経済はミステリー。
末永徹が経済記事の謎を解く。

第17回 インターネットにしか出来ないこと。


インターネットは、
「個人と個人が、時間と場所を越えて、
 直接、双方向に、複雑な情報を伝え合うこと」
を可能にした。
「世の中に流通する情報の総量を飛躍的に増やす」
という意味で、
ルネッサンス(グーテンベルクの活版印刷)以来、
つまり、「500年に1度」級の
革命的な発明と言っていいだろう。
 
今までの情報の流れは、こうだった。
個人は、バラバラに情報を提供する。
それが一ヶ所(政府、テレビ局、新聞社など)に集中し、
そこから、バラバラの個人に向けて
画一的に情報が発信される。
受信した個人は、
それが正しいか、どうか、判断できない。
そのため、政府、テレビ局、新聞社などは、
個人に対して権力を持つようになる。
 
インターネットは、間違いなく、
そういう「二十世紀的」な情報の流れを
変える可能性を秘めた技術である。
 
たとえば、今まで、
「不特定多数の人に向けて動画の情報を発信する」
ことは、莫大な金をかけた設備と
国からもらった免許を持つテレビ局の特権であった。
インターネットにホームページを開けば、
それが誰にでもできる。これは、凄いことである。
 
しかし、発信はできても、見てもらえるとは限らない。
というか、情報は、受信されない限り、
発信したことにもならないのである。
コミュニケーションは、
発信者が受信者に満足を与えることを
繰り返して、成立する
(テレビを見ること、会話、メールの交換、
 すべて、そうですよね)
 
ヤフーが集めた爆発的な人気の正体は、
「すべての個人がヤフーを通じて結ばれる」
という幻想だったと思う。
この世のどこかに
「今、まさに自分が見るべきサイト」
があって、ヤフーの検索エンジンを使えば、
そこに辿りつける、という幻想。
 
ヤフーは、ロマンチックに言えば
「運命の赤い糸を操る女神」
になること、現実的に言えば
インターネットの情報の流れに筋道をつける
「編集」の機能を果すこと、を期待されたのだ。
 
テレビや新聞は、集めた情報の
ほとんどを切り捨てる編集を経て、情報を発信する。
もし、取材のメモや画像、書き損じの原稿、
NG映像などが、無秩序に発信されていたら、
わけがわからない。
「NG集」や「メイキング」は面白い? 
それも、面白いように編集してあるからだし、
そもそも、「完成版」がなかったら
「裏話」は存在しない。
 
さて、ここからが、
本題の「僕のささやかな意見」なのだが、
「受信者を満足させられような情報」
を発信するためには、
製作、編集にものすごい手間がかかる。
それは、既存のマス・メディアでもインターネットでも、
変わらないはずである。
 
「手間をかけたら、お金をもらえる」べきだと、僕は思う。
「あ、このサイト、面白いな」と思ったら、
製作者、編集者の苦労に報いるために、
五円、十円単位のお金をサッと払えるようになったら
いいな、と思うのである。
そういうシステムができない限り、
インターネットは自立した
「情報をやりとりする場」にならない気がする。
 
「ほぼ日」はどうなの? 
という突っ込みを予想しつつ、次回に続く。

2001-04-24-TUE

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