第2回ドキュメンタリーが追う事実、
フィクションが描く真実。

──
ご本人の意識とは関係ないところで
佐々木監督のドラマ作品は
「一般の人」を起用しているという点で
ときに
「ドキュメンタリー調」と形容されます。
佐々木
ぼくは一貫して
フィクションをやってきたんだけどね。
──
はい。

そこで、ひとつ、おうかがいしたいのですが、
ドキュメンタリーとフィクションのちがい、
あるいはフィクションの魅力って
どういうところにあると、思われますか?
佐々木
ドキュメンタリーは「事実」を追求するけど、
フィクションは「真実」を描くよね。
──
おお‥‥なるほど。
佐々木
ドキュメンタリーは事実を積み重ねていって、
事実によって語らしめるわけだけど、
その点フィクションは、
完全に「架空の世界」を描くことができます。

われわれ映像作家は
そこに「真実」を、ひそませるんだ。
──
ドキュメンタリーが追うのが事実で、
フィクションが描くのが、真実。
佐々木
そう思うよ。
──
盲点でしたけど、とても納得しました。
佐々木
あと、ドキュメンタリーとちがって
フィクションって抽象性を描けるんだけど
「物語」には
ある種の抽象性がないと、ダメだと思う。
──
たしかに、佐々木作品には
説明的な場面って、ほとんどありませんが、
物語に抽象性が必要なのは、なぜですか?
佐々木
観ながら考えるからですよ、観客が。
自分の頭で。
で、観客に考えてもらわなきゃ、深まらない。

作品ってのはさ、何だろう、
何もかも与えちゃったら、つまらないんだ。
ヒナ鳥にエサをあげる親鳥、
みたいな役割なんて、おもしろくも何ともないよ。
──
観て、自分の頭で、考える。
佐々木
観ている側だって
そっちのほうが、おもしろいんじゃないかな。

だから僕は
極力「説明しない」ことでやってきたんです。
それは、観客だけでなく、
出演者に対しても同じなんですけどね。
──
演技を指導するということは、しない?
出演者は「一般の人」なのに。
佐々木
別に、いじわるで教えないんじゃなくて、
自分の頭で考えてほしいんです。
──
その場面や、セリフの意味を。
佐々木
で、それができる人に、
これまで、出演してもらってきたんですよ。

僕が、手取り足取り出演者にへばりついて
「ハイ、そこで目線こっち頂戴」
とかやっちゃうと
話がグニャグニャになっちゃうんでね。
──
なるほど‥‥。
佐々木
僕の作品のなかでは、
その人が、
あたかも本当にその場で呼吸しているように
生き生きしてもらわないと困る。

もちろん台本だってあるんだけど
「このセリフは、こういう感じで言ってくれ」
とは、まあ、言いませんねえ。

▲『ミンヨン 倍音の法則』の台本。

──
つまり、一般の人のなかから
これはと思える人が見つかるまで探し続けて、
口説き落として、
苦労してキャスティングするのは
「登場人物を生き生きと描く」
ための、ひとつの方法だっていうことですか。
佐々木
まあ、そうとも言えますかね。
──
お聞きしていて、監督が好きな「物語」って
どのような作品なのか、気になりました。
佐々木
映画監督で言えば、まずは、キューブリック。

キャリアの初期のころに撮った
『現金(げんなま)に体を張れ』なんか最高。
──
こう言ったら変かもしれませんが、意外です。
ぜんぜんちがいますし。作風。
佐々木
第一次大戦ものの『突撃』の最後のシーン、
ドイツ軍への突撃命令を
実行できなかったフランスの兵隊たちに
銃殺刑が言い渡されるんだけど
酒場にドイツ人の女歌手が連れて来られて、
歌を歌わされるんだよね。

で、その歌に、兵隊さんが心奪われちゃう。
──
ええ。
佐々木
まったく素晴らしいシーンですよ。

キューブリックは、
最後、あのシーンを撮りたくて
それまでの90分を撮ったんじゃないかって
思うくらい。
──
それほどまでに。あらためて観てみます。
佐々木
一般人ばかり使うもんだから
あんまり予算を割いてもらえなかった
僕のテレビドラマと同じで、
その『突撃』って作品も
ほとんどお金かかってないと思うんだけど
そのへんも、いいなと思う。

でも、その一方で、
18世紀のヨーロッパが舞台の歴史物の‥‥
あれ、なんて言ったっけ。
──
『バリー・リンドン』ですかね。
佐々木
そうそう、ああいう、
お金のかかった大作も撮れちゃうところが
あの人のすごいところだよ。

芸術家であると同時に、
視点が極めてジャーナリスティックだしさ。
──
では、佐々木監督にとって「物語」とは
どういうもの、なんでしょう。
佐々木
それは、たいへん難しい質問ですけど
たとえば
ドフトエフスキーの『罪と罰』って小説が
ありますよね。
──
ええ。
佐々木
若者が、管理人の部屋の前を通って
アパートから表通りに出て、
雑踏に紛れ込んでいく‥‥という描写から
はじまる物語です。
──
はい。
佐々木
読んでるこっちは、あの筆で
すうっと
主人公ラスコーリニコフになりきれちゃう。
──
ドストエフスキーの描写で?
佐々木
そう、ものすごい筆力、描写力だと思います。

