毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第一章 理想境か失望境か

四 極楽と隣り合わせ


やがて朝が来た。
早く起きた官女たちが先ず自分の頭にさわって見て、
あッと驚いた。
続いて起きてきた侍従たちも、
自分らの頭を抱えこんでしまった。

いや、そればかりではない。
朝の化粧台で坊主頭になった自分の姿を発見した
ファースト・レディがあわてて、
ご亭主の寝台へ駈け上って見ると、
ここにも坊主が一人ねているではないか。
「あなた、大へんよ」

揺り起された独裁者が、
「や、お前はいつ尼になった?」
「そういうあなたは?」

思わず手を頭にやって見ると、
これもまたツルツルの坊主頭になっている。
「どういうわけだろう?
 どうしてこんなことが起こったのだろうか?」

内心すっかりあわてているところへ、
官女たちが続々とやってきた。
「私たちは皆、坊主頭にされてしまいました」
「ああ。
 これは私が坊主たちをたくさん殺した祟りに違いない」
と減法国王は柄になく弱音を吐いた。
「しかし、この事は一切口外することまかりならぬ。
 もし万一、外部へもれるようなことがあったら、
 不平分子に絶好の攻撃材料をあたえることになるからな」

そう言って、
国王は坊主頭をかくして朝の謁見に出かけて行ったが、
実に国王が心配するほどのことはなかった。
というのは文武百官ことごとく
同じ思いに悩まされていたからである。
「何とも無態なことになりまして申しわけありません」
と役人たちは頭をさげた。
その頭が一人残らずこれまた坊主頭なのである。
「どうしてそんな頭になったのか?」

国王がきくと、
「それが全くわからないのでございます。
 昨夜ねる時はちゃんと頭髪があったのに、
 今朝起きて見たら、この通りでございます」
「全く不思議なことがあるものだ。
 実は宮殿の中でも同じことが起ったのだよ」

国王ひとりを坊主頭にして、
あとは素知らぬ顔をした方が面白かったのに、
悟空も少々早まりすぎたようだ。
しかし、上から下まで全部坊主頭にされてしまった以上、
「それっ。坊主を見たら叩き殺せ」
というわけには行かない。
「坊主を目の敵にしたのは
 人民の関心を一つところに集中して
 団結を強固こする目的だったが、
 どうやらその時代も過ぎ去ったようだ。
 もともと宗教はその威力を失ってしまったのだから、
 これからは信教の自由を憲法にうたうことにしよう」

国王はそう言って文武百官に図ったが、
もとより反対を唱える者のあろう筈がない。
そこへ巡城総兵官が進み出、
「申しあげます。
 昨夜、盗賊の掃蕩をやったところ、
 贓品一箱と白馬一頭を獲ました。
 この処置についてご聖断を仰ぎたいと存じます」

国王は喜んで、
「すぐここへ持ってくるように」
と命令を下した。

やがて一群の兵士が大箱を担いで現われた。
中に入ったままの三蔵は生きた心地もなく、
「どうしよう。どうしよう」
「なあに、大丈夫ですよ。
 私がちゃんと打つだけの手は打っておきましたから」

悟空は平気な顔をして笑っている。
「じゃ裁判になったら、万事、兄貴に任せるよ」

八戒も沙悟浄も半はあきらめ、半ば不貞腐れている。

大箱が置かれると、国王は蓋をとるように命じた。
総兵官が自ら鍵をあけた。
と、中から八戒が真先にとび出してきたので、
居並ぷ文武百官の驚くまいことか。

続いて悟空が三蔵の手をひいて現われた。
沙悟浄はと見ると、後生大事に荷物を担いでいる。
八戒は総兵官が白馬を引っ張っているのを見ると、
「それは俺たちのものだ。かえしてくれ」

