毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第五章 世は観光ブーム

三 悲しきピエロ


「やい。
 我が門前に喧嘩を売りにきたのは、どこのどやつだ?」

言われて悟空が崖の上から眺めると、
大小無数の小妖怪どもが手に手に槍や棒を持って
続々と現われてきた。
上に一段高く翻っているのは、
辟寒大王、辟暑大王、辟塵大王の三本の旗印である。

それを見ると、悟空は俄かに敵愾心をかきたてられて、
「斉天大聖孫悟空の名を知らねえか?」
「ふん。お前が天宮荒らしの孫悟空か?
 名前だけきいていると、
 どんな英雄豪傑かとカン違いしかねないが、
 見りゃ、ナアンダ、ただの赤猿じゃないか!」

悟空はますます顔を頁赤にして、
「何を無礼千万な。
 油泥棒だけあって舌はなめらかだが、
 その口車には乗らないぞ。
 俺の師匠をかえせ」

如意棒をふりかざすと、三人目がけて襲いかかって行った。

三人の化け物はそれぞれ手に武器を握って
およそ百五十回ほども如意捧とわたりあったが、
一向に勝負がつかない。
そのうちに日が暮れかかってきた。
事面倒と見た辟塵大王が合図をすると、
小妖怪たちは一せいに総攻撃をかけてきた。
ただでさえ戦意のない悟空は斗雲ことびのると、
うしろも見ずに逃げ出した。

どうやら化け物たちは追跡するのをやめて、
そのまま洞内へ引き揚げた様子である。

悟空はそのまま慈雲寺へ引返してきた。
「兄貴、一体どういうことになったのですか?
 お師匠さまの行方はわかりましたか?」
八戒と沙悟浄がきいた。
「わかることはわかったが、どうも多勢に無勢でね、
 三対一じゃとてもかなわないから、
 一先ず引き揚げてきたよ」
「一体、どんな化け物なんですか?」
「それがどうも牛頭馬頭みたいな感じの奴らだよ。
 山の中に住んでいるけれど、
 なかなか贅沢な暮しをしていてね、
 何でも完全冷暖房つきの洞府らしいよ」
「わかった!
 そいつはきっと都城の執達吏が
 在職中にしこたまためて、
 青竜山に別荘を建てたに違いないよ」
と八戒が言った。
「どうして都城だということがわかる?
 都城なら閻魔大王の縄張りだし、
 人もあろうにこの悟空に弓をひくとは
 ちょっと考えられんな」
「しかし、牛頭なら地獄の執達吏じゃありませんか?
 大体、地獄の沙汰をショウバイにでもしなけりゃ、
 今時、大別荘を建てられるわけがないよ」
「それも理窟だが、しかし、
 どうも俺の直感では牛は牛でも犀牛の精のように思うな」
「犀なら角は漢方の高貴薬だ。
 さあ、すぐこれから出かけて行って、
 角を切ってこようじゃないか?」

犀ときいて八戒は俄かに元気づいた。
三人はそれぞれ雲を走らせると、
夜陰に乗じて青竜山玄英洞の入口へおりたった。
八戒はすぐにも熊手をとり出して
洞門をこわしにかかろうとした。
「待て待て。
 俺が先ず中へ忍び込んで、
 お師匠さまの様子をさぐってくる」

悟空は如意棒をしまい、呪文を唱えて一匹の螢に化けると、
スイスイと奥へ飛んで入った。
見ると、あちこちに野牛が横たわって
雷のような大イビキをかいている。
化け物の姿は見当らず、
ガランとした広間を通りすぎて更に門を二つ三つくぐると、
どこからともなくクスンクスンと
すすりあげている声がきこえてきた。
言わずと知れた三蔵の泣き声である。

悟空がそれ見よがしに三蔵の前にとんで行くと、
三蔵はびっくりしたように、
「あれッ。螢がとんでいる!
 正月だというのに、
 西方は季節まで狂っているのだろうか?」
「私ですよ、お師匠さま」

