今日のセンセイ
総集編・その8

高校時代の美術教師のTセンセイ、
個性が強烈で、怖い中年男性。
油絵の指導中、
生徒の間を回りながら、
「コバルトっ!
 コバルトが出てなーい!
 コバルトをもっと使え!!」
と、のたまってパレットに
コバルトブルーの絵の具を
惜しげもなく出していく。
二巡目には、言うだけでは足りず
キャンバスにコバルトを
塗りたくっていく。
美術の授業が始まったら
とりあえず、まずはパレットに
コバルトブルーの絵の具を
出すことにした私。

二十数年がたち、
すっかり忘れていたが
最近、地元の新聞の訃報欄に
Tセンセイの名前が!
職業が、なんと「洋画家」!
知らなかった‥‥!
高校生の相手ではさぞ、
物足りなかっただろうね。
偉い洋画家だったのね。
油絵は全然上達しませんでした‥‥。

センセイとの距離:絵の具1個分

観察人(富山県・今は農家の嫁)



わたしが通っている歯科医院のセンセイ、
気さくで、治療も丁寧なのですが、
ひとつ難点があります。

治療のために
くちを大きくあけているわたしに向かって
ものすごく話しかけてくるんです。
気さくさ、ゆえ、なのか‥‥?

世間話のようにも聞こえる語りかけに
答えるべきなのか、
聞き流しておけばいいのか、
いつも迷ってしまい、
「ムガウガ‥‥」となってしまいます。

センセイとの距離:接近戦

観察人(仙台市・くきわかめ・30歳)



高校のとき、選択科目があり、
他の教科よりはいいかなぁと
ろくに絵など描いたことがないのに
美術を選択していました。

慣れない油絵の具を使って
静物画を描く授業のとき。
いくら塗っても立体感の出ないわたしの絵を
じっと見つめていたセンセイ、
おもむろに「洋なし」の部分だけ
手をくわえてくださいました。

結果、平面なのにそこだけ
「飛び出す絵本」のような
奇妙な油彩画が仕上がりました。

センセイとの距離:才能の差

観察人(さいたま市・翔子・29歳)



高校生のとき、
「女子は、制服のスカートの下に
 ジャージをはいてくるな!
 みっともないだろう」
と怒ったTセンセイ。
サンダルばきで学校に来て、
校門で校長先生に怒られていたのを
私たちは知っています。

センセイとの距離:人のふり見て!

観察人(埼玉県・きるり・30歳)



わたしが所属していた弓道部には、
古いしきたりが残っていて
なんと、男子は女子部室に、
女子は男子部室に入室しては
いけなかった。

高2の夏休みのこと。
顧問が「かみさんに頼まれた」といって
小学生の娘さんを連れてきた。
ただでさえメイワクなのに、
その娘は、なぜだか男子部室が
お気にめしたようで
一度入ったら出てこなかった。

‥‥生徒よりも、自分の娘の心配をしろと
のどまで出かかったが、
やめておきました。

センセイとの距離:道場から的まで28m

観察人(当時は「与野市」・31歳)



うちの子どものかかりつけの
小児科は、病院らしくない造りで
待合室もぬいぐるみなど沢山ある。
先生が診察室
(と、言っても普通の部屋のよう)から
名前を呼ぶ。
「○○ ○くぅ〜ん♪」
病院ならではの緊張感や恐怖感を
子どもに与えないのがモットーらしい。

で‥‥、うちの子のときは必ず
「○○ 晋之介くぅ〜ん♪」
「いっやぁ〜実にいい名前だ!
 うぅ〜ん実にいい」
と、毎回感嘆の連続!
姓名判断に来たわけでは‥‥と
思いつつも
ちゃんと症状にあった薬も
出してくれるからいいか??
名前を誉められると
重い病気にもならないような
気さえしてくる。

センセイとの距離:
  あと2年(小児科→内科)

観察人(札幌市・米は豊作がよい・41歳)