すぐに馬を奪いかえしにかかった。
「一体、あなたたちはどこの何者です?」
と国王はきいた。
「私どもは東土の大唐国から西方天竺の雷音寺へ
 お経をとりに参る者でございます」
と三蔵が答えた。
「ほう。すると、巡礼さんだね。
 今の時代に巡礼さんも珍しいが、
 それがまたどうして箱の中に入っていたのですか?」
「実を申しますと、この国で革命が起って
 坊主と見たら皆殺しにするときいたのです。
 そこで俗人に化けて宿に泊ったのですが、
 他人に見破られるのをおそれて
 箱の中に入ってねていたところ、
 盗賊に箱ごと盗に出されて
 ごらんのような始末でございます。
 私どもはただの通行人で、
 この国で人民に布教をしたり、
 煽動したりしようとするものではございませんから、
 何とぞ、お見逃がしを願いとう存じます」

三蔵がありのままを答えると、
「東土の大唐国といえば、
 今の世の文明国ではありませんか?
 どうしてそんな文明国から、
 わざわぎ天竺のような貧富の差の激しい野蛮国へ
 巡礼に行かれるのですか?」
と国王は逆にききかえした。
「それはまたどういう意味でございますか?」
と三蔵は驚いてききかえした。

「天竺と言えば、
 釈迦如来の統治なさる極楽浄土ときいております。
 そこでは人間同士に争いもなく、
 五穀も豊かに実り、人々は生死を超越して、
 永遠に生きることが出来るときいております。
 それに比べると、大唐国は近来水害続きで、
 人々は食うに米なく、働くに職なく、
 厄病に斃れる者が多く、
 まるでこの世の地獄でございます。
 そこで大唐国王は私を天竺に派遣して、
 仏様のお智慧を拝借しようとなさったわけでございます」
「ハッハハハハ……」
と国王は声をあげて笑った。
「隣りの花は赤い、他人の女房は美しい、
 とはまさにこのことですね。
 ご承知と思いますが、
 ここは天竺からそれほど遠くはないので、
 天竺のことについてはあれこれと情報が入ってきます。
 見るときくは大違いと申しますが、
 スタンド・プレイのうまい釈迦如来を
 遠くから見ていると、
 天竺は人間の理想境のように見えかねませんが、
 本当は共産主義の温床になるような
 貧富の差の極端なところなんですよ」
「まさかそんなことはございませんでしょう。
 陛下はご冗談をおっしゃっているのでは
 ございませんか?」

三蔵が目をパチクリさせると、
「いやいや。
 何で私が冗談やひやかしを言うものですか?
 私は見て知っているのです。
 天竺は極楽ですが、
 それは坊主という特権階級の極楽であって、
 いつも私の言うことですが、
 少数者の極楽は
 多数者の地獄の上に立っていることが多いのです。
 それではいけないと思ったので、
 私は先ず坊主を追放することから始めたのです」
「でも、あなたも坊主頭になったじゃありませんか?」
と八戒は国王の頭を指さして叫んだ。
「その通りです。
 これはきっと天が我々に
 再び坊主の二の舞をしないように
 警告してくれたのだと思います。
 頭の毛をのばしても、
 意識の中で知らず知らず
 特権階級気どりになるおそれがありますからね」
「こりや弁護士にしても一流だわい」
と悟空は思わず大声を出して、
「ところで一つお願いがあるのですが、
 もしあなたのおっしゃる通り天竺が理想境でなかったら、
 それを理想境と信じている人々の迷夢を
 打ち破って下さいませんか?」
「もちろん、そのつもりで努力してきました」
「その一番効果的な方法は、坊主を追放することよりも、
 理想境と信じている人々に
 天竺の現実を見せてやることだと
 お考えこなりませんか?」
「なるほど。
 それもたしかに一つの方法だ」
「だとしたら、私たちを通して下さい」
悟空も屁理屈にかけてはなかなか負けていない。
さすがの国王も反駁の言葉を失って、
三蔵のさし出した関文に通行御免の査証をあたえてくれた。
「滅法国の国王はあんなことを言うけれども、
 本当に天竺は理想境ではなくて、
 失望境なんでしょうか?」

沙悟浄が心配そうに言ぅと、
「バカな。そんなことがあるものか。
 もしそうだとしたら、
 何のために我々がさんざん苦労をして
 ここまでやってきたのか、
 わからなくなってしまうじゃないか」
常になく激しい語勢をこめて、
三蔵は弟子たちを睨みつけた。

2001-04-14-SAT

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