毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第二章 天竺にもう一歩

三  首 実 検


「さ、約束通りお前を先鋒に任命しよう」

洞内に戻った化け物は、
すっかりご機嫌になって小妖怪に言った。
「いえいえ。私はとてもその任ではございません」
「何を言うか。約束は約束だ。
 とにかく三蔵を手に入れたのだから、
 早速にも鍋を洗って火をおこさせろ」
「ですが、大王、
 食べるのはもうしばらく
 お見合わせになった方がようございます」
「そいつはまたどういうわけだ?」
「大王がお召し上がりになるのは結構でございますが、
 もし我々が三歳を食べてしまったことがわかったら、
 八戒、沙悟浄はともかく悟空が、
 あの如意棒で山ごとこの我々の棲家を
 叩き潰してしまわないとは限りません」
「じゃ、お前はどうすればいいと思うか?」
「私なら、三蔵を裏庭の樹にしばりつけて
 二、三日ほっておきたいと思います。
 ひとつには身体の中のものを
 きれいに出させてしまえるし、
 もう一つには向うであきらめて引き揚げてくれれば、
 安心して食事を楽しむことが出来ます」
「うむ。
 あわてて喉にひっかけるよりも、
 その方が美味倍増たな」

化け物の命令で、三蔵に裏庭へ連れて行かれ、
樹の上に縄で堅くしばりつけられた。
「ああ。
 どうして私はこうも縄と縁が深いのだろうか?」

三蔵が嘆いていると、向い合わせの樹から、
「和尚さん、あなたもですか?」
びっくりして顔をあげると、
向うにも同じように一人の男が縛りつけられている。
「あなたはどなたですか?」
「私はこの山の中の樵夫です。
 三日前からここに連れて来られているのです」
「お互いに不本意な死に方をするのは嫌だけれど、
 あなたはまだいい。
 一人っきりだからね」
「おやおやそういうあなたこそ出家ではございませんか。
 出家は家を出たからには父母もなければ妻子もなく、
 足手まといになるものは何もないじゃありませんか。」
「ところが私は太宗皇帝の勅令を受けて、
 西方天竺へお経をとりに行く大事な仕事を
 持っているのです。
 今、天竺を目睫に見ながら、
 迷える魂救う目的を達成できなかったとしたら、
 それこそ死ぬに死にきれません」
「ああ。
 百の迷える羊よりも、一人のおっかさんですよ。
 私の母親はことし八十三歳、私がいなければ、
 養老保険もないこの山の中、
 誰がおっかさんを養ってくれるでしょうか?」
「可哀そうに。
 きけば、あなたも私も似たような身の上。
 お互いにこんなところで
 生命をおとすわけには行かないね。」

二人か嘆いている間に、山の中は大騒ぎなった。
悟空が化け物を追っ払ってもとのところへ戻ってくると、
馬と荷物だけ残っていて
三蔵の姿は消えてなくなっていたからである。
「お師匠さまやーい。お師匠さまやーい」
悟空が声を張りあげてあちこち呼んでいると、
そこへ八戒がかえってきた。
「おい。
 お師匠さまの姿を見かけなかったかい」
「冗談じゃない。
 もう二度とかつがれないぞ」
「いや、冗談じゃないんだ。
 実はお前が出たあとに俺もだまされて
 化け物のあとを追っかけた。
 あとには沙悟浄を残しておいたんだが帰って見たら、
 沙悟浄の姿まで見当らないんだ」
「じゃ、きっとお師匠さまは沙悟浄に連れられて、
 どこかその辺におトイレでも借りに行ったんだろう」

そう言って笑っているところへ沙悟浄が戻ってきた。
「お師匠さまは?」
「おいでになりませんか?」
と青くなって沙悟浄がききかえした。
「計られた。してやられた」
と悟空が地団駄をふんだ。
「これは分瓣梅花計という奴で、
 兵力を分散しておいて肝心のところを攻める兵法だ。
 こんなに簡単にやられるとは、
 俺も少し頭がボケてしまったぞ」
「いくら地団駄ふんだって仕方がないよ。
 どうせ敵はどこにいるか探せばわかるんだから、
 今すぐとりかえしに行って来ようじゃないか」