中学3年のとき、
産休の代理講師かなんかで、
まだ学生だったはずの若い男の人が
美術のセンセイとしてやってきました。

関東の美大で好きな絵を描いていたのに、
地元出身だからといって
関西に呼び戻されて、
本人としてはかなり不満も
あったようです。

授業のことは覚えてませんが、
ほかの(正規の)先生たちからは
完全に浮いてしまっていて、
本人もかなり辛かったと思います。
中学生が見たってわかるんですから。

面白かったのは、修学旅行にまで
引率としてつきあわされたとき。
先生たちの集団よりも、
私たち4人ほどの女子グループと
一緒にいる方が気が楽だったようで、
行きの電車の中では、
ずっと私たちと遠足気分。
中学生相手に、
ペパーミント味のものを食べると
煙草を吸いたくなる、
なんて余計なことを教えたり。

夕食の時は私たちのテーブルに
べったり座り込んで、
誰かが残そうとしたエビフライの尻尾を
「もったいない」といって
自分で食べちゃったり、
「オレ先生なんか向いてないよなぁ‥‥」
なんて言いながら一人一人に
しみじみお茶をいれてくれたり‥‥。
しまいに自分の母親ほどの年齢の
女性教諭から叱られていました。

センセイとの距離:年の差あまりなし

観察人(兵庫県・エイプリル・41歳)



午前中の、いつも人があまり
集まらないひっそりした講義中に
教授が、
「行き倒れ、っていうのは、
 かなり理想的な死に方だと
 思うんですよ」
と、ぼそっ、と。

哲学史の講義で、
恐らく古代の哲学者の半生についてを
教えて下さってた時だと思うのですが。

半分寝かけていたのに
そこですっかり眠気が引き、
思わずまじまじと先生を見た時の、
あの、ちょっとうっとりした感じのお顔が
今も忘れられません。
(講義の内容も今やすっかり
 忘れちゃっているというのに‥‥)

‥‥ 先生、お元気かなあ。

センセイとの距離:
 実践してないでほしいなあ

観察人(いち・龍大卒業生)



中学のときの担任、福永先生は、
とてもまじめな数学の先生でした。

中間、期末テストの
監督をされるときには、
時間の無駄のないように、
テストをしている横を
ほうきで掃除したり、
教室の外の花壇の水遣りなどを
されていました。

正直、テストをしている
生徒にとっては、迷惑でした。

センセイとの距離:伝わるものはある

観察人(東京都・ガラシャ・38歳)



中学のときの話。
コワモテの数学の関先生は、
暴力もふるわなければ、
あまり語りもしない昭和ヒトケタの
堅物タイプの先生でした。

冬の寒い日に何気なくみんなが
「さむー」だのなんだのと
嘆き騒いでいたら、
「だから冬だ!!!」と怒鳴られました。
関先生、多く語らずして、
生徒をだまらす‥‥。

当たり前なんだけど、
みょーに納得した一言です。

センセイとの距離:ひとこと

観察人
(東京都・九州の冬は意外と寒い・30歳)



高校生の頃、
足の巻き爪が食い込んで
化膿して痛くて、
近所の病院にいったときのこと。

処置をしてくれた後先生は
「じゃあ、痛くなったら
 また来てくださいね」。

痛いから行ったんですけど‥‥。

その時の看護婦さんは
「痛々しいわねー」と言いながら
包帯を巻いてくれました。

センセイとの距離:包帯1本分

観察人(茨城県・ふいづ・30より手前)



中学の時の数学のJ先生は、
問題の答え合わせ等の後に
「解らない所がある人ー?」と
聞いてくれるんだけど、
「はーい」と手を挙げた
生徒達に向かって、
必ず「ん!解れ!」と答えていた。
その瞬間には、「なんじゃそりゃ」
と思ってしまうのだが、
すぐに
「‥‥なんて言われても解らんよなぁ」
と付け足して、ちゃんと説明をしてくれる。

実はこのネタは、
J先生が学生の時に教わった先生が
言ったもので、
「オレも教師になったら絶対使おう!」と
心に決めていたらしい。
でも、
「オレが教わった先生は
 『解れ!』って言った後に
 結局教えてくんなくてなぁ(笑)。
 それじゃ解らんままじゃけー、
 おまえらには教えるぞー」
と、嬉しそうに授業を続けていた。

でもね。授業のたびに
そのネタを使うのはどうかと思うよ?

