第五回 読みやすさにもワザがあります。


連載をしばらくお休みにしてしまい
まことに申し訳ありませんでした。
今週から後半戦の開始です。
引き続きのご愛読をお願い申し上げます。

さて今回は、
文庫を読むのには欠かせない
「文字」のお話です。

新潮文庫をご愛読の方ならば、
「最近の文庫は、
 文字が大きくなって、
 とても読みやすいなあ」
とのご感想をお持ちでしょう。

新潮文庫で現在、
標準的に使用している文字は、
9.25ポイント
という大きさです。
(「標準的に」とおことわりするのは、
 文庫の内容などにあわせて、
 9.25ポイントより
 さらに大きい文字も逆に小さい文字も
 使用しているからです)

「小さい文字が詰まっている」
という印象のある文庫本ですが、
それはいまや誤解です
通常の単行本でも、
9.25ポイントに前後する
9ポイントや9.5ポイントの文字が
ごく普通に使われているので
単行本と文庫本の間には、
実際のところ
文字サイズの差はほとんどない

と言えます。

ちなみに、
90年前の新潮文庫創刊時
に使われていたのは、
7.5ポイント(正しくは「6号活字」)
という小ささでした。
現代人の私たちには、
なかなか読むのに苦労するサイズですが、
字が小さくて詰まっているのが
文庫だというイメージは、
その草創期から育てられたもののようです。


創刊時の新潮文庫 
これは小さい! ちょと読むのがつらいなあ。
それにしても「ギヨオテ」? 
「ヱルテルの悲み」? なにこれ?



こちらは現在の新潮文庫(文字は8.5ポイント)
ああ、「ゲーテ」だったんですね。

創刊当時
(7.5ポイント)
現在
(8.5ポイント)

戦後になってからの話に限っても、
やはり今では小さい印象のある
8ポイントの文字が、
昭和57年までの長い間、
新潮文庫では標準となっていました。
(昭和57年から8.5ポイントを
 平成11年から9ポイントを
 そして平成14年から
 9.25ポイントを標準使用)


教科書でもおなじみ。
太宰治の名作、『走れメロス』です。
昭和42年刊行の文庫版初版では、
文字は8ポイントの大きさ。




昭和60年に改版して文字を8.5ポイントへ拡大。
これでだいぶ読みやすくなりましたが‥‥。




今年さらに9.25ポイントへと
文字拡大して新装最新版を刊行。
メロスの激怒っぷりも迫力満点です。



歴史的には、
ゆっくりながらも読みやすさを求めて、
活字は少しずつ大きいものに移っているのですが、
逆にいうと「ゆっくり」でしか変化しえない
大きなネックがありました。
おわかりになるでしょうか。

いえ、もったいをつける
ほどのことではありません。
ずばり問題は文庫の命である
「安価」と「コンパクトさ」にあります。

活字が大きくなる
    ↓
1ページあたりに掲載できる文章量が減る
    ↓
総ページ数が増え、本が分厚くなる
    ↓
紙代もかかって、価格に跳ね返る


この4段論法を前にして、
文庫は常に大いなる悩みを抱えていたのです。

また、戦前戦後を通じて
文庫の中心読者であった学生層のニーズも、
「読みやすさ」より
はるかに「安価」にその重点がありました。

しかし、
昭和も終わりに近づくと、
かつての学生層や70年代の文庫ブームによって
文庫で読書をする習慣を
身につけた人たちも年齢を重ねており、
文庫読者の年齢層は中学生から老年の方まで
かつてないほど幅広くなっていました。
さらに、新聞の活字も各紙で大きくなるなど、
一般的に大きな文字が
求められる時代にもなっていました。

そしてその一方で、
印刷・製本の技術進歩が進み、
製作のコストダウンがはかられ、
薄くて丈夫な安い紙も開発され、
文字を大きくしてページ数が増えても、
さほど価格には反映させずに済むようになりました。
(実際、値上げしていない書目もかなりあります)

もちろん、
「大きい文字が読みやすい」と言っても、
文庫が妙に分厚くなったり、
ページあたりの文章量が少なくなって
せわしなくページをめくるのでは、
かえって読書の邪魔になります。

現在の新潮文庫が、数字上は中途半端な
9.25ポイントという大きさを採用しているのは、
その読みやすさの絶妙なバランスを狙って
印刷会社にも協力をあおいで
研究した結果
なのでした。
(9.25ポイントという大きさは、
 文庫版『オトナ語の謎。』P.314にも登場する
「錦明印刷さん」からの提案でした)

こうして平成14年から
9.25ポイント文字の登場となったわけですが、
じつはまだ懸案が残ります。
これから新しく出版する文庫本を
大きな文字で刊行していくのは当然として、
すでに刊行されている
小さい文字の文庫はどうするのか。


はい。
これもきちんと解決しています。
新潮文庫では、すでに刊行されていた書目も
印刷の「版」を「改めて」
大きい文字に切り替えて行く「改版作業」を
以前から積極的に進めていたのです。
たくさんの書目があるだけに
改版作業は地味ながらも
相当な時間と労力がかかるのですが、
現在販売している文庫の
総点数の3分の2近くは、
すでに9ポイント以上の大きい文字を使用
しており、
8ポイント以下の小さな活字を使った文庫は、
早ければ年内にもなくなる予定です。

文字拡大の改版作業は、
特に年配の方の人気が高い
時代小説などを優先して進めてきました。
一昨年には、
新潮文庫の中でも大人気シリーズである
池波正太郎さんの『剣客商売』を
装画もあらたにして新装改版しましたが、
刊行直後から
「番外編も文字が大きい文庫にするの?」
「池波さんの他の作品は、
 いつ読みやすいのになりますか?」等、
文字拡大に関するたくさんの
お問い合わせをいただき、
「半年くらい先でも
 いまのを買わないで待つぞ」
という、うれしいやら
悲しいやらのお電話まで頂戴致しました。
読書界における「バリアフリー」も
着実に世の中に浸透しつつあるようです。

それでは、つぎの秘密をおたのしみに。
2005-07-05-TUE
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