みなさんは、佐渡というと、
どんなイメージが浮かびますか?
日本海に浮かぶ島。
新潟県に属する島。
カタカナの「エ」の地の形をした島。
金山のある島。
佐渡おけさの島。
実はこの島、行ってみてびっくりするのですが、
芸能文化や自然にめぐまれているだけでなく、
食文化がたいへん豊かなんです。



まずは、日本海にぐるり囲まれていることから、
海産物が豊富。寒ブリ、カツオ、アオリイカ、フグ‥‥
これは言うまでもないでしょう。
そして、シイタケなどのきのこ類、
大根や里芋、人参などの根菜類ほか、
大概の野菜も、この島で育ちます。
山々の麓に広がる田んぼでは、
佐渡米という美味しいお米が収穫できます。



水が綺麗だということも手伝って、蕎麦も美味。
取材班、行く先々でご飯をいただきましたが、
「地のもの」が豊富ということが
こんなに暮らしを豊かにしてくれるんだということを
あらためて、実感しました。

佐渡島は、初夏から夏にかけて、ほとんどが
青々とした緑に囲まれます。
車で移動している途中に広がるのは、
息を飲むほどに美しい、
山に広がる緑のグラデーション。



暖流と寒流が接するため、
植生がゆたかだということなのですが、
特に、島全体に生えている杉の種類の多さには驚きます。
しかも、その杉、巨大杉と呼んでもまったく
さしつかえのないほどの迫力で、
そんな杉があっちこっちに点在している。
屋久島の杉にもひけを取らないばかりか、
独特な、潮を含んだ風雪が吹き荒れる
気候ということもあって、
枝が変形して地面に向かって
垂れ下がっていたりします。
十分に時間を取って森の中を探検したら、
さぞかし発見に溢れているのだろうと思います。


佐渡島には、これ以外にも、
自慢のできる文化がたくさんあります。
たとえば和太鼓のグループ「鼓童」が
拠点を置くのもこの島。
そして、能、狂言、人形芝居など、伝統芸能が盛ん。
この島にある能舞台の数は、数十にものぼり、
密度では全国で一番なのだそうです。
古代より流刑地として使われてきた佐渡島ですが、
流刑者のなかには順徳天皇がいて、日蓮がいて、
そして世阿弥がいたという背景があり、
それが佐渡の文化を円熟させる要因になりました。

島を舞台にした文学もあります。
森鴎外は『山椒大夫』で
厨子王と安寿姫の母への恋慕を描き、
太宰治は『佐渡』という紀行文を書いています。
また、あの有名な昔話『夕鶴』つまり
「鶴の恩返し」の舞台もこの佐渡島です。

そんな島で、
今回ご紹介するわらの鍋しきは、つくられています。



岩屋さんの磨崖仏群


岩屋洞窟は、宿根木からすぐ近くにあります。
ただならぬ雰囲気が立ち籠めるここは、
天然の海蝕洞窟でありながら、
島民からは岩屋さんと呼ばれる
信仰の場所でもあるそう。
というのも、
奥へと足を進めると、
仏像がズラリと出てきます。



そして、
さらに奥へと進むと、
船魂様(ふなだまさま)と
呼ばれる船乗り信仰が厚い
十一面観音があらわれます。
佐渡の島民にとっても、
祈りを捧げることは
とても大切なことだったようですね。




千石船


実物大で復元された千石船です。
佐渡島の恵みを
全国へと出荷するための船が
この千石船。
目の前で見ると大迫力で、
船大工さんたちが
この船をつくるのにかけた情熱が
伝わってきます。
千石船は廻船問屋用の船。
いろいろな物品を
積んだり下ろしたりしながら、
商いをしていたようです。
その主な航路は、
日本海、瀬戸内海、大阪などで、
一時期は、
佐渡の富の約3分の1は
この船によって生み出されていたといいます。



宿根木の集落


佐渡島にはその昔から
日本全国に向けた商いを営んでいました。
その一大拠点だったのが、
佐渡島の西南端に位置する
宿根木と呼ばれる集落です。
約200棟の家屋が立ち並んでいるのだそう。
ここから千石船に積まれたのは、
藁細工、竹細工、金銀、海鮮類など、
この集落には、
船大工が多く住み、
最盛期には、大きな船を20隻も
所持していたそう。


2009-05-26-TUE