センセイとの距離:教員住宅まで歩いて5分

観察人(静岡・赤いおさかな・27歳)



中学で理科を習った植村先生が
授業中にものすごく怒り出しました
(何故かは忘れてしまったんですが)。

私は一番前の席だったので
先生と目を合わせられず、
思わず下を向きました。

するとそこには先生の足が。
そして先生の上履きには
ふたつの「う」の文字。
ひらがなで
あんまり綺麗じゃない字で「う」。
そのシンプルさ、
間抜けさに震えました。

先生の真剣なお説教は延々と続き、
私は笑えない苦しい時間を
必死にこらえていました。

センセイとの距離:
  永遠とも思える時間ぶん

観察人
(大阪府・「植村」の「う」・25歳)



小学1年生のときの担任は、
若い女性でした。
確か、入学して間もない音楽の時間。
ある男子が、日頃いじめられがちな
別の男子のことを、
ガッチャマンの替え歌で
揶揄していました。
それを耳にした先生が、
かなりの剣幕で叱り始めました。
途中からは、涙さえ流して。

傍で見ていた私たちは、なにぶん6、7歳、
人を傷つける卑劣さも、
人に傷つけられる悲しみも、
まだまだ想像だにできず、
正直言って、
なぜ先生がそこまでするのかが、
理解できていませんでした。
事の重大さよりも、
オトナが目の前で泣いている、
しかも先生が‥‥という
状況に驚いていました。

先日、教員異動の新聞別刷りで、
退職者欄にこの先生の名を見つけました。
先生、長年お疲れさまでした。
30年経っても、
先生の教育姿勢は記憶に残っていますよ。
それから、先生は2年後
別の学校に移ってしまいましたが、
5年生で再び同じクラスになった
上記の悪ガキは、
けっこう良いヤツに成長していましたよ。

センセイとの距離:
  大事なことが伝わるくらい

観察人(神奈川・漆花・36歳)



小学校の時の担任の先生は、
学校でも有名な名物先生でした。
カラスを餌付けしてなつかせたり、
雪が降っている日の授業中に
いきなり
「うおおお〜! もうガマンできない!
 雪合戦だー!」
と叫んで校庭に飛びだして
その時間を勝手に雪合戦に
変えてしまったり。

クラスの時間割には
「?の時間」というのが
週に2〜3時間くらい入っていて、
先生がその日の気分で
何をするか決めるのです。
大抵は遊びで、天気のいい日は
ドッヂボール大会や縄跳び大会など。
雨が降れば先生オリジナルの
ゲームをしてました。

今思うとたぶん
道徳の時間とかだったと思うのですが、
それにしてもそんな事して
大丈夫だったのか?
それを許していた学校も、
おおらかだったんだなあと思います。

センセイとの距離:
  精神年齢も近く感じていた

観察人(神奈川・ほのほの・34歳)



中学のときの担任、福永先生は、
体育祭の日に、
我が校に通われる息子さんの、
校章の入った体操服を着てこられました。
おそらく私たちの闘争心を
沸き立たせてくれる
おつもりだったのでしょうが、
実際には、ブーイングの嵐でした。

センセイとの距離:グラウンド1周ぶん

観察人(東京都府中市・ガラシャ・38歳)



小学生の頃、
まったく片付けの苦手な血液B型の担任が
自分の机の中から
ビニール袋に入った緑色の物体を手にし
「おぉ!これはなんだ」
と感激していました。

単に食べなかった食パンのアオカビ姿‥‥。

「きけん〜」
「すてよ〜」と
児童が叫ぶなか、
「これはおもしろい!
 どうなるか実験だ〜」
と教室に作り付けの
木製キャビネット最上段に置き
満面の笑みを浮かべながら
「危険なので、
 くれぐれも触らないよーに」。

数ヵ月後、
まったく誰の手にも触れなかった
学期末試験の問題用紙の束と共に
ビニール袋の中で
まっくろなススになって発見された
元・食パンよ‥‥。

「これは全く危険なので、
 なかったことにしよう」
と神妙な面持ちでゴミ箱へ捨てていた先生よ。

ちなみにチーズ作りに参加させられた
牛乳パックも数知れず‥‥。
もちろんチーズではない何かに
変身してました!