悟空が声をかけると、三蔵はやっと気がついて、
「おお、悟空だったのか。
 いくら西方でも真冬に螢のとぷわけがないと思ったよ」
「お師匠さま。
 化け物はどこにいるのですか?
 ひどい目にあわされませんでしたか?」
「ここの化け物はとても変な奴らだよ。
 おかげですっかり考えさせられてしまったよ」
「そいつはまたどういうわけですか?」
「いや、はじめは素っ裸にされて、
 鋤焼かテキにでもされるのかと思ったら、
 私をつかまえて、
 サーカスか見世物小屋にでも売りとばす算段らしいんだ」
「へえ?
 お師匠さまが綱わたりや球乗りでも
 出来るとでも思ったのでしょうか?」
「それなら話は簡単だけれど、そうじゃないんだ。
 化け物たちの話こよると、この辺の寺院は雷音寺をはじめ
 いずれも経営方針をかえて、
 今や観光客の袖を引っ張ることに熱中しているそうだ。
 そんなところへ、
 仏教の教義を信じて今時乗り込んでくるような奴は、
 それだけでも見世物にするだけの値打ちがある
 といっているんだよ」
「そんなバカなことがあるものですか?」
と悟空は思わず大きな声をあげた。
「私もそんなバカなことはないと思っているんだけれどね」
と三蔵はいつになく元気をおとして、
「でも化け物たちは、
 私ばかりでなく、お前や八戒たちも生け捕りにして
 見世物小屋をひらくような相談までしていたよ。
 蒸すの焼くのという目には
 今までさんざんあってきたけれど、
 まさか天竺くんだりまでやってきて、
 ピエロか何かみたいな扱いを受けようとは
 思いもよらなかったよ」

それをきくと、
さすがの悟空もちょっと考え込んでしまった。
これは力の問題ではなくて、
力の支えになっている魂の問題だからである。
しかし、もとより幾山河越えてきたこの苦労を、
一片の反古として破り捨てるほど
気前のよい悟空ではなかった。
「お師匠さま。
 これはお釈迦さまが
 私たちを試そうとしてやっていることかも知れませんよ。
 でなければ、
 私たちがいよいよ極楽入りをするのを見て
 いまいましく思っている連中の
 やっかみまじりの謀略かも知れませんよ。
 心を惑わされないようにしましょう。
 幸い、八戒も沙悟浄も門の外で待っていますから、
 化け物のねている間にここから脱出しましょう」

悟空が三蔵の縄をほどき、
門の鍵をあけて外へ出ようとすると、
物音に驚いて化け物たちは目をさました。
「あれッ。坊主の姿が見えない。早く表門を固めろ」

悟空は如意棒をふりかざして
手向う小妖怪を払いのけて門の外へとび出したが、
三蔵は足がふるえて動くに動けないでいるうちに
簡単にふんづかまってしまい、
またもとの柱につながれてしまった。
「兄貴、こう侮辱されちゃ腹の虫がおさまらん。
 やっつけちゃおうじゃないか」

話をきいて一番向っ腹を立てたのは沙悟浄である。
しかし、八戒は案外ケロリとしていて、
「化け物の言うことは一理あるかも知れんぜ。
 そもそも俺ははじめから
 この大旅行の聖なる目的には懐疑的だったんだ。
 生け補りにされて見世物になるのは嫌だが、
 観光気分で雷音寺詣でをやるのはそう嫌でもないよ」
「バカ言うな。
 そんな減らず口を叩くヒマがあったら、
 早く洞門を叩きこわしにかかれ」

悟空が怒鳴りつけると、八戒は案外あっさりと、
「よし、きた」

猛然とバカ力を発揮して、
忽ち石門を粉々にこわしてしまった。

カンカンに怒った化け物たちは、
それぞれ鎧兜に身をかためて洞門からとび出してきた。
「無礼老奴! 目に物見せてやるぞ」

真夜中の洞門の前は一瞬にして阿修羅場である。
三人の坊主と三人の化け物は力をつくして死闘を続けたが、
なかなか勝負がつかない。
そのうちに辟寒大王が、
「者ども、集まれ。それッ。かかれッ」

わあッと一せいに集中攻撃をすると、
八戒は退却のすきを失い、
忽ちその場に押し倒されてしまった。

続いて辟塵大王が部下を集めて、
これまた沙悟浄を生け捕りこした。
形勢不利と見た悟空は一目散に斗雲にとびのったが、
気がついて見ると、自分一人だけになっている。
「ああ。とうとうサーカス行きか」

三蔵は引き立てられてきた八戒と沙悟浄を見ると、
早くも涙声になっている。

2001-04-29-SUN

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