毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第一章 理想境か失望境か

三 箱入り道中


さて、食事が終って後かたづけがすむと、
三蔵は悟空の耳元で、
「今夜はどこで休んだものだろうか?」
「ここの二階でいいじゃありませんか?」
「いや、ここじゃ駄目だ。
 折角、苦心をしてここまでやってきたのに、
 もし我々が寝ていて頭巾のずれおちたところを
 誰かに見つけられようものなら、
 すべてが水の泡だからね」
「そりゃその通りですね」
悟空はまた部屋のそとへ出て行くと、女将を呼んだ。
「何かご用でございますか?」
「今夜、私たちはどこへ寝せてくれるのですか?」
「ここの二階はいかがでございますか?
 蚊もおりませんし、南風が吹きこみますし、
 窓をあけてお休みになれば、ようくお休みになれますよ」
「いやいや。ここじゃとても寝られない。
 こここいるこの朱さんは神経痛が持病だし、
 うちのお師匠さま──じゃなかった、
 唐さんは真っ暗なところでないと
 寝つかれない癖がありましてね」
「さあ、それは因りましたわね」

女将は階下へおりて行くと、
柱にもたれかかったまま大きな溜息をついた。
「ママ。どうかなさったの?」
と娘がそばへ近よってきて言った。
「夏の間はシーズンオフだから、
 どうしたって商売がひまなのは仕方がないわよ。
 でも秋になったら、きっとお客がうんとやってきて、
 忙しくなると思うわ」
「そんな心配をしているんじゃないよ。
 実は今夜遅くなってからやってきたあの四人のお客、
 せっかくAの注文をしてくれたので、
 これでいくらかお金にたると思ったのに、
 いざとたったら、ご精進の最中だとさ。
 本当にお金もうけって難しいわね」
「でもあの人たち、夕食をうちで食べたのだから、
 今から宿をかえるわけには行かないでしょう。
 今夜は駄目でも明日は精進じゃないでしょうから、
 お金をとれないということはありませんよ」
「ところが、あの人たちは神経痛の持病を持っていたり、
 明るいところではねられなかったりで、
 真っ暗な部屋を欲しいというんですよ。
 この家にはそんな部屋はありゃしないし、
 もしご飯を出したあとでなかったら、
 いっそ他所へ移ってもらおうかしらと思うくらいなの」

娘はしばらく考えていたが、
「ママ。いい考えがあるわ。
 うちに暗くて風の通らないところがあるじゃないの」
「どこにそんたところがある?」
「ほら。パパがいた時につくった
 大きな箱があるじゃないの。
 あの中なら、少し窮屈かもしれないけれど、
 六、七人くらいの人なら入って入れないことないわ」
「そうね。
 お客さんがどういうか知らないけれど、
 一度、きいてきて見ようかしら」

女将があがってきて、そのことをいうと、
悟空は二つ返事で、
「そいつは結構だ」

早速、下男たちを動員して、
大きな箱を庭へ持ち出してきた。

悟空が先に立ってあとの三人を庭へ案内した。
「私の馬は?」
「馬は小屋に繋いで草を食べさしております」
「じゃ、そいつをここへ引っ張ってきて、
 箱につないでおいてくれ」

それから女将に向って、
「我々が中に入ったら、蓋をして鍵をかけておいて下さい。
 鍵はあなたにあずけておきますから、
 明日朝早くあけに来て下さい」
「ハイハイ」

女将は半ばあきれ、半ば笑いながら、
「貴重品をおあずかりすることは度々ございますけれども、
 人間の保護あずかりは開店以来はじめてでございますよ」
「そうでしょうとも。
 何しろ我々のように大金を持って旅行をしていると、
 こうでもしなければ夜もおちおちねむれませんからね。
 じゃお願いしますよ」

四人は女将に「お休み」を言って、
箱の中こ入ったまではいいが、ただでさえ暑い上に
頭からすっぽり頭巾をかぶっているので、
とても寝つかれたものではない。
とうとう一枚脱ぎ、二枚脱ぎ、裸になった上に、
扇子がないので僧帽をとり出してバタバタやり出した。
「おい。八戒。何というスゴいいびきだ?
 お前のような仕合わせな奴は見たことないぞ」

