ひとりでビルを建てる男。
ひとりでビルを建てる男。
岡啓輔さんの、
蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)ができるまで。
最新の記事 2006/11/22
 
【15】お母さんが上京!



ミキサーの前に建つ岡さん
(クリックすると拡大します)


大変です。岡さんのお母さんが
上京してくることになりました。
工事の進み具合を心配して見に行くことにした、とのこと。

お母さんは、福岡県の筑後市に住んでいます。
岡さんもそこで育ちました。
子どものころの岡さんは、
心臓の病気を患っていて、夜になると痛み出すので、
毎晩のように泣いていたそうです。
おまけに、絵が好きなのに色弱でした。
身体の弱い岡さんを、
お母さんはずっと心配していたといいます。

学校を卒業してからも、お母さんの心配は続きました。
岡さんは振り返ります。

「就職をした住宅会社を一年で辞めると言い出して、
 そのときは一晩中、辞めないように説得されましたね。
 その後も僕は、ラブホテル街に住んだり、
 大道芸で食ってたりしたから、
 何年かに一回は上京してきます。
 心配で見に来るんです」

■「建築を設計する人になりんしゃい」

実は、岡さんが建築の道を歩むようになったのも、
お母さんの影響を受けてのことでした。
小学校の成績はよかった岡さんでしたが、
中学生になって次第にグレるようになり、
試験の答案も白紙で出すようになっていきました。
勉強しないでいたら高校も行けなくなるよ、
とお母さんから諭されると、岡さんは
「高校は行かない。僕は大工になる!」
と主張したのでした。
するとお母さんは、
だったら近所で家を建てている現場があるから、
柱を一本かついでもってきなさい、と言います。
やってみると、重くてぜんぜんできません。
ひ弱だった中学生の岡さんに、
それはとうてい無理でした。

「それみい、オマエは基本的に体力がないけん、
 大工なんかできるはずがなかと」

そう言われて、岡さんは泣きました。
お母さんは得意げに続けました。
「そんな啓輔にいいことを教えてあげる。
 建築を設計する人になりんしゃい」

建築の設計とはどういう仕事なのか、
まったくわかっていなかった岡さんでしたが、
建築の図を描くのだと説明され、
なんだか面白そうに感じて、
「じゃあ、それをやるよ」
と答えたのでした。

岡さんは学校の勉強はできるのです。
しかし、なにせ試験をまともに受けていませんから、
成績は公立高校に進めるものではなくなっていました。
唯一、進学できそうなのは、
内申書をあまり見ずに入試の結果で合格できる
国立の高専(工業高等専門学校)のみ。
というわけで、岡さんは
有明高専の建築学科に進学することになったのです。


地下工事現場
(クリックすると拡大します)



■現場をまる一日見て過ごす

10月の下旬に、ついにお母さんはやってきました。
蟻鱒鳶ルの現場を訪れると、
思ったことをそのまま口に出します。

「業者に頼んで鉄骨ば、バーって建てんね。
 そしたら早かたい」

でも、岡さんの仕事ぶりを一日中、間近に見て、
少し安心してくれたようです。
次の日からは銀座に出かけ、
映画を見たり買い物を楽しんだりしていったとのこと。
「この建物はこういうつくり方しかないんだ、
 とわかってくれたのでしょう」と岡さん。

10日間ほど滞在して帰ったお母さんでしたが、
建築の図面を描いて残していったそうです。
押入れの幅はこれくらとか、
主婦の知恵みたいな説明図にまじって、
クルクルとらせんが描いてある不思議な概念図も。
岡さんにも意味がわからず、
何が描いてあるのか尋ねましたが、
教えてくれなかったそうです。
「基本的にものをつくるのが大好きな人なんですよ。
 自分の家の間取りを描いたり、
 服をつくって子どもに着させたり、
 いろいろやってましたから。
 ツメ襟の学生服までつくろうとした時は、
 さすがに止めたけど」

そんなお母さんのDNAを
受け継いでいる岡さんなのでした。


現場に搬入されたコンクリートミキサー
(クリックすると拡大します)

 
 
ご感想はこちらへ もどる   友だちに知らせる
©HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN All rights reserved.