毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第六章 恋の恨みは長し

二 私の選んだ人


その翌日、朝早く布金寺を出発した一行は
昼にならないうちに、早くも天竺国の城下へ入った。
「さすがは天竺国だ。
 見なさい、商売も繁盛しているし、
 人もたくさん集まっている!」

三蔵はしきりにはしゃいでいる。
というより、はしゃごうと努力している。

ここが十数年間、夢にも忘れたことのない天竺国だ。
ああ、もし昨夜、あんな話をきいていなかったら!
そして、もしすべての悪事に耳を塞いで、
天竺に理想の国と思い込むことが出来るなら……。

だが、実のところ、天竺は今まで通ってきた国々と
そう違っていろわけではなかった。
こし 三蔵自身の生まれた大唐国に比べても、
そんなに立派な家々が並んでいるわけでもなかった。

東門を入り、商店街を通りすぎると、
会同館の建物が見える。
三蔵が構内に入ると、駅丞が迎えに出てきた。
「私どもは東土大唐国王の勅使として
雷音寺へ仏典をいただきにまいるものですが、
ここで休ませていただけますでしょうか?」
「ええ、ええ、
 ここは諸国の来客を迎えるために
 設けられたところですから、
 どうぞお入り下さい」

駅丞一は快く承知したものの、
ふと見た三蔵の弟子たちの醜悪なる容貌には
度肝を抜かれた。
三蔵はすぐに気がついて、
「どうぞご心配になりませんように。
 色男とおよそ反対の容貌をしてにおりますが、
 至って善良な連中ですから」

駅丞はやっと安心して、一同を中へ招じ入れた。
「東土の大唐国というと、どこにあるのでございますか?」
と駅丞はきいた。
「大唐国という国は
 おききになったことがございませんか?」
「どうも不勉強でして」
「南瞻部洲にあるのですよ」
「南瞻部洲ってどこにあるのですか?
 いや、それよりもいつ国を出発されたのですか?」
「貞観十三年ですから、今から十四年前でございます。
 途中、通過してきた国はとても数えきれません」
「へえ? 十四年!
 とても尋常の人間には出来ないことでございますね」
「まあ、それほどでもありませんが、
 ここの国はもう長く続いているのですか?」
「太祖以来、もうかれこれ
 五百年あまりになるということでごさいます。
 現帝は怡宗皇帝と申しまして、
 殊のほか、植物にご造詣がおありになり、
 即位されてから年号も靖宴と改められ、
 今年で二十八年になります」
「これから御殿へ参上して
 関文に査証をいただきたいと思いますが、
 いかがなものでしょうか?」
「よろしいと思いますよ。
 今日はたまたま王女さまが二十歳におなりになって、
 婿選びの打繍毬をおやりになる日なので、
 町は混雑しておりますが、
 陛下はまだ御殿においでになると思います」
「じゃ、今すぐ行って参りましょう」
「いや、ご飯の用意が出来ましたから、
 おすませこなってからお出かけになって下さい」

お昼をすませると、三蔵は早々に食卓を離れた。
「私がお師匠さまのお供を致しましょう」
と悟空が言った。
「私も参りますよ」

八戒が言うと、沙悟浄が袖を引っ張って、
「いやいや、八戒兄貴はよした方がいいな。
 肥っちょで人相のあまりよろしくないのが行くと、
 御殿中が大騒ぎになりかねないからね」
「沙悟浄の言う通りだよ。
 八戒よりまだ悟空の方が気がきいている」

三蔵が賛成すると、八戒は不服そうに、
「お師匠さまを除けば、
 三人ともいずれがアヤメかカキツバタか、
 というところだと思うがね。
 へへへへへ……」
三蔵が袈裟をつけて、悟空と一緒に外へ出ると、
ゾロゾロと人々が打繍毬の舞台の方へ
歩いて行くのに出会った。
「ここの国の人の着るものも立居振舞も、
 我が国とあまり変らないね。
 私のお母さんも打繍毬でお父さんと夫婦になったが、
 その習慣までそっくりこの国にあるとは、
 本当に不思議な廻り合わせだ」

三蔵がしんみりしていると、悟空は、
「なあに、人間の考えることや、やることは、
 いずこも大して違いはありませんよ打繍毬なんて
 ずいぶんいい加減な結婚みたいだけれど、
 結局、誰とやっても
 似たようなものだということなのでしょうね」
「そうでもないだろう。
 出発点と終点は皆同じでも、
 生きてる間に辿る運命は大分違うからね」
「じゃ、この国の女王様がどんな運命を辿るか
 見物に行きましょうや」
「いやいや、私たちは立候補する資格がないんだから、
 近づかない方が無事だよ」
「ですが、お師匠さま。
 布金寺の老僧に頼まれたことをお忘れになりましたか?
 一つには事の真相を見極める必要がありますし、
 もう一つには今頃、御殿にお伺いしても、
 国王はお嬢さんのことに気をとられて、
 とても我々のことをかまってくれるわけがないと
 思いますよ」

