DOCTOR
darling人体実験シリーズ。
少林寺気功教室に通う。

第1日の2 研究心もないままに。

なんという名前の場所なのだろうか。
道場、稽古場、治療場、広間、なんと呼ぶのか知らないが、
受講生だか生徒だか講習生だか、
これまた何と呼べばいいのかわからない人々が集まる。

張りつめた空気!
などは、まったくない。
一人がひとつ、
人間一人分くらいの大きさの「お手玉」みたいな
クッションを敷くことになる。
これが、お手玉のような構造なので、
イスにも枕にも座布団にもベッドにも使えるのだ。
ぼくは、最初は座イスのようにカタチを整えて、
半身起こした姿で秦先生に対面していたが、
隣の先輩がベッド状にして寝そべっているのを見て、
それに倣った。
先輩のやる通りにしているほうがいい、
というより、寝そべるほうがらくちんだからだ。

「身体の悪いところを、こちらに向けるように、
してください。どんな格好でも失礼でないですよー」と、
秦先生が言ってくれる。
痔の悪い人などは、
「校門(あえて誤字)」を向けるのだろうか、
髪の毛の悪い人は、ハゲの部分を向けるだろうか?
などと、つまらないことを思ったけれど、
ぼくは、ただ漠然と寝ころんだ。

「はい。目を閉じてリラックスしてください。
手をラクにしてください、腕をラクにしてください、
肩をラクにして・・・・」
言われるままにラクにしていると、
気持ちがどんどんゆるんでくる。
ああ、もうどうなってもいい。
「寝てしまってもいいです」とまで言ってくれる。
秦先生は、たえず、あじめのうちは何か語りかけていたが、
こちらは、聞いているような聞いてないような感じ。
そのうち、先生もまったく無口になった。

そう言えば、なんか音楽が鳴っていたっけ。
いわゆる、ヒーリング系のミュージックね。

あまりにも漠然としているので、
後で人に伝える時に困ると思って、
薄目を開けて、先生を見た。
なにか、ゆっくりと踊るような動きをしている。
ずっと見ていても仕方がないので、
「ああ、そういうようなことをしているのか」
と確認しただけで見るのをやめた。
そのうち、起きている感じが薄らいでいたから、
たぶん、少し眠ってしまったのだろう。
こういう場面では、ぼくは必ず眠る。
何と言っても、歯医者で寝ちゃうくらいの豪傑です。

「はい。起きましょう」
と言われて、目を醒ましたのかもね。
もっと、ずっと横たわっていたかったなぁ。
でも、仕方がない、全部で25分くらいの感じだったか。
気持ちよかったですね、この時間。
自分では何もしないで、どこにも触られてもいない。
外から見たら、幼稚園のお昼寝タイムみたいなものだ。
幼稚園というには、年寄りが多すぎるけど。

立ち上がったら、ラジオ体操のように、
先生のまねをして身体を動かす。
こっちは、「内気功」といって、
自分で気をコントロールする身体の動きらしい。
さっきまでの、先生のほうがぼくらの身体に対して
もんにゃりもんにゃりと何かしていたのが、
「外気功」という治療的な行為だったらしい。
「内気功」を憶えないと、
治療されるだけになってしまう。
いつでも自分の力で
自分の身体のメンテナンスをするために
必要なのが「内気功」というわけだ。

「気を意識しないでやると、ただのラジオ体操に
なってしまいますから」と、先生が語る。
たしかにそうだ。
動き自体は、ものすごくゆるやかだから、
運動としてはほとんど意味がないのではないか。
それよりも、呼吸といっしょに気を意識して
動くことが大事らしい。
その感じは、やっていてもよくわかる。

かつてのぼくだったら、
もっと研究して、早く身に付けるためにどうすればいいか、
盛んに考えたにちがいない。
しかし、今回の場合は、ぼくは
「何も考えてない老人」になろうと思っていた。
ただ通っているだけで「いいみたい」と言えるのが、
いちばん良いではないか。
強くなりたいとか、敵を倒したいなどという野心は、
いまのぼくにはまったくないのだから。
あとで、本を見ると、ここでの動きは、
【四段功】というものらしい。
ま、おいおい、そういうことも知るだろう。

これも、約20分くらいやったかなぁ?

以上、おしまい、なのである。
みんなに、けっこう高級そうな中国茶が配られて、
それを飲みながら、静かに語り合う。
秦先生が「質問は、ありますか、なんでもどうぞ」と。

(さらに、もったいぶってつづく)

2001-04-27-FRI

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