つまり「物語」というのは
「主人公がいないと成り立たない」んだけど
これを逆に言えば、「物語」というのは
「主人公から目を離さない」のが、絶対条件。

「物語とは何か」という質問に対して
ストレートな答えじゃないかもしれないけど、
「組み立て方」で言うなら
物語って、そうやってできているものですよ。
──
おもしろいです。
佐々木
読者は、主人公といっしょに歩くんです。

主人公の前へ出てみたり、後ろへ回ったり、
追いかけて、追い越して。
音楽で言えば「フーガ」みたいにしてね。
──
ええ、なるほど。
佐々木
「主人公」がよろこべば「私」もよろこび、
「主人公」が悲しめば「私」も悲しむ。

弾めば弾むし、しぼめば、しぼむ。

小説とか映像とかの形式はともかく、
それこそ「物語」だろうと思うけど、僕は。
──
とても明解です。
佐々木
他の人は知らないですよ。聞いたことないしね。

ただ、バルザックの『ゴリオ爺さん』でも
爪のカタチがどうのこうのって、
何のためにそんな描写してんのと思うけど、
いつの間にか
「ゴリオ爺さんになっちゃう」んだよなあ。

読んでる僕らが、ね。
──
主人公を描写することで
「物語」が転がっていく‥‥というのは
佐々木作品にも通じる気がします。
佐々木
だから敢えてテクニック的なことを言うなら
ストーリーに「焦ってる」作品って、
読んでいても、ぜんぜんおもしろくないよね。
──
なるほど。
佐々木
ドストエフスキー自身が
ラスコーリニコフって主人公になりきって
書くわけだけど、
ドストエフスキー自身は、「I」でしょ?

で、ラスコーリニコフは「He」ですよね。
──
「人称」で言えば、ええ。
佐々木
「I」が「He」を生み出す過程が「物語」だし
その部分に、身を削るほどの、
おそろしい苦労がともなうんだと思います。
──
佐々木監督の作品も
ほとんどストーリーを追わず、
静かに深く、人物を描写していく感じですものね。

他方で、監督が勤務していたNHKに
膨大な経験値やアーカイブが蓄積されている
「ドキュメンタリー」については
どのようなお考えというか、感想をお持ちですか?
佐々木
木村栄文(ひでふみ)って、知ってる?
──
福岡の放送局のドキュメンタリストですよね。
数年前、渋谷の映画館で特集されていた気が。
佐々木
あの人の作品は、だいたい、おもしろいよ。

プロ野球選手の大下弘を描いた作品で
『桜吹雪のホームラン』ってのなんか、実にいいね。
──
知的障害を持っている娘さんを描いた
『あいラブ優ちゃん』とかで、有名ですよね。
佐々木
あるいは、工藤敏樹さん。

なんて言ったっけな、
第五福竜丸のドキュメンタリーを撮った人で、
『富谷国民学校』とか
『スリ係警部補』とか‥‥。
──
スリ担当の警察の話?
佐々木
そう、定年退職前のスゴ腕の警部補がね、
スリに目をつけて、尾行して、
検挙の瞬間まで追っかけたドキュメンタリー。

取り調べの場面にも、カメラ入れちゃったり。
──
おもしろそうですね!
佐々木
昔のテレビには、そんな名匠がたくさんいたよ。

あとはさ、大河ドラマの『太閤記』の冒頭で
新幹線を走らせちゃった
吉田直哉さんって名ディレクターとか。
──
え、時代劇なのに、新幹線?
佐々木
有名な話だよ。本人にとっちゃ
なんでもないことだったろうと思うけどね。

で、その吉田さんなんかも
もともとドキュメンタリーの人だったんだ。
──
どのような作品を撮られてたんですか?
佐々木
『日本の素顔』ってシリーズの
『日本人と次郎長』なんて、最高傑作だよ。

なにしろ、日本のヤクザの親分が
次から次へと登場して、刺青を見せるんだ。
──
今では、ちょっと考えられないですね。
佐々木
しかもね、
ただカタログみたいに見せるわけじゃなく、
吉田さんって人は
そこに「文明批評」を混ぜるんだよ。

「人はなぜ刺青を入れるんだろう」とかさ。
──
それを、お茶の間のテレビで
放送してたってことですよね。すごい‥‥。
佐々木
それだけ好き勝手やって
ヤクザにも、ぜんぜん恨まれてないしね。
──
観てみたいです。
佐々木
横浜の放送ライブラリーにあるよ、きっと。
──
あたらめて
ドキュメンタリーは「事実」を追求し、
フィクションは「真実」を描く、というお話は
すごく、おもしろかったです。
佐々木
はじめにドキュメンタリーを撮ってた人って、
いつか、フィクションを撮りたくなる。

吉田さんもそうだったし
イタリアのミケランジェロ・アントニオーニも
フェデリコ・フェリーニも、
ドキュメンタリーから出発してるからね。
──
そうなんですか。
佐々木
事実を積み重ねるドキュメンタリーを経て
フィクションで
自分の描きたいことを描きたいようになる。

ドキュメンタリーって、
だから、
第一級のフィクションの基盤をなしている、
そういうものでもあるんでしょうね。

<つづきます>

2014-11-07-FRI