のように、
得意気に話し続けるおじさんたち。
特にこういう話をしたがるのは
都市で生まれ育った人だったりするのが
ちょっと笑えます。
きっと地方出身の人生の先輩がたに言われてるんですよ、
「お前、魚といえばツナ缶か
袋に入った鮭しか知らないだろ」とかって。
フィンランドについて書かれたものや統計に目を通すと、
他のヨーロッパ諸国に比べて
農業や林業に頼っていた時期が
長かった国だったというのがわかります。
産業の構造が変化して
都市部に人口が集中するようになったのは
1960年代の終わりごろ。
ちょうどその頃からサマーハウスの
建設ラッシュもむかえます。
都会で暮らすことになったとはいえ、
森の中でゆったりと過ごす、
そんな時間を確保したかったのでしょうか。
都会で暮らすおじさんにも、
その都会で見せる顔の裏には
自然に根ざした生活があるようです。
首都ヘルシンキはこの数年で
ずいぶんと街が急いて見えるようになりました。
「(仕事が)忙しい」という言葉が
ちょっとカッコイイ響きを持つように
なっているかもしれません。
でも忙しいといってても、
仕事帰りにソーセージ片手に
一人バーベキューをしに行ってたりします。
ヘルシンキには薪をくべて火をおこせる場所が
あちこちにあるのです(無料!)。
朝は早めに家を出て
海辺の市場で一杯のコーヒーをいただいたり、
昼は昼で仕事の移動途中にアイスをペロペロしながら
歩いているおじさんも見かけます。
忙しそうな街の風景のなかで、
おじさんたちを見ていると、何だかほっとします。
どこかのんびりしているのです。
田舎のおじさんたちと話をしていると、
「都会の人たちのようにヒマはないんだよ、
この暮らしは」なんて言います。
息子と一緒に小屋を建ててたり、
近くの湖で魚釣りなどしていると、
あっという間に夜。
でも慌てないし焦らない。
狩をするときなどは、
森に入ったまま一週間戻ってこないこともあるのだとか。
いつも何かしていて、それは
本当にやりたいことを
我がままにやっているように見えます。
田舎のおじさんたちは
決して癒し系という感じではないですが、
私には思いつかないことを閃いて
やり遂げる姿を見てるとワクワクします。
少しずつ時代は変わり、
都会に暮らすすべてのおじさんが
田舎にポンと放り出されて何でもこなせるか、
確かではありません。
でも田舎に適応できそうな感じの人がたくさんいます。
都市部に人口が集中し、
地方で過疎化が進んだ歳月が短いからでしょうか。
都会で生まれ育っても、
森の民はどこかやっぱり
森の民でありつづけているような気がします。
生まれも育ちもヘルシンキ、
「おじさんの入り口に足を踏み入れたくらい」
という人が、こんな風に言ってました‥‥
「『どうしても譲れない、この夢は絶対に諦めない』
と揺るがないでいられるのは、
森で過ごす一人の時間があるからだよ。絶対そう思う」
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