二日酔いでタクシー通学もいつもの話。
「酒臭いから、今日は寄るな〜」
そんなセンセイも、数年前に他界しました。
いい時代だったなぁ…

センセイとの距離:
  パンが黒くなるまでの日数

観察人(北海道・かえるの子・30歳)



中学のときの担任、福永先生は、
近眼でめがねをおかけになっても、
あまり視力がよくなかったようです。
ある日、私が1階の教室の外の庭を
歩いていたとき、教室の中から、
「そのごみを拾いなさい」
と福永先生がおっしゃいました。
そのごみは思春期の女の子私には、
とても拾いにくい、
エロ本の切れ端でした。
私は真っ赤になって、
その切れ端を福永先生に
差し出したのを覚えています。
今の言葉で言ったら、セクハラでした。

センセイとの距離:視力の差

観察人(府中市・ガラシャ・38歳)



ホントのセンセイじゃありませんが‥‥。
とある劇団(かなり有名)の
お手伝いをしていた時。
座長が、稽古場を借りた時の話を
してくれました。
「ココはちょっと家賃が
 高かったんだよね。
 でもみんなで頑張ろう! って
 言って決めた。
 なんていうのかなぁ‥‥。
 心にビンボーの垢を
 つけたくなかったんだ」

トップ中のトップにいる方なのに、
ファンに毛が生えた程度の
スタッフ達にもプロとして接し、
金銭のギャラよりも得難い
「プロ意識&プロ根性」を
養ってくれたセンセイ。
貧して鈍しそうな時は、
いつも思い出しています。

センセイとの距離:プロとアマの差

観察人(神奈川県・めぎ・30歳)



中学のとき通っていた塾の
ビトウ先生は
「硫酸つば」と恐れられていました。
たいへんな大声で
怒鳴るように授業をなさるのですが
最前列は、つばの嵐なのです。
しかも、そのつばが服に付くと
色が抜けてしまう!
という噂が広まり
とくに女子たちは、
なるべく後ろに座るべく
かなり早くから教室に入っていました。
ぼくは遅刻癖があったので
いつも前のほうに座らされてしまい、
そのうちさぼるように
なってしまいました。

センセイとの距離:わずか50センチ!

観察人(港区・C'Z・29歳)



大学の先生のお住いは、
学校の中でした。
家が近いと遅刻しがちなのは、
先生も一緒。
1限目の授業は、
寝癖と、パジャマと紙一重の服で登場。
昼間に、学食とかであうと、
ちがう服を着ていた。
どうも、毎度1限の授業のあとに、
ダッシュで家に帰って
着替えてきていたらしい。

センセイとの距離:校内

観察人(千葉市・さかみち・26歳)



国語教師のA先生は、
生徒になにかを問いかけて、
誰も答えられなくなると、
膠着状態を打破するために、
「隣のクラスの生徒が
 こんなことを
 質問してきたんだけどね‥‥」
と言い、授業を展開させる。
むろん、隣のクラスでも
同じことを言っている。
そんな生徒は
どこにもいないということを、
ぼくらは知っていましたが、
いてくれたほうが
話がスムーズに進むので、
黙っていました。

センセイとの距離:なぜか人気教師だった

観察人(徳島県・トリコロール)



ぼくの高校の体育教師は
うすい色のサングラスをかけ、
剃っても剃っても青いひげのあとのある、
いわゆる「コワモテ」にくわえ、
竹刀を持ち歩いています。
でも、ぼくは知ってるんです。
こどもを見かけると、しゃがんで
幼児ことばで話しかけることを。
ネコや犬を見かけても
赤ちゃんことばで「会話」を
楽しむ人であることを。

センセイとの距離:
 それでも自ら近づこうとは思わない

観察人(さいたま市・かんたろう)



小学5・6年生のときの担任の
大村先生(男性)。
どうしても教師になる夢が
捨てられず、脱サラしてまで
教師になった新米先生でした。

わたしたちのクラスが
初めての担任で、いつも
「オレは金八先生みたいになる!!」
が口癖。
卒業式のあとの
最後のホームルームのとき
先生が先頭を切って泣いてしまい、
それをきっかけに
みんな号泣しました‥‥。
果たして、「金八先生」には
なれたのかなあ。
とってもいい先生でした。

