毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第四章 中立主義とは

四 中立主義の真髄


さて、九幽塩恒洞を脱出した悟空は雲にまたがると、
玉華県へ戻ってきた。
見ると、夜空に近隣の土地神や城隍神が迎えに出ている。
「何で今頃になってから俺に会いに来たんだ?」
と悟空は文句を言った。
「大聖がこの土地へおいでになっていることは
 知っておりましたが、
 王侯とのおつきあいでお忙しそうなご様子なので
 ご遠慮申しあげていたのです。
 でも第三勢力のチャンピオンであらせられる老王子さまも
 遂に火中の人となったらしいので、
 何かお役に立てはと思ってお伺いしました」

悟空がなおも文句を言おうとすると、
そこへ金頭掲諦と六丁六甲が
土地神を一人つかまえて現われた。
「大聖。こ奴が化け物の正体を知っておりますよ」
「そいつは何者だ?」
「竹節山の土地神です。
 本来ならば竹節山の土地を司る職務なのに、
 ボスと結託してよろしくやっていたので、
 首の根っこをつかまえて引き立ててきました」
「土地神のくせに、
 化け物と結託するとはけしからんじゃないか?」

悟空が怒鳴ると、
「いえいえ、大聖、
 私は決して化け物と結託などしておりません。
 それどころか、私も被害者の一人なのです。
 化け物に勢力が強く、
 辛うじて生命をつないで行くためには
 どうしても一緒になって
 旗をふらざるを得なかったのです」
と土地神はぶるぶる慄えながら答えた。
「じゃ本心じゃなかったというのだな?」
「その通りでございます。
 私は決して嘘は申しません」
「おやおや、総理大臣のような口をきくじゃないか」
と悟空に思わず笑い出して、
「じゃきくが、
 あの九霊元聖とやらは一体何者だね?」
「あれはもと東極妙巌宮で下働きをしていた
 という話でございます」
「妙巌宮だって?」
と悟空はききかえした。
「妙巌宮といえば太乙救苦天尊の住んでいる星座だな。
 そうそう、そういえば、
 天尊の乗っていたのは九頭獅子だったっけ?」

悟空はハタと手を打つと、あとを掲諦や六丁六甲に頼み、
自分はそのまま飢斗雲に乗って東天門へ急いだ。
門外に辿りついたのは夜明け前だった。
広目天王と門前でぶっつかった。
「おや、どちらへお出かけですか?」
と広目天王がきいた。
「ちょっとこれから妙巌宮に一走りしてくるところですよ」
「おやおや、
 西へ行く人が東へ行くとはまたどういうけでか?」
「西と東が大喧嘩で、
 偉そうに中立主義を標榜していた第三勢力までが
 戦争に巻きこまれてしまったのですよ。
 本人同士では埒があかないし、
 国連に救援を求めたところで
 どうせ手遅れになってから
 やってくるにきまっているから、
 いっそ東の大ボスのところへ掛合い談判に行ってきた方が
 早いと思ってきたのです」
「そもそも大聖が中立主義者に
 武器貸与をしたのがいけないのですよ」
「いや、どうもそうらしいね」
と悟空に苦笑しながら、
「私は自ら進んで
 武器を托したわけではないんですがね……」
東天門を入ってしばらく行くと、妙巌宮の前に出た。
門前には薄衣を着た仙童が一人立っていて、
悟空の姿を見ると、急いで奥へ知らせに入った。

太乙救苦天尊にすぐに人を表にやって悟空を迎え入れた。
「お久しぷりですな。
 人づてに大聖が三蔵法師のお供をして
 西へ行ったときいておりましたが、
 無事、使命を終えられたのですか?」
「ところが、まだなんですよ。
 長い長い道程の
 ほとんど九分通りを通りすぎてきたのですが、
 ゴールの寸前になってから、
 あなたの子分に邪魔立てされてしまったのです」
「私の子分だって?」
と驚いて天尊はききかえした。
「そうです。あなたの九頭獅子ですよ」
「まさかそんなことはないでしょう?
 この頃は私も新発明のロケットに乗るようになったので、
 九頭獅子にはあまり用はなくなったが、
 小屋の中で居眠りでもしている筈ですよ」
「でも念のためにたしかめて見て下さい」

