シリコンの谷は、いま。
雑誌の記事とはずいぶんちがうみたいです。

第4回
シリコンバレーの会社で働くには?



これは20世紀の世紀末が押し迫った頃、
僕は自分のワンルームマンションで
考えていた問題です。

当時既に僕は社会人になって
日本のIT業界のある会社で働いていましたから、
そこからシリコンバレーの会社で
雇ってもらうに至るまでには
大きな隔たりがあるように思えました。

僕の考えた作戦はこうでした。

 「自分がうまく出来て、
  アメリカの人たちが苦手な分野で
  勝負するのが一番だ。」

実に当たり前のことなんですが、
これはいい作戦でした。
そして、その自分が得意で
アメリカ人の苦手な分野というのは
「日本語の取り扱い」でした。

ほとんどのアメリカ人は日本語を読むことができませんし、
色々な製品で日本語を使えるようにしろと言われても、
手探りでそれを実現するよりありません。
何より問題なのは、日本語を使えるようにしても
彼らにとっては直接のありがたみがないわけで、
遣り甲斐を感じるのが実に難しいのです。

しかし、僕には英語より日本語の方が遥かに快適ですから、
色々な製品で日本語が使えるようになるのは、
それを使う1ユーザーとしても
大きなメリットがあり、それを仕事にする価値があると
言えます。

まずは、ソフトウェアの日本語化をする開発の仕事を
シリコンバレーですればよいと考えました。

 「じゃあ、どこの会社に行けばいいのか?」

確かにそういう需要はあるにしても、
シリコンバレーの会社にいきなり
「日本語化をやりたいから雇ってくれ」といって
雇ってもらえるほど僕は英語はできませんでしたから、
これまた難問です。

そこで考えた作戦その2は、

 「日本で採用してもらって、本社に送り込んでもらう」

でした。
これなら採用面接は日本語でやってもらえるので、
一番難しい採用の部分を
うまく潜り抜けることができそうです。
シリコンバレーに行ってしまえば、
あとは何とかなるだろうと思ったのです。

幸い日本はインターネット業界では
国別で世界で2、3番目に大きい市場のため、
シリコンバレーの企業は海外展開を考えると
早い段階で日本に現地子会社を設立します。
日本○○とか、○○ジャパンという名前の会社がそうです。

そういう会社を調べてみて、
シリコンバレーに本社があり、
日本の子会社が新しく、
規模がそれほど大きくないところに狙いをつけます。
日本の子会社の歴史が何十年もあったり、
社員が何千人もいると、
なかなか思い通りには行かないと思ったからです。

さて、結果は、、、というと、
ほぼ思った通りでした。

僕が入った会社でも
アメリカで開発される日本語対応のソフトウェアは、
日本市場で成功するためには問題がありました。
そのため、日本人エンジニアを送るから
我々に作らせてくれと本社入りすることになりました。

こうして、僕は本社の面接を受けることなく
大手を振って本社の開発チームに
入ることができました。

日本語化という作業は意外に大変で、
色々な部門のエンジニアに日本語が使えるように
設計の変更を頼まなければなりませんし、
なぜそうしてもらわないと困るか、
説明して回らなければなりません。

でも、それは日本語の取り扱いの話なので、
相手はほとんどといって知識はありませんから、
英語がうまくないハンデがあるけれども、
それを補って余りある専門知識での優位性で
相手にバカされることはありません。

シリコンバレーの企業で働く
日本人エンジニアの多くが、
このような日本語化、
あるいは日本語以外の世界各国の言語でも
その製品を使えるようにする
国際化・多言語化と呼ばれる分野で
活躍しています。

ここでは日本語が分かるというのが
日本人ならではの強みになるんです。

入ってしまえばこっちのもの。
言葉さえ上達すれば日本語化とは関係のない
開発に移ってもうまくやっていけます。

日本で働いてから
シリコンバレーに行ってみたいと思った人は
僕のような日本語を扱うという専門的な
仕事を手がかりにこちらにやってくるのが
一番可能性が高いと思います。
ただ、
シリコンバレーで働きたいと思う人が
まだ学生ならば、アメリカの大学や大学院に留学し、
コンピューターサイエンスを学ぶという
選択肢があります。
卒業後にそのままこちらで就職する難しさは
アメリカ人の学生と同じですから、
考えてみる価値はあるでしょう。
英語力や同窓生のコネクションの面でこちらの方が
チャンスは広がるのは確かです。

シリコンバレーの企業で働く外国人の多くを占める
インドや中国などの場合は、ほとんどがこのパターンで
シリコンバレーにやってきます。

留学してこちらに来るパターンも増えると、
日本人エンジニアの活躍度もアップするだろうなと
思います。

上田ガク

2003-09-23-TUE


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