経済はミステリー。
末永徹が経済記事の謎を解く。

第31回 所得の曖昧さ


お金を「稼いだ時」にかかるのが所得税、
「使った時」にかかるのが消費税、
「死んだ時」に残ったお金にかかるのが相続税。
 
「稼いだお金 ― 使ったお金 = 残り」だから、
生きている間に稼いだ金を
使いきってしまえば、残りはない。
国は、そういう人からは、
相続税を取れない代わりに消費税をたくさん取れる。
一方、「稼ぎ」からたくさん所得税を取ったら、
「支払い」や「残り」から取れる分が減る。
 
「所得税を払った残りにかかる相続税は二重取り」
というのが共和党の伝統的な相続税批判らしい。
ものすごく頭の悪い意見である。
「いつ取られるか」という
タイミングの問題に過ぎないでしょう。
途中で税率が変わると不公平だけど。
 
税金なんて、どうせロクなことには使われないし、
取られないで済むのが一番いい。
取られる側の立場で、あえて順番をつければ、
相続税がもっとも合理的だと僕は思う。
「死んだ時にいくら残っているか」は単純明快だから。
 
次は、消費税。「いくら使ったか」も
理論的には明確だが、
実際に記録を取って計算するのは大変だ。
 
一番わかりにくいのが所得税。
所得は曖昧な概念である。
サラリーマンにとっては
「所得 = 給料」だからピンとこないかもしれないが、
本当は、「所得 = 収入 ― 費用」である。
そして、「費用」と「消費」の区別は、
実は、とても難しい。
 
作家が
「登場人物が料亭で飲み食いする場面」を書くために、
料亭で飲み食いするのにかかったお金は、費用か?
タバコを吸わないと
集中して仕事ができない人にとっては、
タバコ代も費用ではないか? 
釣りや、フェラーリや、珍しい動物を飼うことや、
そういう遊びと見なされることに使うお金も、
それで精神のバランスを保っている人にとっては、
仕事に必要な費用ではなかろうか?

そんなことを言い出したらキリがないから、
現実には、税務署が勝手に
何が「費用」かを決めてしまう。
それが、僕はイヤなのだ。
 
大げさに言えば、所得税は、
「何かを生み出すにあたって、人間の心が果たした役割」
を無視する制度である。税務署は、
「絵の具」や「紙」を買ったお金は費用と認めても、
「放蕩」に使ったお金は費用と認めない。
放蕩がなかったら、絵は描けなかったかもしれないのに。
 
所得税も消費税もなくて、その代わり、
死んだ時に余ったお金はそっくりお国に差し上げる。
わかりやすくて、いいなあ。
自分では使いきれないほどの大金を稼いでしまった人は、
みんなを喜ばすための使い方を工夫するようになるだろう。

ま、夢のような話だけどね。
 
現実に戻って、政府としては、
税金は毎年コンスタントに入って来ないと困る。
「所得」より「消費」のほうが
景気の影響を受けにくいから、
政府にとって消費税は優れものなのだ。

2001-06-17-SUN

BACK
戻る