言われてやむなく、
三蔵は見物人たちの中へまぎれ込んで行った。
ところが、誰知ろう、
考えても見なかったような運命が待ちかまえていたのは、
ほかならぬ三蔵自身なのである。

悟空に手をひかれるようにして、
高楼の下へ近づくと、楼の上で王女が香を焚いている。
見ると、左右に美しく着飾った次女が
五、六十人も並んでいて、今か今かと待ちかまえている。
王女が手に繍毬をとりあげて、ふと顔をあげると、
三蔵の姿が目についた。
驚いた三蔵は反射的に身を避けようとしたが、
もう間に合わない。
気が付いた時には僧帽を斜めにしたまま、
両手で繍毬をしっかりとつかんでいた。
更にあわてて手を離すと、
繍毬は僧服の中にころがりこんでしまった。
「わあッ。坊主にあたったぞ。坊主にあたったぞ」

ドッと歓声がわく。
三蔵が逃げるに逃げられず唖然と立ちつくしていると、
奥から官女や宦官が出て来てまわりを取り囲んでしまった。
「どうぞ御殿へお入りになって下さい」

三蔵は恨めしそうに悟空をふりかえりながら、
「これも皆お前のおかげだよ。
 ひどいことになってしまったものだ」
「繍毬がお師匠さまの頭にあたって、
 懐の中にころがり込んだのと、
 私の間に何の関係がございますか?
 恨むなら繍毬を恨んで下さい」
「でも、弱ってしまったよ。どうしていいのかわからない」
「ご心配には及びません。
 お師匠は一先ず御殿に入って下さい。
 私は駅館にかえって八戒と沙悟浄に知らせてきますから。
 もし王女がお師匠さまを堪忍してくれるなら、
 関文の査証をしてもらえばよいし、
 もしどうしても婿殿にしたいというなら、
 国王に弟子たちを呼んで下さいとおっしゃって下さい。 
 我々三人が宮中に入れば、
 シロクロをちゃんとつけますから」

やむを得ず、三蔵は宮女たちにとりまかれたま
奥へ連れて行かれた。
国王は繍毬が坊主の頭にあたったときいて、
ひどく不機嫌だったが、
王女の気持もきいてみなければならないと思ったので、
嫌々ながら、三蔵を謁見した。
「一体、あなたはどこから来たのです?
 何でまた娘の繍毬にあたったりしたのです?」
「私は大唐国王の勅命を受けて
 大雷音寺へお経をいただきに参る旅の僧でごさいます」
三蔵は頭を地にすりつけて言った。
「今日、たまたま査証をいただきに伺ったところ、
 偶然にも繍毬をうける羽目におちいって、
 本当に周章狼狽しております。
 ごらんの通り、私は出家の身の上、
 とてもお眼鏡にかなうような者でいはございません。
 どうぞどうぞお見逃がしの程をお頂い申しあげます」

最初から断わりを言ったので、国王は考えを変えて、
「遠くからわざわざここへやって来て、
 娘の繍毬にあたるとは、
 “千里ノ姻縁モ糸デ牽ク”ということであろう。
 私も実はあまり賛成ではないのだが、
 先ず娘の意見をきいて見ないことには」

王女はと、きいて見ると、
「私は天地神明に向って
 天の選ぶ結婚に従うと誓ったのです。
 天の選んだ相手が鶏なら私は鶏に従い、
 天の選んだ相手が犬なら、私は犬のあとを追います」
「でも、私の選んだ人を見て下さい、
 と言うこともあるからね。
 あとで天地神明を恨んでも間に合わないよ」
「いいえ、この人は私の選んだ人です。
 決して後悔するようなことはございません」

国王は王女の申し分をきくと、はじめて欽天監正台官に、
吉日の選択を人叩じた。

三蔵は喜ぶどころか、
しきりに無罪放免を懇願しつづけている。
「この坊主、少し頭がどうかしているのではないか」

とうとう我慢が出来なくなって、国王は怒鳴った。
「この私が一国の富を娘もつけてお前にやろうというのに、
 どうして要らないのか。
 もしどうしても要らないというなら、
 錦衣官に命じて首をはねさせるぞ」

三蔵は真青になって、
「ご好意にそむくわけではありませんが、
 実は私に弟子が三人ついてきております。
 たとえ、私がご好意をお受けするとしても、
 三人の身のふり方を
 心配してやらないわけには行かないのでございます」
「お前の弟子たちはどこにいる?」
「全部、会同館で待っております」
「じゃすぐここに呼んで、
 私がしかるべき処置をとってあげよう」

2001-05-02-WED

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