ガラスという素材のうつくしさと、
遠心力、重力、表面張力と、技術の融合した
宙吹き作品のおもしろさ、ダイナミズム。
それがきがるに、身近に感じられる
高橋禎彦さんの、ガラスのコップ。
硬いはずなのにやわらかい印象の手触りや、
意外なほどのかるさ、口当たりのなめらかさ、
そしてなにより飲み物が(水も、お酒も!)
おいしくなってしまうという不思議さ。
ぜひ体感してみてくださいね。
アルファベット型のはしおきも、いっしょにならびます。

モールドコップができるまで。

宙吹きと、モールド(型)を使っての成形のようすを、額にちいさなカメラをつけて、高橋禎彦さんがみずから撮影しました。
とろりと溶けた真っ赤なガラスが、だんだんとコップに変身していきますよ。つくり手の気分になれるいっぽうで、
カメラに動きがあるので、もしかしたら「酔って」しまうかたがいるかもしれません。こころしてご覧ください。

高橋禎彦さんインタビュー ぼくとガラス。 その2

アートか? クラフトか?

──
その後高橋さんはドイツに行かれますよね。
エーデルマンというガラス作家に師事するために。
そうとう思い切った決断だと思うんですが、
逆に受け入れる側はどうだったんでしょうか。
高橋
ぼくの頃は、ガラスをもっとやりたいと思ったら、
工場に入るか、武者修行に出るか、という時代でした。
でも海外に出る人はまだまだ少ない時代でもありました。
そんななか京都でガラス会議というのがあって、
フィン・リュンゴードさんというデンマークの作家が
日本人のアシスタントを採っていたのを知るんです。
イノウエさんっていう人なんだけれど、
ぼくがドイツに行き、彼に電話をかけたら、
「お前、頑張ってるか?
 俺は血の小便が出るぐらい頑張った」って。
その人がすごく働き者だったおかげで、
日本人のアシスタントはいいぞ、
という話が共有されていたようなんですね。
それでフィンさんから紹介されてぼくはドイツに行き、
「日本人ならいいだろう」というような感じで
受け入れてもらったというところです。
──
今の料理界と似ていますね。
ヨーロッパで日本人の料理人が活躍しています。
高橋
そうですよね。
真面目によく働くという印象があるんですよね。
──
エーデルマンさんはどういうものを作っていたんですか。
高橋
その頃流行っていた、アブストラクト(抽象)ですね。
いわゆるガラスって器物を作るための
テクニックなんだけれど、
それをやっている途中に
すごく美しい形がいっぱいあるわけです。
それを取り出して、機能ではなく彫刻として見せるという。
ハーヴェイ・リトルトンっていう、
スタジオグラスの創始者といわれている人が
そういう流れをつくりました。
──
じゃあ、器は作らない?
高橋
その頃の極端な考え方は、
「器を作れる技術なんて要らない」というものでした。
そのリトルソンという人が言った有名な言葉が、
“technic is cheap”(笑)
──
え? 技術をないがしろに!
高橋
そうそうそう(笑)でも、
いろんなことを解体してた時代ですから、
下手でもカッコいいものに価値を見いだす人もいたし、
アメリカで器をやってると、
ものすごくバカにされたりもして。
アートとクラフトという言葉がまだ対立していましたから、
「お前の作ってるのはアートか? クラフトか?」
みたいので大議論したりとか(笑)。
「お前、食うためにこれやってるんだろう。
  お前は意識が低いな」って、そういう感じの。
──
チェコではいまも、芸術の大学と工芸の大学は別で、
工芸よりも純粋芸術の方が上であるといいますね。
高橋
ぼくがガラスを始めた頃は、そうでしたよ。
焼き物の世界でも、大学の隣の教室で、
中村錦平さんという陶芸家が教えているクラスは、
完全に前衛でした。

濱田能生さんの影響。

──
では、ドイツでギャラリーデビューをしたとき、
高橋さんのガラスも、純粋にアートだったんですか。
高橋
ぼくは、葛藤がある時代だったので、
両方やってました。
というのも、ワイングラスって、
ガラスのつくり手にとって、
ものすごく魅力のあるものなんですよ。
ガラスのテクニック上。
要するに細い足の上にカップが付いてるわけで、
きちんと技術がなければできないものなんです。
ちょっとでも下手だと、こんなふうに(ぐにゃんと)
なっちゃうわけ。
──
では、当時の高橋青年は、
ちゃんと使える器もつくろうと?
高橋
いや、そこまで考えてなかったんです。
形が格好いいかどうかで、飲みやすいとかおいしいとか、
そういうことは関係なかったんです。
「何か入れて飲んだら面白いな」
というくらいのものでした。
けれども、日本に戻ってきて、
こんどは濱田能生先生にあらためてお目にかかって、
真逆の考え方にふれるんです。
濱田さんは陶芸家・濱田庄司の長男ですから。
そもそもは民藝の世界に深く触れている人なんですね。
ですけれどもガラスを勉強しに、
ロンドンのロイヤルカレッジに行き、
アート寄りの作家に師事しているんです。
──
器じゃない世界を一度経験なさっていた。
高橋
はい。そして帰って来て普通に、
花瓶、花入れ、コップ、ぐい呑みといった
日常の器を作るんですね。
それも全然テクニカルじゃない。
たぶん自分の持つテクニックの、
いちばん使えるところだけを使っているんです。
そして実際、濱田先生の作品は、
とても綺麗だったんです。
──
そこにも影響を?
高橋
いや、ぼくはその時、「わからない」って思ったんです。
綺麗なのはわかるし、いいものだということもわかる。
そして、売れるというのもわかるんだけど、
「自分がそれをやりたいのか?」というと、
あまりにもシンプルなので、できないって思いました。
──
できない? 技術はじゅうぶんにあったんですよね。
高橋
だって、やったら真似になってしまうから。
──
ああ! シンプルだから、よけいに。
高橋
濱田先生ずるいよー、って感じ(笑)。
──
実用工芸って、
うんとスタンダードなものをつくって、
それが意外と今まで誰もやってこなかったことだったゆえに
その作家ならではのものだという作品性として評価されると
後輩が困っちゃうんですよね。
それは陶芸や木工の世界にもあるんだと思います。
シンプルで実用を追求すると、
どんどん近づいていっちゃう。
高橋
ただ、濱田先生のガラスは、
すごく綺麗な色のガラスを溶かしているんです。
そこにとても気を遣われているのがわかるんですね。
瑠璃色のガラスと透明なガラスを溶かして、
それを2つ使って何か作ったりとか、
白いガラスを巻いた上に青いガラスをちょっと巻くとか。
とにかく最小限のシンプルなこと。
(次回につづきます)
2016-04-26-TUE
商品写真:大江弘之
インタビュー、その他の写真 ほぼ日刊イトイ新聞