
- ・気のせいなのか、そうでないのか、「プレゼンテーション」ということばを、よく見かけるようになった。プレゼンテーションの技術、日本人はプレゼンテーションがへただ、プレゼンテーションができないと生きられない、というような感じで、話題になっているみたい。
ぼくは、広告の仕事をしてきたので、じぶんたちの制作した広告が、どういうもので、
- どういう効果を期待しているものなのかについて、話をする機会は、それなりに何度もあった。そして、それはプレゼンテーションと呼ばれていた。正直に言うと、ぼくは、そのプレゼンテーションというものが、苦手だった。「じぶんたちのやってることは、いいんです」と、じぶんたちが説明するわけだから、どこか恥ずかしさがつきまとう。そして、それはじぶんたちがいいと思っている以上に、
- 「あなた」にとって「いい」ものなのだという説明だ。我田引水ってやつも、いかにもな自慢も、なかなか愉快な、人間的な行為だと思うのだけれど、プレゼンテーションは、好きになれなかった。
だからか、いまも、「ほぼ日」のなかには、プレゼンテーションという儀式はない。「いいと思ったら、言ってみな」というだけだ。じぶんでつくった案を、他と比べてみたいなら、
- B案でもC案でもつくってみればいい。でも、それはプレゼンテーションのためじゃない。「いかにもいい」ように見せるために、余計な仕事はしなくていい、ということにしている。
プレゼンテーションは、「向こう」と「こっち」の間で行われるものなんじゃないかな。だから、ごまかしや吹かしが混じりこみやすい。でも、いっしょになにかを得ようとするなら、
- 隣り合わせに、あるいは輪になって座って、プレゼンテーションじゃなく「相談」するのがいい。相談は、ぜんぜん恥ずかしくもないし、たのしいもん。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。あれこれ目が離せない目次でしょう?つきあってください。