「広告サミット2005 糸井重里×佐藤可士和」佐藤可士和くんから、
「ほぼ日」の「デザイン論」の対談が
おもしろかったから、そのつづきを話しませんか?
とさそわれて実現した企画を、
広告サミット運営委員会さんのご厚意により、
「ほぼ日」で、ほとんどまるごと、おとどけしますね。

第9回 タダですることの意味が変わる



糸井 昔から、
「冗談めかしてはいるけど
 本気で思っていること」
があるんですけど……
青山のコムでギャルソンの本店とか、
入場料をとったらいい、ということなんです。

土日になると、
ものすごく混んでいますよね。

買うか買わないかは別にして、
何を売っているのかを
見たくてしょうがない人で
あふれかえっているから。

そういうときに、入場料をとれば、
商品の陳列とか、そういう、
お客さんの見たいものそのものに、
もっとコストを支払えるといいますか。

売りあげと関係なく、
置いてある商品の点数を
減らしたり、増やしたりできるわけで。
お客さんなんだぞ、
とクレームをつける人は
どの商売にも多いわけですけど、
展覧会場で
「呼んだのに店員が来ねえぞ」と
怒りだす人はいないわけですよね。
「好きで行ってるんだから」と、
そのぐらいの関係があってもいいと思うんです。

まぁ、本気でやるとむずかしいんです。
1万人きても、1000円の入場料なら
1000万円なわけで、ものを売るほうが
利益になるから、まだ、この考え自体は
妄想なんですけど、ちいさい規模でなら
ありうるような気がするんです。
佐藤 タダのものって、
すごくよくできていても、
ナメちゃいますよね。
お金を払うことで、
自分の中でなにか決断をしているんです。
糸井 タダの時には、
お客さんを帰さないようにするために
ものすごい苦労しますよね。

だけど、ほんとは
結婚する意志があるから
お見合いが成立するわけで。
作品と商品のあいだのところに、
価値のあるなにかが見えてくると思うんです。



佐藤 商品と広告の境目もなくなりますよね。
糸井 だから、
タダですることに意味が変わってくる。
可士和くんとぼくの対談の
パンフレットをここで配っていることは、
うちの会社で印刷代を持っているんだし、
これはたぶんギャラを超えているんですけど、
ふたりの話をもういちど思いだせる、だとか、
もうからないけど、
今日の会話につながるなにかを
持って帰ってもらえることが、
とても大事だから、やるべきなんですよ。
まぁ、もちろん、
「お金をとりたい」と思うものごとだって、
やまほどあるわけで。
その、タダでするかお金をとるかについて、
自分で決めたいんですよね。

「今日、犬と遊んだんですか?」
写真週刊誌の人にきかれたら、
「遊んでなんか、いませんよ”」
と言いたくなる。うるさくきかれないなら、
「今日、犬と遊んだんですよね」
と言いたいわけで。
決めるのは自分で、
それが受けいれられないなら
赤字でもしかたがないし、
受けいれられたら成立するという、
そういう仕事をしているんだと思います。

可士和くんの仕事でも、
赤字のものはあるでしょう?
佐藤 ありますね。
糸井 「赤字でもやってくださいよ」
って頼まれたらやんないでしょ?
佐藤 (笑)やらないですね。
糸井 たぶんそういうものなんだと思う。
(月曜日に、つづきます)

2006-02-03-FRI