親鸞 Shinran 吉本隆明、糸井重里。




5 戒律を守らず、何も要らない親鸞に、さて、何が残ったか。

吉本 親鸞は、後鳥羽院によって
いちど流罪になったんですが、
流罪を解かれたあとも、
京都へは帰りませんでした。
師匠である法然とは違って、
自分だけ、関東へ行っちゃうわけ。

当時、関東では日立地方が
盛んなところだったんですけれども、
その外れの、千葉県あたりに行っちゃって、
ひとりで、人を集めて
説教をはじめちゃったんです。
そこで親鸞は
お寺も要らないし、
仏像も要らねぇって、
言っちゃった。

普通の家でいい、
人が集まることができる部屋があればいい。
そこに「南無阿弥陀仏」とか、
「南無無量寿経」とか「無量菩薩」とか、
そういうのを書いた掛け軸を、
部屋に掛けておけば、それでいい。

お経も要らない。
戒律も要らない。
何も要らない。
ただ人が集まって、
世間話ができる、
そういうところがあればいい。

そこに、ただただ、人が集まる。
そういうことを、関東で
ひとりでやっちゃった。
そこが、師匠である法然との、
決別のところなんです。
まぁ、はじめっから
決別っちゃ決別なんですけどね。
親鸞は、僧侶の戒律を守ってないですから。

もう、何が、何が要るのか?
親鸞は、何も要らないんです。
「死んだら浄土へ行ける」なんて、
そんなのは嘘だ、
そうじゃなくて、
宗教(浄土教)のほうから、
普通の人の生活のところへ
逆に近づいていけばいい。
それが、親鸞の考え方なんです。
(無知をになう人は、
 浄土に行くために
 何の「手段」も「欲」も持たない。
 だからこそ、浄土に近いと考えた、
 といわれている)

ところが、親鸞はそうやって
普通の人びとに近づいていったんだけど、
もともと大知識人であるし、
坊さんの修行も何十年か、やった人ですから、
いくら「俺もお前と同じ大衆だ」といっても、
向こう(普通の人びと)が
承知してくれないわけですよ。

そこの微妙な違いが、
親鸞の浄土真宗の、核になる部分です。
彼は、真の宗教という意味で、
浄土の真宗というふうに
『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の中で
言っていますが、
浄土の真宗というのは、
まさに、そこのことなんです。

自分のほうから
大衆のほうに近づいていったんだ。
だけど、もともと知識人だし、修行もしてる。
いくら「お前も俺も同じだよ」と言っても、
みんなは承知しない。

それはどこでも同じです。
会社でも、どんな会合に行っても同じです。
僕は工場に勤めたことがありますが、
僕がいくら工員さんとなかよくしようったって、
向こうがしないですよ。
「あいつ、学校なんか出てきやがって。
 それでいい給料もらって、いい顔して」
って、向こうはそう思っているわけだからさ。

親鸞がいくら
普通の人に近づいたって、
向こうが近づいてくれないです、
ある程度以上は。

そのわずかな距離感というのが、
親鸞の浄土真宗という宗教の
根本なんです。



(つづきます)

2007-10-18-THU



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