毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第四章 中立主義とは

二 べきかべきでないか


間もなく三人けけ虎口洞の入口までやってきた。
見ると、門前で無数の手下どもが
忙しそうに出たり入ったりしている。
「シーッ。シーッ」
と八戒が豚を追う声をきくと、
手下どもは急いでとんできて、
てんでに豚や羊をしばりあげにかかった。
その賑やかな悲鳴をきくと
妖王が十数人の小妖怪を従えて奥から現われた。
「や、ご苦労さん。
 全部で何頭買ってかえってきた?」
「豚が八頭に、羊が七頭、合計十五頭でございます。
 豚は十六両、羊は九両、
 おあずかりしたお金は二十両でしたから、
 五両ほど不足致しました。
 それで足りない分をとりに来てもらったのでございます」

悟空が返事をすると、妖王はすぐまわりの者に、
「じゃ五両やってすぐ帰らせるがよい」
「ですが、大王」
と悟空は遮るように、
「このお方はお金をとりに来ましたが、
 ついでにパーティを見せて頂きたいとも申しております」
「バカヤロー」
と妖王は怒鳴った。
「買い物に行って来いと言ったが、
 誰がパーティのことを喋れと言った!」
「しかし、大王」
と八戒が前に進み出て、
「今度手に入れられた宝物は、
 平和記念館に陳列して
 デモンストレーションをしてもよいものでございますよ」
「何をぬかすか。
 バカは野郎だけと思ったら、
 お前にそれに輪をかけた大バカだ。
 この三つの武器は
 もともと玉華県から手に入れて来たものだから、
 もし人に見せてうっかり喋られたら、
 とりかえしに来られるじゃないか」
「その点はご心配ありませんよ。
 このお客は玉華県の人じゃありませんから」
と悟空も口裏を合わせて、
「それよりも何よりも、
 この人も私たちも朝から食車をしていないので、
 腹ぺこでございます。
 先ずありあわせの飯でも食わせてやって、
 都合が悪ければ、
 金を渡してかえってもらうことに致しましょう」

言っているところへ五両が届けられてきたので、
悟空はそれを沙悟浄に手渡すと、
「では、お客さん、先ずお金をおたしかめになって下さい。
 それから簡単ですが、
 奥で食事でもとっていただきましょうか」

沙悟浄は腹を据えると、
八戒と悟空のあとについて洞内へ入って行った。
門を二つくぐると、大広間があって、
見ると部屋の真中に八戒の熊手が
れいれいしく飾りつけられている。
その右には如意棒、
左には宝杖が壁に立てかけられているが、
こうして見ると、
八戒の持物が一番装飾的価値があるから不思議である。
「どうです? 見事なものでしょう?
 しかし、ここでこんなものを見たということは
 外へ出ても絶対に口外しないようにして下さいよ」
と妖王はうしろからついてきて言った。

沙悟浄は調子を合わせて説いたが、
八戒ときたら性来の粗忽者である。
自分の持物を見ると、もうじっとしておられなくなって、
いきなり手を伸ばして熊手をとるや、
クルリと 一回転させて、
えいッとばかりに化け物目がけて打ちおろして行った。

悟空も沙悟浄も時を移さず、自分らの持物を手にとると、
これまた本相を現わして加勢に出た。

妖王はびっくり仰天して、
素早く奥から一本の四明を持ち出してきた。
「お前らは何者だ。
 手段を弄して俺の宝物を泥棒するつもりか!」
「泥棒が泥棒よばわりをするとは、
 あきれて物も言えないぞ」
と悟空は大声を張りあげて、
「俺を知らねえか。
 俺は東土の聖僧唐三蔵の一番弟子で、この鉄棒の持主だ。
 夜陰にまぎれて盗みに入ってきて、
 逆に俺たちを泥棒よばわりをすれば、
 それで勝負ありとでも思っているのか。
 さあ、そこを逃げるな。
 この三つの武器の味を少々ばかりなめさせて進ぜるぜ」

化け物はいささかも怖れず、四明をふりあげると、
逆に悟空に立ち向ってきた。
立ちまわりは中庭からはじまって、
いつの間にか洞門の外へ出た。

いくら腕に自信いがあると言っても、
三対一の勝負である。
化け物は次第に疲れの色を見せはじめ、
沙悟浄に向って、「えいッ」とばかりに打ちかかってきた。
びっくりした沙悟浄が急いで身をかわすと、
その隙に化け物は東南の方へ向って逃げ出した。

八戒が彼を追おうとするのを、悟空は引き止めて、
「窮鼠のあとを追うな。
 奴の根城から先に片づけようじゃないか」

三人が洞門へ攻め入ると、
手向う小妖怪どもを悉く蹴散らして
忽ちの中に火をつけて焼き落してしまった。
それから一同、
意気揚々と玉華県へ引揚げてきたこと言うまでもない。

