すずきひろゆみ

1981年 仙台市生まれ。
2005年 韓国 聞慶・慶州に渡り、韓国の陶芸を学ぶ。
2009年 帰国後、信楽に仕事場を構える。


2013年のインタビュー 自分らしいものが焼きたい


2014年のインタビュー 自分らしいものが焼きたい
やきものは、
大学のサークルで始めました。
普通の4年制大学の、サークルです。
2年生のときです。
1年生のときは、
受験勉強が終わって、
もう、遊びたいばっかりでしたよね。



サークルに入ったそのころ、
もうちょっと真面目に生きようと思ったとは思います。
何か一所懸命やろうって。
だからって、何で陶芸だったのかはわからないです。

サークルは、
わりと自由にやらせてくれた感じですね。
でも、釉薬は、
調合されてる、買った釉薬はダメだっていう
暗黙のルールみたいなのがあったり。
サークルが揃えてくれたものを、
自分で調合して作ったりとか、
土も、いまでも買うような業者を、
探し当てて買ってたりとか。

先輩が、マニアックな人が多かったんですよ。
今年、50周年なんです。サークルの。
卒業生で、いまプロでやってる人が、
13人ぐらいですね。



大学では、総合政策学部っていう学部で、
いろんな専門の先生がいたんですね。
美術専門の先生のゼミに入ったら、
「君はサークルで陶芸やってたらいいから」
って言われたっていうのが大きくて、
卒論も、「陶器について」みたいなことで。

家も、やきものとはとくに関係はないんです。
ただ、こどものころ、
母親が、陶器屋さんとか、
よく連れてってくれたりしましたね。

うちは、父親の仕事の関係で
何度か引っ越しているんです。
小学校の5年生まで、
松江に住んでいました。
そのころに、
出雲にある出西窯という窯元が、
父親も母親も好きで、
たまに連れてかれてたりっていうのが、
精一杯の陶器との関連性(笑)。



大学を卒業するとき、
他の就職は考えなかったです。

就活はしたんです。
親に「陶芸やるから」って言ったんですけど、
反対されて。
一応、就活だけはして、
その間に親を説得しようと思いました。

だから、森ビルとか電通とか博報堂とか、
有名なところばっかり受けて。
そこの仕事に興味があるか、っていったら、
まったくないんですよね。
親を説得するための時間が必要だったんです。

そうしたら、条件として、
弟子入りを日本でしないならいいよ、
っていう話になったんです。
日本でやるんだったら甘えるでしょう、
海外に行くならいい、って。



たぶんやめさせたかったんでしょうね。
行かないだろうと思ってたんじゃないですかね。
ちょっと試されてたのかなと、いまは思います。

父親が、中国か韓国なら誰か、
最初の何ヵ月か、
面倒見てくれるような人を紹介できるって。
どうせ言葉もできないだろうというので。
父親は、宗教民俗学をやってて、
中国や韓国に知り合いがいたんですね。

将来、日本で陶器やるなら、
絶対お茶に関わってないといけないと思ったので、
それに感覚が近いのは韓国だな、と。

僕は井戸茶碗が好きだったこともあって、
韓国に行くことにしました。
やや、渡りに船みたいなところもありましたね。



(次回につづきます)
2014-01-08-WED


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