センセイとの距離:机1個ぶん

観察人(岡県京都郡・かみこ・36歳)



中学時代の美術の先生は
松本先生でした。
とても熱心な先生で
よかったのですが、
その教材は、中学なのに、
裸体が多かったのです。
だから先生のあだなは、
スケベの松本、
略して、「スケマツ」だったのです。
私が2年になったとき、
新入生に美術のスケマツは
熱い授業だよ! なんて
話していたのですが、
その新入生が、
松本先生に向かって、
「スケマツ先生、
 僕美術部に入りたいんです」
といってしまったことがありました。

センセイとの距離:ちょっと遠のいた?

観察人(府中市・ガラシャ・39歳)



小学1年の時の担任のセンセイ。
毎日のように
給食が残ってしまうことを、
もったいないと感じたセンセイは、
いつも一人でがんばって
食べてくれました。
あるとき、食べるのが
苦しくなってきたセンセイは
思いついたらしく、
「はいー、一列にならんで、
 口あけてー」
と、まるでえさを待つ小鳥のように、
私たちを整列させ、
しゃもじで小さく作ったおにぎりを
ぽこぽこと口の中に
放り込んでいきました。
それが、なぜだかすごくおいしくて、
「センセー、おにぎりやってー」
と、みんなこれを目当てに
残すようになりました。
センセイ、まだおにぎりやってるのかなー。

センセイとの距離:しゃもじ1コ分

観察人(徳島県・わたぼうし・25歳)



高校1年のときの
センセイのあだなは「ブル」。
ブルブルふるえてるから「ブル」。
なんでふるえるのかなーと思ってたら、
アル中だったらしく、
駅でワンカップ片手に
電車を待っているのを目撃した、
という子がいた。
‥‥笑えない。

センセイとの距離:大関1人分

観察人(東京都・ぐりこ・29歳)



私の研究室の真面目で
かっこいい助教授の先生には
中学生の息子さんが
2人いらっしゃいます.
先生のお話では、
息子さんはラブレターを
もらってきたりと
女の子に人気がある様子です。
そんな先生に
バレンタインのチョコを持っていくと
「あーよかったぁ!
 息子たちもらってくるからねぇ。
 これで父親の面子が保たれる」
と、おっしゃいました。
その正直さに笑ってしまいました。
やっぱりステキです

センセイとの距離:チョコ1個ぶん

観察人(福岡県・ふく・23歳)



中学3年のときの担任O先生。
ある日、受け持ちの
体育の授業の際に
ものすごく怒った様子で
体育館に入っていらっしゃいました。
何でも学年主任の先生に
女子に対して貞操教育を行うよう
言われたとのこと。
では、男子に対しても
同じ教育をしようと提案したところ
男子には必要ないと
言われたそうです。
それはおかしい! と
断ったと言う先生。
あの時、男女平等の精神を
深く学びました。
先生、今私は法律家を
目指しています。

センセイとの距離:あれから10年

観察人(岐阜県・カルシウム・24歳)



高校時代の数学の熱血先生は
大の阪神タイガースファン。
しかも脱線話が大好きな先生でした。
私が高校生の時は
阪神が万年最下位で、
ファンだということを
口にするのもはばかられるような
時代でした。
ある年、開幕から阪神が
絶好調で久しぶりに首位に立った時、
誰かが授業前に黒板にデカデカと
「阪神タイガース、首位!!」
と書きました。
それを見たその先生は
「おまえらなぁ‥‥」と
苦笑いしながらもかなり嬉しそう。
話したくてうずうずしてるのが
わかります。
そうなるとしめたもので、
そこから1時間まるまる阪神ネタの話で
終わりました。
例えばいかにあの場面でのプレーが
すばらしかったか、
いかに監督の采配が優れているか、
などなど。
しかも首位に立つたびに黒板に書いても、
毎回必ず話をしてくれるのです。
高3で受験なのに、
そんなに授業しなくてもええんかい?
と思ったけど、
とにかく話がおもしろかったので
その頃の私は勉強よりも
必死で阪神の応援をしておりました。

センセイとの距離:1時間

観察人(大阪府・もうすぐ三十路)

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