老王子は事の経過をきくと、当惑した表情になって、
「弱りましたね。
 化け物をやっつけてくださったのは
 まことに有難いのですが、
 私はふだんから中立を標榜して
 近隣と仲好くしてきたのですよ」
「泥棒との間でも中立政策ですか?」
「いや、世間体というものが大切なんです。
 武器を盗まれたことが公けにされると、
 なあんだ、武装中立かなんて言われますからね」
「武装中立でどうして悪いんですか。
 それよりもあなたは
 復讐をおそれているのではございませんか」
「本当を言えばその点もございます」
「それなら、ご心配は要りませんよ。
 私が必ず化け物を探し出して
 グウの音も出ないようにしてさしあげますから」
「でも化け物の行先がわかりますか?」
「大体の見当はついています。
 さきほど招待状を盗み見したら、
 九霊元聖老人と書いてありましたから、
 大方、そいつのところへ
 助けを求めに行っていることでしょう」

悟空の推測に狂いはなかった。
妖王は生命からがら虎口洞を逃げ出すと、
竹節山へやってきた。
竹節山の中には九曲盤桓洞という洞窟があって、
彼のボスの九霊元聖が住んでいる。

門番は朝早く妖王がやって来たのを見ると、
「おやおや。
 招待状をいたたいたのに、
 またわざわざご白身でお迎えに来て下さったのですか?」
「パーティどころの騒ぎじゃないんだ。
 元聖老は奥においでかな?」
「ハイ。おいでになります。
 しばらくお待ちになって下さい」

やがて奥へ通されると、妖王は武器を投げ出して、
老妖の前にひざまずいた。
「どうした?
 何か不愉快なことでもあるのかね?」
「無念です。
 小僧ッ子にしてやられました!」

妖王は涙まじりにこれまでのいきさつを話すと、
老妖は笑いながら、
「相手は誰かと思ったら、
 とんだ奴と係わり合いになったものだな」
「とおっしゃると、ご老体は貴奴をご存じなんですか」
「耳の長いのはあれは猪八戒で、
 苦虫をつぶしたような顔をしたのが沙悟浄だ。
 あの二人はまだ何とか処置の仕方もあるが、
 とんがり口をしたあの悟空ときた日には、
 そのむかし天宮荒しで鳴らした荒くれ男だから、
 うっかりかかわり合うと、
 道を歩いていて
 砂利トラにぶっつけられたような目にあうぞ。
 ──が、もう起ってしまったことは仕方がない。
 これからお前と一緒に行って、
 玉華県の王子どもを一網打尽にしてくれよう」

老妖は弟子や孫弟子の
獅、雪獅、猊、白沢、伏狸、摶象らを率いると、
黄獅を先導にし豹頭山へ戻ってきた。
ふと見おろすと、
道端に刀鑚、古怪の二人が立ちんぼをしている。
「こら。お前らは偽物か本物か?」

怒鳴られて二人はようやく正気に戻った。
二人は目の前に自分らのボスが立っているのを見ると、
「大王。お助け下さい」

その場にひざまずいて説明するのをきいた妖王に、
逆立った眉をますます逆立てて、
「きけばきくほど憎き奴ら。
 こうなったら、生き皮剥いでなぷり殺しにしてやるぞ」
「まあまあ、
 ここでいくら力んで見たところではじまらない。
 それよりも県城に行って、
 和尚どもを生け捕りにして来ようじゃないか」

妖王は老妖に慰められて、やっとその場を離れた。
一同は風に乗り霧をふらせながら玉華県へ押し寄せてきた。
「大へんだ。大へんだ。悪魔の襲来だ」
老王子は真青になって、
「どうしよう? どうしよう?
 せっかく永年売り物こしてきた中立政策も
 これでおじゃんだ」
「おやおや、それじゃ無抵抗主義で、
 死んでも中立主義を守り通すことに致しますか」
「それも困ります。
 国が滅びたら中立主義も滅びてしまいます」
「やっぱりそうでしょう?
 国土を犯されたら、
 平和共存も中立主義もへったくれもありませんよ。
 自衛のために立ち上がるときです」
「でも勝算があるでしょうか?」
「勝算もひょうたんもあるもんですか?
 食うか食われるかという時に、
 べきかべきでないかは
 ハムレットにまかせておけばいいのです。
 その代り戦争は我々が引受けてさしあげますから、
 早く城門を閉ざすように命令して下さい」
老王子が命令を下して城門を閉めにかかるのと入れ違いに、
悟空は八戒と沙悟浄を伴って城の外へ出て行った。

2001-04-24-TUE

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