インディーズ映画の冒険野郎。
石井聰亙監督の話をふむふむ聴く。
石井聰亙さんプロフィール 今までの作品リストはコチラ

 
ほぼ日 では、今日はよろしくお願いします!
早速ですが‥‥
監督の作品をいくつか
見させていただいたんですが、
なんかすごくすぱっとした
気持ちよさみたいなのを感じました!
もともとある監督のイメージも、
ミュージシャンの出演者がいたり、
エレキギターがかかってるっぽい
印象があって、
「ハード」で「ロック」な感じでした。
石井 まあ、そうじゃない部分も
もちろんあるんだけど、
やっぱり「ハード」とか「ロック」な面って、
ハデだから、目立ちますよね。
だから、そういうイメージを
持たれやすいと思います。

すぱっとした感じが出てる作品もあるし、
出てないのももちろんあります。
作品は、「人を苦しめよう」って思って
作ってるわけじゃないから、
基本はそうですよね。すぱっと!
ほぼ日 はー。やっぱり、すぱっとですか!
石井

(笑)いつも自分なりに、
とにかく色々なことを、いつも考えてます。
自分で何か
ひっかかってることとかがあって、
それを、「解決出来ない矛盾」というか、
本当に単純なことから、変なことまで。

一番単純に言えば、
「人間は別に好んで
 争いたいわけではないのに、
 戦争したり、人を傷つけたりすることに
 なっちゃうんだろう」
そういうことは今でも
素朴な疑問としてあります。
なかなか大きすぎて、難しい問題だけど。
そういうことを、よく考えてますねぇ。
それがダイレクトに
作品に結びつくかっていうと
わかんないんですけど。
とにかく、考えてますね。
『エレクトリック・ドラゴン』は、
そういうの考えて作ったんです。

ほぼ日 ええええ?! わからなかったです!
石井 誰もわかってくれないけど(笑)。
でもそういうことで
映画を観てもらわなくてもいいし、
観た後、ただ
スッキリして帰ってくれればいいんです。
映画の中で主人公の浅野さんが
エレキを弾きまくるんですけど、
「エレキを
 ガーーーーーーーンって弾きたい!」

っていう衝動も、自分の中にあった衝動と
ちょっと似てるのかもしれないです。

今の現代社会、東京もだけど、
「野生」っていうものは、見えない。
というか‥‥
本来ぼくらは地球の上に住んでて、
巨大な宇宙の中の
「地球」という惑星の中に住んでて。
地球の、「ある所」に住んでるんですよね。
そういう当たり前の「野生」というか、
ワイルドな力の中に、
奇跡的に生きてるんだけど、
都会の24時間の世界に生きてると、
「野生」とかそういうものって、
一切必要ないですよね。
いらないんですけど‥‥
俺は必要としてると思うんです。
「ロックにひかれる」とか、
「うわーこのベースかっこいい!」
「ドラムの音がズンズンくる!」とか、
「ガムランいいねー」とか。
そういうことを、「本能」っていうのが、
求めてるんだと思うんですよね。

火山の噴火とか見てると、
自分の存在はあまりに無力で、
巨大な自然の力の創造力の
神々しさに打ちのめされて、
もう最高だ!何もいらない!
このまま熔けて
火山の一部になってもしょうがない!

そう思えちゃうんです。
ほぼ日 そういえば、作品の中にも火山に向かって
レースをするっていうのありますよね。
石井 そう、まさに「本能」で、
あのシーンを書いたんですよね。
好きなんです。
あそこにぎゅっとつまってる。

そういう火山に惹かれるとかの
「本能」っていうのは、
「野生」からきてるとおもうんだけどな。
それを作品にいかして、
みなさんに少しでも
喜んでいただければな、と。
それで、
出来れば巨大なエネルギーが生まれた方が
いいと思うので、
やっぱり映画館という
でかい外部的な空間がいいと思うんですよ。
だから、映画館じゃなく、家で見るときも、
僕は出来るだけ環境整えて、
夜中だったらヘッドホンをして、
自分を高めますけどね。
逆に
リラックスするのが欲しいときもあるけど。
まあ、年とったから
ワイルドな衝動っていうのは、
前よりも少なくなってきてるとは
思いますけどねー。
でも依然として、ある。
一生消えないんじゃないかと思うけどね。

兼好法師が戦乱の世を嫌がって、
田舎の庵で静かに隠居して
「徒然草」を書いたんですけど。
有名な一節に、
「つれづれなるままに、日ぐらし‥‥」
その後は、
静かに自分の心を見つめていると、
「ものくるおし」って書いてあって。
その「ものくるおし」という、
そういう気持ちって、とてもわかるんです。
ものすごく静かに瞑想的なことをしてても、
「くるおしい」部分っていうのが、
俺ははっきりと自覚されるときがあるので、
「俺の本能はそういうものなんだ」 と
自覚してます。
「自覚してる」っていうことは、
コントロールできてるっていうこと
だと思うけど。
これ、自覚出来ないと、
結構大変なんじゃないかなと思う。
ぼくはありがたいことに、
「表現をする」ということで、
自分を飼いならしてきた。
中学生とか高校生の頃は
かなり危険な状態だったんだと思いますね。
「表現したい」のに出来ないっていうことで。
かなり、危ない状態だったんじゃないかなと。
ほぼ日 表現の手段にまだ
出会えてなかったから、ですか?
石井 いや、まず「世間知」がないから、
自分がどういう位置におかれてるっていうのが
わからない。
「ものくるおしさ」というものは
「多い」か「少ない」ってことの
ちがいはあっても、
誰にでもあるんじゃないかな。
少ない人は、平和な人間。
逆に激しい人もいるわけじゃないですか。
それが当然だと思うし、
個性が色々あるように、
無意識にある
「ものくるおしさ」っていうのも、
千差万別だから。
でも、自分にそれがあるのは間違いない。
それをどういうふうに表現するかは
色々あるんだと思います。
今回の新作『鏡心』のような表現もある。
と思います。
今までやってこなかったアプローチでした。
ほぼ日 新しいアプローチとはどういうものですか?
石井 この作品に出てくる女性が
自分の分身かどうかはわかならいですけど、
今回は、とにかく、
女優さん(市川美和子さん)に
ゆだねたんです。

っていうのがあったから、
市川さんが作り上げた部分も大きいと思う。
それが自分にとって、
大きなアプローチだったな。
と思いましたね。
編集して、完成して出来て観たときに、
びっくりしたんですよ。
ほぼ日 自分の監督作品なのに??
石井 こうきたかーみたいなね(笑)。
こういうのも自分は作るんだー、
っていうね。
作ってる最中はもう
集中しててわからない
から!
ほぼ日 わからないんですかー?
石井 うん。作っている最中は、わからない。
ほぼ日 わからないのかー。
  (つづく)

「本能」「野生」を大切にしているという監督。
さらに、色々なお話が飛び出てきます。
お楽しみに!

石井聰亙さんへの激励や感想などは、
表題に「そうごさん」と書いて、

postman@1101.comに送ろう。

2005-03-24-THU


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