八戒がいびきをかきだすと、悟空が八戒の腿をつねった。
「ねよう。ねよう。
 ねているあいだが俺たちの極楽」
と八戒がねがえりを打った。
「ちぇッ。
 金の心配をしないですむ奴は極楽だろうよ。
 俺は気が気でないぞ。
 馬を売った代金が三千両、
 ここに入っている金が四千両、
 あと残った馬を売れば、三千両、
 合わせて一万両の金を
 どうやって無事に家まで持ってかえれるか
 考えただけでも頭が痛くなるよ」

胸に一物ある悟空はあらぬ話を口走っているが、
もとより八戒がそんな話の相手になっているわけがない。

ところが、宿屋の下働きのなかには、
盗賊の手下がもぐり込んでいて、
悟空の独り言をすっかり盗みぎきしてしまっていた。

真夜中になると、
手に手に松明や刀剣を持った盗賊の一群が
ウィドーの店へ押しかけてきた。
「やい、金を出せ」

女将や娘は片隅でブルブルふるえているが、
盗賊たちは家の中の物には目もくれないで、
あちこち探しまわっている。
そのうち馬を繋いだ大きな箱が見つかった。
「うむ。これは中をひらいて見ないでも、
 大よその見当がつくぞ。こいつを運び出せ」

すぐに箱に縄をかけると、
大ぜいでえっさえっさと担ぎ出した。

八戒が真先に目を醒ました。
「おお。地震だ」
「しっ、静かにしておれ」
と悟空が制した。
と、続いて三蔵と沙悟浄が目をさました。
「誰かが我々を運んでいるようだが、一体、誰だろうか?」
「しっ。今、西天へ行く
 無料のバスに乗っているところですよ。
 西天までうまく運んでくれれば、
 歩かないですむだけ助かります」

ところが、生憎なことに、盗航は西へ向うかと思いの外、
東へ向って駈け出した。
そして城門破りをすると、
城の外へとび出してしまったのである。

そこまではまだよかったのであるが、
大事をききつけた巡城総兵が
大挙して盗賊のあとを追撃しはじめた。
何しろ多勢に無勢、衆寡敵せずと見た盗賊は、
三蔵たちの入った大箱も白馬もその場にほうり出すと、
一目散に逃げ出してしまった。
総兵官は戦利品を得ると、総府へ大箱を持ちかえり、
封印をして夜の明けるのを待った。

一方、箱の中に入ったまま
出るに出られなくなった三蔵は
悟空の顔を恨めしげに見つめながら、
「これも皆、おまえのおかげだよ、
 外をうろついているうちに人につかまって、
 滅法国王の前に引き出されたのなら、
 まだ弁解の余地もあるけれど、
 箱に入れられて国王のところへ送り届けられたのでは、
 一万人殺戮の悲願を
 ただかなえさせてやるようなものじゃないか」
「しかし、外でつかまえられたら、
 がんじがらめにしばりあげられるか、
 天井からぶらさげられるか、のどちらかですよ。
 もうしばらくここで辛抱して下さい。
 明日の朝、この国の独裁者にあえば、
 私がうまいことを言って
 必ずお師匠さまに迷惑がかからないよう
 取り計らいますから」

真夜中になると、悟空は起き出してきて、
耳の中から如意棒をとり出しプッと息を吹きかけた。
「変れ!」と叫ぶと、先が三つに分かれたキリが現われた。
それで箱の底に小さな穴をあけ、
あけ終ってキリをしまい込むと、
今度は蟻に化けて忽ち箱の中から脱け出した。

外へ出た悟空はすぐ雲を走らせて宮殿の中へ忍び込んだ。
奥へ入って見ると、
独裁者は前後も知らずぐっすりねこんでいる。
「よし、うまい考えがあるぞ」
悟空は左の臂の上から一束の毛を抜いて息を吹きかけた。
と、一群の小悟空が現われた。
右の臂の上の毛を抜いて、同じく息を吹きかけると、
今度は無数の催眠虫が現われた。
続いて土地神を呼び出して、
「おい。宮殿の中にいる老若男女を問わず、
 すべての者に隈なく配給しておいてくれ」

皆が眠りこけてしまうのを待って、
悟空は如意棒をとり出し、
手の中でグルグルとまわしながら、
「さあさ、変れ変れ」

見ると、一回転するごとに、
一本ずつ剃刀がころがり出てくる。
小悟空はそれを手に手にとると、
忽ち部屋から部屋へととんで入って行った。

かくて夜の明けるのを待たずして、
減法国の宮殿に住む人々はもちろん各役所の役人たちも、
一人残らず坊主頭に剃りあげられてしまったのである。

2001-04-13-FRI

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