YAMADA

第4回 『いつもさみしい』は、
さみしさを人に見せないように
がんばっているほうが感じやすい。


そろそろ夏休みも終盤にさしかかり、
さみしさシーズンの足音が近づいて来ていますね。
やっぱり、いつもさみしいですか?
みなさんからいただくメールに目を通していると、
どれもこれも詩を読んでいるような気分になります。


=
今しごとでひとりです。
ひとりだからさみしいのではありません。

こころのなかに
「なんだかさみしい」音がいる感じです。
ときどきその音があるのにきがつきます。
電話機の受話器をあげて音を聞くように。

ポエム満載の「いつもさみしい問題」であります。

『いつもさみしい』にとんちんかんな、
O型のわたくしですが、
いただいたメールを
ざっくり目分量で大別してご紹介する
『いつもさみしい』を知ろうシリーズその3は、
「『いつもさみしい』は、
 さみしさを人に見せないように
 がんばっているほうが感じやすい。」
です。

では、さっそくご紹介していきましょう。

=
こんにちは!O型の者(女)です。
今日のダーリンを拝見して思わず笑ってしまいました。

私は一人の時間も人といる時間も大好きなので、
O型いつもさみしい疑惑があがっていることに
ビックリしましたが、自分を振り返ってみると

いつもさみしくなんかないよ
と見せたがるくせにいつもさみしい
のではないかと思いました。(同意見が多いかも?)

どうですか、このややこしさ!
いきなり精神的な複雑骨折みたいな
ご意見でありますが、
好きな女の子には、
つい意地悪なちょっかいをしてしまう
小学生というような、
「ザ・人間の二面性」が見えてきますね。


=
さみしい。について考えてみました。
そういえば表向きは楽しくしています。
会社でも「なんでいつも楽しそうなの?」
「何してても楽しそうだね」と言われます。
こいつは悩みなんてないんだろーな、
と思われていることでしょう。

シャツを裏返しに着ながらも、
これはお洒落で、わざとやってるんだけども、
だれもわかってくれやしない。
そんなさみしさが、ここにあるわけです。

さらには、
「他人の知らないもう一人のわたし」、
でも、そのさみしさは隠してるぜ、みたいな
武士並みの意気込みにもかかわらず、
あっけなく腰砕けになってしまうメールがありました。

=
「さみしい」などとは、
めったなことでは申しません。恥であります。
「さみしい」の大安売りする輩を
嫌悪すらして参りました。
が、このように、いきなりO型は
『いつもさみしい』と言われてしまうと、
どっと脱力。妙に気味が良く、
あら、さみしくてよかったのねと。
 
はい、よかったと思います!

また、さみしさを見せないようにするほど
さみしいをメール上で
実践された方がいらしゃいました。

=
驚きました。私の感じていた
『いつもさみしい』が、
O型の共通項だったなんて。
私もO型です。
『いつもさみしい』、よくわかります。
「絶えずさみしい」というのとは、違うんです。

どんなときにさみしいか、
今、具体例を書きましたが、消去しました。
面識のない方にこの文だけ読まれたら、
よっぽど悲観的な付き合いにくい人間だと
思われそうだからです。

(自分で言うのもなんですが、
 私も、「いつもさみしかったのか?!」
 と驚かれるタイプだと思います)。

ぜひその「具体例」をお聞かせいただきたかった!
「私も、『いつもさみしかったのか?!』と
 驚かれるタイプ」と、
はっきり自己認識をもたれているところが、
自分ブランド管理に
たけていらっしゃる感じがします。

続いて、B型の方から、
血液型をもとにした分析メール。


=
今日のダーリンを読んで、
B型でありながら思うことがあったのでメールします。
O型の人はいつもさみしい、
というのは本当だと思います。
血液型占いなんて当てにならないと言いながら、
人は占いを読み自分の性格を
なんとなく当てはめてしまうものです。
そうなってしまうと言うか。
A型は几帳面、B型はマイペース、
AB型は変わり者、そしてO型はおおらか。
この「おおらか」というところに
O型はいつもさみしいの謎があると思います。
おおらか=他人に優しい
=誰にでも優しいのではないか。

そして誰にでも優しいから、
友達は多いけどいつも特別な存在はいない状態
いつも何となく寂しく感じるのでは。
そう思うのも私がB型だからです。
B型だからなのか私の性格だからなのか、
私は、自分の好きな人に好かれているのならば
他の人には嫌われてもかまわないと思っています。
寂しいなんて思ったことはないのです。
だって特別好きな人達がいるから。
(そしてその人達は
 確実に自分を好いてくれていると信じているから)
私はいつも「B型っぽいよねえ」と他人に言われています。
やはりB型の特徴なのでしょうか。
私の周りのO型は皆優しくおおらかですが、
その反面疲れないのかと
勘ぐってしまいます。
その辺りがO型のさみしさなのではないかと思うのです。

