将棋の世界に関わるようになって、
勝ち負けについて考えることが増えた気がします。
僕が過ごしている日々の中で
勝敗がつくような場面はほとんどなくて、
もし勝敗がつくような生活だとすれば、
それをどういう風に捉えるのか。
昨日、勝つことができたこと、負けてしまったこと、
明日、勝つかもしれないこと、負けるかもしれないこと。
どれくらい振り返って、 どれくらい想像して、
嬉しかったり、悔しかったり、
その感情とどう付き合うんだろう。
日本将棋連盟のサイトで
毎日の対局の勝敗結果をチェックするときに、
ときどき、そんなことを考えます。
藤井四段は30連勝のかかった対局に負けた後、
「連勝記録はいつか途切れてしまうものなので仕方がない。
ここまで連勝できたのは自分の実力からすると出来過ぎで、
これからもまた気持ちを切り替えて将棋を指していきたい」
とインタビューに答えました。
淡々と質問に答えるその姿からは、
積み上げてきた連勝記録が途絶えた悔しさはあまり感じられず、
少し不思議な感じがしましたが、
それはきっと、藤井四段は勝ち続けながらもずっと、
負けることについて考えてきたから
なんじゃないだろうかと思いました。
負けることについて考えながら、
でも、言葉として吐き出す機会がないまま連勝を重ね、
意味や形を変えて存在していたその感情が、
30回目の対局に負けて、ようやく世にでることになった。
藤井四段の話し方が、
悲しさとか悔しさとかそういった感情とは
少し離れた場所にあるように感じたのは、
長い時間そのことについて考えてきたことが
理由のような気がしたのです。
藤井四段はその後、別の対局でも負けてしまいます。
「負けてしまったのは残念ですが、
今は強くなるということが最優先なので
それに向けて頑張っていきたい」
相変わらず、穏やかな口調で並べられる言葉を聞きながら、
悔しい、悲しい、のような瞬間的な感情がでないのは
やっぱりすごいなと感心していると、
感想戦で藤井四段の表情が変わりました。
感想戦というのは対局後に
対局者の二人で一局を振り返りながら
この手はよかった、とか、
ここでこう指されていると苦しかった、とか
それぞれの局面について検討する時間なのですが、
その感想戦の途中、藤井四段は笑ったのです。
さっきまでのクールな表情からガラリと変わって、
新しいおもちゃで遊ぶ子供のような、好奇心たっぷりの笑顔。
将棋が好きだ、という気持ちが溢れ出ていて、
それを見ていると、勝ち負けとかそういう次元の話では
ないような気がしました。
勝つとか負けるとか、そういったものの前に、
「将棋が好き、指したい」という気持ちがあって、
だから、負けて悔しいみたいな感情は、
大きなものとして存在しないのではないかと思ったのです。
ここまで書き終わった時、
何の気なしに、月刊誌である「将棋世界」の最新刊を読んでいると、
藤井四段のロングインタビューが掲載されていました。
30連勝が阻まれた、佐々木五段(現六段)戦についての質問に、
「自分としては単純に悔しい気持ちが圧倒的に大きかったです」
好きだろうがなんだろうが、
負けた時の悔しさが軽減されることはないみたいで。
勝負の世界を生きるということについては
そんなに簡単に理解できるものではなさそうなので、
勝ったり負けたりする棋士の姿を追いながら
その世界のことを想像する日々は、まだまだ続きそうです。
引用部分:
将棋世界 2017年9月号
日本将棋連盟 発行/マイナビ出版 販売
(つづく)
2017-08-26-SAT