珍しく八戒が皆の気持をひき立てる側にまわった。

やむを得ず三人で山の中へ入って行った。
二十里ほども進むと、崖になっていて、
そこに洞門が覗いている。

悟空が門前にとびおりて見ると、石門は堅く閉されていて、
横に石版で「隠霧山折岳連環洞」と書いてある。
「おい、八戒。
 妖怪の棲家に間違いない。
 やろうじゃないか」
「よし来た」
八戒は熊手を握りしめると、
バカ力を出して石門を叩きこわしにかかった。
「やい、化け物。
 手遅れにならない中に
 早くお師匠さまを引渡した方が身のためだぞ」
驚いて小妖怪が奥へ報告にとんで入った。
「やってきたのはどいつだ?」
と化け物がきいた。
「ご心配にならないでも私が見に行ってまいります」
小妖怪が先に立って出て行って見ると、
門前で毒づいているのは耳の長い男である。
「大王。
 大したことはございませんよ。
 猪八戒なんていうのは見かけばかりで
 実力者じゃないんですから」

そとできいていた八戒は、
「あれ。兄貴。
 奴らは一向に俺を怖がらないよ。
 一つ兄貴が顔を出しておくれ」
「よしよし」

悟空は前へ進むと、
「やい。化け物の畜生野郎。
 悟空の顔が見たけりゃ見せてやるぞ。
 その代りお師匠さまをおとなしく出さないなら
 生命はないものと思え」
「こりゃ雲行きが悪くなってきたぞ」

小妖怪がびっくりして化け物に報告すると、
「分瓣だか、分別だか、わからんが、
 これも皆お前が招いた禍だ。
 一体この結末をどうつけてくれる?」
「ご心配はいりません。
 智慧があるように見えてもないのが猿の智慧。
 我々の方で偽物の頭蓋骨を用意して投げ出してやれば、
 向うでも、もう三蔵は食われてしまったと思って
 諦めるでしょう」
「なるほど。
 どの首を使うことにしようか?」
「ショーウインドに並べてある
 プラスチック製はどうでしょうか?」
「よし。そうしよう」

化け物は本物そっくりの頭蓋骨を一つ持って来させると、
お盆にのせて門前まで運ばせた。
「申し上げます。
 さきほどから盛んに
 お師匠さまをかえせと言われておりますが、
 生憎と一歩違いで、
 私どもが調理してしまいました。
 頭だけどうやら残っていますから、
 これをおかえし致します」

門の中から首が一つころがり出してきたのを見ると、
八戒は声をあげて泣き出した。
「お師匠さま。
 ああ。
 こんな姿になってかえって来られるなんて……」
「待て待て。
 泣き男じゃあるまいし、
 本物かどうか鑑定してから泣いても遅くはないぞ」
と悟空が肩を叩いた。
「人の首に偽物も本物もあるものか?」
「いや、こいつは偽物だ」
「どうして偽物だということがわかる?」
「本物なら下へおとしても音を立てないが、
 偽物は音がする。
 何しろこの頃はチーズだってプラスチックでつくった
 本物そっくりのがあるそうだから、
 音で識別して見ないことにはわからないよ」
手に持ちあげて石の上におとすと、
偽物はガラガラと音を立てた。
「やい、偽物で俺たちの目をくらまそうたって、
 そう行かないぞ。
 俺たちのお師匠さまをかえせ」
「奴の目をごまかすのは容易なことじゃないわい」

小妖怪は首をふりふり奥へとんて入った。
「猪八戒と沙悟浄はうまくごまかしたのですが、
 孫悟空の奴はいつどこて骨董屋の修行を積んだのか、
 意外な目ききで、簡単に見破られてしまいました」
「それならば、剥皮亭へ行ってまだ食べかけの奴を
 一つ持ち出してくればいいだろう」
と化け物は言った。
小妖怪は早速、むき立てでまだ血のついている奴を
一つ選び出してきて、門の外へ投げ出して言った。
「せっかくの珍しい頭だから、
 家のおまもりに残しておくつもりだったが、
 そんなに欲しいならかえしてやれと
 大王が言っていますよ」

ころころところがり出してきたのは、
もはや疑う余地もなき本物の人間の首である。
「あ、お師匠さま」

三人ともその場に膝をついて一せいに泣き出してしまった。

しかし、いつまでもこんなところで
手放しで泣いていても仕方がない。
「気候も暑いことだし、
 腐ってしまわない中に
 せめて土にでも埋めてさしあげよう」

三人して首を陽のあたる山の上へ運ぷと、
八戒が熊手で穴をほってその上から土を堆高く盛りあげた。
それから遠くへ行って丸い石をいくつか持ってきて
墓の前に並べた。
「石を並べたって死んだ人はもう帰って来ないよ」
と悟空が言った。
「でもそうしなければ我々の気持がすまないよ」
「全くこのままかえるのでは俺も気がすまん。
 どうせお弔いをするなら、弔合戦をやって
 化け物を八ツ裂きにしてから帰ろうじゃないか?」
「そうだそうだ」
「それなら沙悟浄に墓守りを頼んで、
 お前と俺で奴らの洞窟の中へ攻め込むことにしよう。
 さ、行こう」

2001-04-17-TUE

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