世の中の血液型観を総まくりしつつ、
他者の期待にこたえようと
悶えるO型像を提示していただきました。
『いつもさみしい』は、
他人に対するサービス疲れなんでしょうかね。


次のメールは、
「さみしい」の自己表現をめぐるお悩みです。

=
23才会社員(女)・O型です。
私も、『いつもさみしい』うちの一人です。
どこにいても、誰といても満たされない。
さみしくてさみしくて、
どうしようもなくて部屋で
一人泣いていることが
ごくたまにですが、あります。

「一人っ子だから、ちゃんとしなくちゃ」
という必要以上な気負いが
心の奥底にあるような気がして、
そのため自分の素直な感情を表すことが、
少し苦手です。
会社勤めをはじめてから、
ますます建て前しか言わなくなり、
そんな自分をさみしく思っています。

今年3月に大好きだった彼と別れた時、
さみしい気持ちでいっぱいでした。
さみしい時にいつも傍にいてくれた、
唯一の人だったのに。
辛い日々がしばらく続いたけど、
いまは新たに好きな人ができて、
想いを伝えようと思っています。
さみしい時に「さみしい」って素直に言えるように
弱い自分をさらけだそうと思っています。

O型の人って、
私のように「さみしい」って真正面から
言えることがなかなか
出来ないのではないでしょうか。

今回のテーマは、たいへん共感できるものでした。
O型同士、互いに
「さみしくないよ」とエールを送りあいたいです。

そうですね。
『いつもさみしい』って、
素直に言っていいんだと思いますよ。

「『いつもさみしい』は、
 さみしさを人に見せないように
 がんばっているほうが感じやすい。」

この傾向を、
わたくしが慣れ親しんでいる
ビジネスシーンに置き換えて解説をするならば、
「さみしさを人に見せないように
 がんばっている」は、
マーケティング努力なわけです。
「さみしさ」を孤独感として、
人間が生活を送る上で
必要なコストとしますと、
そのコストを
消費者(というか他人)にわかられないように、
消費者の好感を上げ、
より消費者に選ばれる行いをするというのは、
まさにマーケティングであります。
で、規制緩和と自由化が進展して以来、
企業活動に対して問われるようになったのは、
顧客価値を上げること、
つまり、お客さんにとって、
どれだけ喜ばれるものを提供するかであって、
途中の流通的なしがらみへの配慮や
企業内論理の優先は、
すっかり流行らなくなってきました。
こういう企業のマーケティング文脈でいくと、
「人に見せないようにがんばっている」は、
顧客価値ではなく、
自己都合の価値となりがちです。
たとえば、広告宣伝費の多い企業というのが、
そのがんばりだけで
評価されるわけでないのに似ています。
がんばってるをがんばっても、
お客さんには拍手されず、
時代から取り残された企業になってしまうように、
「『いつもさみしい』は、
 さみしさを人に見せないように
 がんばっているほうが感じやすい。」
のかもしれぬと考えてみたわけです。


また、「さみしさを見せないでおく」というのが、
コストや努力を表に出さないように見せつつ、
実は、さみしさを他者にわかって欲しいという
本音の裏返しの態度ような気もします。
これも、「オープン」という
大きな価値の流れに
今の企業が乗っていることを思えば、
はなから“いつもさみしい”を垂れ流すような、
透明性の高い「さみしい」アピールをするか、
または、『プロジェクトX』のように、
第3者の口から
「さみしい人」と紹介されたほうが、
その人の評判があがるのは、
さみしい業界でも同じかもしれません。

どうも、
「さみしさを人に見せないように
 がんばっている」は、
時代の逆風をまともに受けてる感じがするんです。

ということで、
もし、現在主流の企業活動のように、
『いつもさみしい』に対するならば、
他人に評価されるマーケティング努力をして
さみしさを解消するか、
「さみしい」を素直に表明しつづけて
他人からかわいいと思ってもらうか、
第3者から
「実は、あの人、さみしいらしい」と
PRしてもらって
仲間意識を持てる人を増やすか、でしょうか。

『いつもさみしい』は、
他人から認められたい
欲求のあらわれなんでしょうか。

■件名を「いつもさみしい問題。」にして、
  postman@1101.comまで、
 ぜひ感想をくださいね!
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2004-08-24-TUE
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