ガラスという素材のうつくしさと、
遠心力、重力、表面張力と、技術の融合した
宙吹き作品のおもしろさ、ダイナミズム。
それがきがるに、身近に感じられる
高橋禎彦さんの、ガラスのコップ。
硬いはずなのにやわらかい印象の手触りや、
意外なほどのかるさ、口当たりのなめらかさ、
そしてなにより飲み物が(水も、お酒も!)
おいしくなってしまうという不思議さ。
ぜひ体感してみてくださいね。
アルファベット型のはしおきも、いっしょにならびます。

まるコップができるまで。

額にちいさなカメラをつけて、高橋禎彦さんがみずから「まるコップ」の制作のようすを撮影しました。
とろりと溶けた真っ赤なガラスが、宙吹きによってかたちづくられていくようすを、どうぞごらんください。
動きがあるので、もしかしたら「酔って」しまうかたがいるかも? お気をつけくださいね。

高橋禎彦さんインタビュー ぼくとガラス。 その1

ガラスについて、すこしくわしく。

──
いま私たちの家にはふつうに
「ガラス」があるんですが、
こんなふうに日本で一般的になったのは
あんがい、最近のことなんだと聞きました。
高橋
そうです。
一般の人が使えるようなものが出てきたのは、
産業革命より後のことですね。
そもそもガラスの歴史をざっと言うと、
ガラス質というなら天然の黒曜石を
刃物に使っていた時代があります。
人工的なものでは
古代文明の時代にガラスビーズがありました。
それが食器などに使われるようになったのは
紀元前のエジプトで宙吹きがうまれてからだと
いわれています。
そしてずっと長いことガラスは貴重で、
教会や貴族が使うようなものでした。
──
権力や魔力を感じます。
透明で固体って、不思議ですから‥‥。
高橋
そうなんですよね。
それで言うと、ガラスって「非晶質」なんですよ。
これは高温で液体化した非晶質が固体化している
「ガラス状態」であって、
金属のような「結晶」とは違うんです。
そしてガラスの中にも金属が含まれている。
金属をガラスの中に入れると、
透明なままでガラスとして存在できるんです。
──
むむ、ますます不思議です。
高橋
窓ガラスが、たぶん身近な一番いい例で、
あれは相当な量の鉄が入ってるはずなんですよ。
正面から見ると透明だけれど、
横から見ると緑色をしているでしょう?
──
はい、断面が。
高橋
あれはガラスの中で発色した鉄の色なんです。
焼き物関係の釉薬もそうで、
金属が入ると、その金属と酸素などが結び付いた
固有の色が出ます。
ガラスの中で鉄は緑色に発色し、
銅を入れればもうちょっと青い色になり、
硫黄で黄色くなる。
高価なもので言うと、いちばん綺麗な赤は
金を入れるんです。
──
金を入れると赤になる?
高橋
はい。とても大ざっぱな説明ですけれど、
ガラスに金属を入れれば
何かの色が出ると思っていいです。
そして鉛を入れるとクリスタルガラスと
いわれるものになるんですよ。
基本的にガラスは
珪砂とソーダ灰とカルシウムが3大原料。
そこに鉛が入ると、とたんに柔らかくなります。
柔らかさというのは、溶けてる時にも柔らかいし、
出来上がって固まったガラスも柔らかいんです。
──
バカラのコップは、ひっくり返して置くと、
リム(口のあたるところ)が薄く、
底が厚くて重いから、
自重で割れてしまうことがあるといいますよね。
それくらい、柔らかい。
高橋
そうなんです。けれども屈折率が増えて、輝きも増し、
キラキラになるんですよ。
聞いた話だと鉛は70%ぐらいまで入れても
透明になるそうです。
それは放射線を遮る目的で使われたりもします。
もちろん飲み物に使うクリスタルガラスは
ずっと鉛の含有率が低いですよ。

ガラスを学びはじめたころ。

──
高橋さんが大学でガラスを学び始めた頃は、
まだみんなで窯を作るとこから始めた、
というような時代だったとおっしゃっていましたね。
つまり、作家性のある作品をガラスでつくることを
日本の教育機関で学べるようになったのは
ここ数十年のことなんですよね。
高橋
はい。ぼくらのときは、
メインの先生が伊藤孚(いとう・まこと)先生で、
濱田能生(はまだ・よしお)先生が
非常勤講師でいらしていた時代です。
──
ガラスの世界ではたいへん高名なおふたりです。
高橋
伊藤先生はもともと多摩美の日本画を出てから
ガラスがやりたくなって、
カガミクリスタルという工場で
7、8年働いてたんです。
先生の若い頃は状況が全然違い、
ガラスを勉強するには、そういう所で
職人として学ぶしかなかった。
話を聞くと、それはそれは
辛く大変な時代だったそうです。
「玉取り3年」といって、
分業制ですから、一番最初のちっちゃいガラス玉を
巻いてくるのが下っ端の仕事なんですよ。
それを上の職人が受け取って、
その上にガラスを巻いて型に吹く。
さらに玉取りよりまだ下があって、
それは出来上がったものを除冷炉に運ぶ仕事です。
伊藤先生はそこから始められたんじゃないかな。
──
いまでもガラス工場はそんな感じで
徒弟制度的な分業が生きていますよね。
高橋
そうですね。しかも「教えて」はくれないんですね。
工場では「見て覚えろ!」と言われたそうです。
だから伊藤先生も、大学では、
「お前ら、ガラスは見て覚えるもんだ」と。
もっとも、絵だってそうやって覚えるものですよね。
しかも工場では練習の時間なんてあるわけないので、
休み時間に、覚えたかったらやるんだそうです。
とにかく暇があったらやれ、と。
そして、実際、ぼくも、そうしてました。
特にその当時の大学にあった窯はちっちゃいし、
学生数に見合ってないから、
空いてたらすぐにやるとか、
人の時間取ってでもやるぐらいの気分でした。
──
伊藤先生のほかに、高橋さんが
影響を受けたかたはいらっしゃるんですか。
高橋
はい。カガミクリスタルのデザイナーの方で、
佐藤潤四郎さんというかたがいらしたんですが、
とても優しいガラスのデザインをする人で、
ぼくの仕事には
その人の影響がすごくあるなと思っています。
おそらく中世のガラスをモチーフにした、
ちょっとポテッとして、装飾が付いてるような。
今、舩木倭帆(ふなき・しずほ)さんが
つくられている路線に近いです。
そして、伊藤先生もまた、ぼくらに、
民藝じゃなくてコンテンポラリーをもっと意識しろ、
ということをおっしゃっていました。
ぼくら、その時、それが全然ピンとこなかったんだけれど、
世の中的に言うと70年代のデザインブームの時だったので、
雑誌には北欧のデザインの特集などがあって、
それを格好いいな、素敵だなと思って見ていました。
フィンランドのオイバ・トイッカさんなどですね。
当時ちょうど、スタジオグラス
(1970年代からおこった動きで、大工場ではなく、
 個人や少人数での工房制作を中心にした
 作家性の高いガラス制作)をやっている人が、
アメリカとかヨーロッパにはいっぱいいるという
情報を得て、それにすごく惹かれていきました。
(次回につづきます)
2016-04-25-MON
商品写真:大江弘之
インタビュー、その他の写真 ほぼ日刊イトイ新聞