「広告サミット2005 糸井重里×佐藤可士和」佐藤可士和くんから、
「ほぼ日」の「デザイン論」の対談が
おもしろかったから、そのつづきを話しませんか?
とさそわれて実現した企画を、
広告サミット運営委員会さんのご厚意により、
「ほぼ日」で、ほとんどまるごと、おとどけしますね。

第8回 「ほめられるもの」が売れた時代



糸井 インターネットが
できたというのは、
王様のいない情報ネットワークが
できちゃったということですよね。
これは、とんでもないですよ……。

その時代に、
大金を持っている人が
テレビでどんと広告を流せば
みんなが買ってくれる、
なんて思うのは幻想ですよね。
佐藤 そうですね。
糸井 そういうことは、変わったと思います。
佐藤 糸井さんの「おいしい生活。」とか、
みんなが広告のことをかっこいいと
ほんとに思っていた時期には、まだ、
インターネットがなかったですよね。
テレビCMも、新聞広告も、
すごい効いていた実感ってありましたか?
糸井 当時は効いていたと思うんです。

ぼくの作った広告が
いちばんたのしまれていたのは
80年代でしょうけど、
当時の広告の基本を簡単に言うと
「買ったお客さんがいい気持ちになる」
ということだったんじゃないでしょうか。
「買ったお客さんが、
 それを買わないまわりの人からも、
 あ、それいいね、と言われること」
が重要だったんですよね。
持っていたり使っていたりするそのものが、
評価されるとか、うらやましがられるとか
いうかたちで受けいれられると言いますか。

選挙で言うと、
「自民党に投票したんだ」
「え? 自民党に……?」
ほとんどの人に
疑問をもたれる場合ではなくて、
「自民党に投票したんだ」
「自民党? やったね!」
ほとんどの人に賛成される構造で
コミュニケーションをしようというのが、
80年代の広告の基本というか、
広告を、企業の宣伝部が
とりしきっていた時代の
パターンだったと思うんです。

『MOTHER2』というゲームソフトを作って、
木村拓哉くんが寸劇をやるCMを作った時には、
「ゲームは買わないけど知っている人を増やす」
というのが、CMのいちばんの仕事だったわけで。
そうすると、
買った人が、気持ちいいじゃないですか。
そういう構造が生きていたときの
テレビCMというのは、
すごく効き目があったんです。
ほめられるものが、売れたんですよ。
ほめられないものは、売れなかったわけで、
だから、どういうものがほめられうのかを、
考えていったわけです。
百貨店は、それぞれ、
「へえ、いいね」と言われるかを争っていて。
そういう広告の時代ですね。
佐藤 ぼくなんか、完全にそれにハマってた。



糸井 当時、デパートどうしで
売っている商品があんまり変わらなかった、
ということが、大事なんです。

デパートのそういう時代が
なんで終わったかというと、
よそのブランドを借りるかたちになったからで。

ルイ・ヴィトンがあります、
シャネルがあります、グッチがあります、
という、よそのブランドの集積が
デパートになっちゃったから、
デパートとしての個性を売ることがない。

さらに
バブルが崩壊して売れなくなったときに
安売りのほうにいきそうになったり……
マーチャンダイジングや
マーケティングみたいなものを
考える場所がなかったところが、
なによりの悲劇ですよね。
佐藤 広告を見ていくだけでも、
デパートという業態が、
時代とリンクしていたかが
おおきいわけですよね。

今なら、デパートにいって
ブランドものを買うのは
便利なときだけで、
同じカバンを買うのでも、
路面店のほうが気分がいいから、
そっちにいっちゃうんですよね。
(明日に、つづきます)

2006-02-02-THU