天尊が獅子小屋の番人を呼びにやると、
寝呆け面をして番人がやってきた。
「獅子はどこにいるか?」
「申しわけありません。それが見当らないのです」
「申しわけありませんじゃないよ。
 一体、何の番をしているんだ?」
「それがついうとうととしていて、
 さっき呼びおこされたら、
 獅子の姿が見えないのでございます」
「居眠りをしているのは獅子かと思ったら、
 獅子の番人じゃないか?
 一体、いつから居眠りをしていたんた?」
「三日前、天界社会保険制度が施かれて
 その祝賀会が開かれた時に、
 少し酒がすぎたらしゅうございます」
「だから言わんこっちゃない。
 儂は、失業保険や厚生施設は
 人間を怠け者にすると言って反対したのに、
 玉帝がみんなのご機嫌とりにやっきになって、
 あんな法令を批准したからいけないんだ」
「竹節山の土地神の話によると、
 三年前からいるそうですよ」
と悟空が言った。
「そうだ、そうだ。それで勘定が合う。
 天界の三日は地上の三年にあたりますからね」

天尊はあっさり頷いた。
「じゃ、これから大聖と一緒に
 獅子を引き戻しに行って来ましょう」

間もなく悟空は太乙天尊を案内して竹節山の上まで来た。
その姿を見ると、
五方掲諦と六丁六甲が迎えにあがってきた。
「お師匠さまたちの身に別状はないかね?」
「ええ、あれから化け物はずっと眠りつづけています」
「天上で居眠りするより
 地上でいびきをかく方が気楽だと見えるな」

天尊は笑いながら、
「では、大聖、奴を叩き起こして下さい。
 ここへおびき出してきたら、私が片づけますから」

悟空は言われた通り、洞門へ近づいて大声を張りあげた。
「やい、化け物。出て来い」
しかし、化け物は前後不覚に眠り続けている。
悟空は如意棒をとり出すと、洞門を叩きこわしにかかった。
驚いて目をさました化け物はカンカンに怒って、
「この生命知らず奴!」

首をふって一口に悟空を吸い込もうとする。
あわてて悟空が逃げ出すと、あとを追って外へ出てきた。
悟空は崖の上に立って、
「さあさ、ここまでおいで。
 もうお前の自由もこれで時間切れだよ」

化け物が怒って崖の上へ駈けあがろうとすると、
太乙天尊は呪文を唱えて、
「元聖。儂が来たぞ」

老妖怪は主人の姿を認めると、
俄かに闘志を失ってその場に四ッ足をついて
坐わりこんでしまった。
「さあ、行こう。じゃあばよ」

太乙天尊は九頭獅子にまたがると、
雲に乗ってもと来た道を妙巌宮へ帰って行った。
悟空はすぐ洞中へ入って、先ず玉華王の縄をとき、
続いて三蔵、八戒、沙悟浄及び三人の王子の縄をといた。

かくて玉華県には平和が戻ってきた。
玉華県に領内をあけての戦勝祝賀会である。
「これもひとえに老師たちの、お力によるものです。
 どうか長く軍事最高顧問として
 我が領内におとどまりになって下さい」
「いやいや、今度のことがあって私も考えましたよ。
 もし私たちが新兵器を持ち込まなかったら、
 化け物は盗みに来なかったかも知れない。
 そしたら戦争が起らなかったかも知れない。
 そしたら玉華県は
 中立主義を曲げないですんだかも知れない。
 だから無防備都市を最初から宣言して、
 無手勝流で行くのも一つの行き方だと思います。
 少なくとも今の世の中では稀少価値があると思いますね」

悟空が言うと、老王子は首をふって、
「あんまりからかわないで下さい。
 今度のことで私はすっかり懲りました。
 中立と申しましても、自衛力あっての中立です。
 ナイキでもオネストジョンでも、
 およそ敵の持っているような武器なら
 皆持つつもりですよ。
 但し我が国は国民に軍事負担をかけたくありませんから、
 紐つきでない軍事援助を仰ぐ用意がある旨、
 世界に向って宣言するつもりですがね」
「というと、どちらからもらうつもりですか?」
「どちらからか、ですって?」

老王子はびっくりしたようにききかえした。
「どちらからでもいただくつもりですよ。
 そして、どちらにでも銃砲を向けるだけの
 融通性をきかせるつもりですよ。
 それが中立主義というものです。
 ハッハハハハ……」

2001-04-26-THU

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