毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第七巻 道遠しの巻
第五章 子を飼う国

二 燕雀いずくんぞ


さて、ひとり包囲を脱した悟空は
一旦雲の上にあがったものの、
手の施しようもなかったので、獅駝洞へ戻って行った。
そして、魔王のいない間に、
洞中の小妖怪どもを一人残らず叩き散らしてしまった。

急いで城下へひきかえしてくると、
夜はほのぼのと明けかかっている。
戦争をしかけようにも多勢に無勢、仕方がないから、
悟空は一人の小妖怪に化けて城門の中へ忍びこんで行った。

きいて見ると、
どこもかしこも昨夜のことでもちっきりである。
「料理が間に合わないので、
 とうとう刺身にして食べてしまったそうだよ」
「いやいや、料理が間に合わなかったからじゃないよ。
 料理の方法の一つとして刺身というのがあるんだ。
 生の肉には肉そのもののうまみがあって、
 なかなかうまいものだそうだよ」

意見は色々に分れているが、
三蔵が食べられてしまったという点では一致している。
悟空は心焦って金鑾殿の前まで出かけて行った。
見ると門の中では
ピカピカの帽子に黄色い制服を着た番兵が、
手に紅い棍棒を握って行ったり来たりしている。
「ハハン。
 あれに化ければ、奥へ入ることができそうだな。
 真相は一体どうなのか、
 ひとつ奥へもぐりこんでさぐって見よう」

番兵たちと寸分違わぬ身恰好になると、
悟空は門の中へ入っていった。
見ると、宮殿の前の柱に八戒がしばりつけられている。
「おい悟能」

近づいてそっと声をかけると、八戒はすぐに気がついた。
「兄貴、助けてくれ」
「助けてやるとも。だが、お師匠さまはどうした?」
「お師匠さまはもうおさらばだよ。
 刺身になって食べられてしまったそうだ」
「やっぱりそうだったか!」

悟空の目がうるんだ。
「泣くな、泣くな。
 手下どもがそんなことを喋っているのをきいただけで、
 この目で見たわけじゃない。
 もっと奥へ入って様子をさぐった方がいいよ」

言われるままに更に奥へ進むと、
後の柱に沙悟浄の姿が見えた。
「おい、悟浄」

悟空の地声をきくと、沙悟浄は思わず目を見張って、
「兄貴。よくここまで来られましたね。
 早くこの縄目をといて下さい」
「といてあげるのはおやすいご用だ。
 しかし、それよりお師匠さまはどうなさった」
「蒸す時間がまどろっこしいから、
 刺身にしちゃえと言っているのをききましたよ。
 可哀そうに、お師匠さまは刺身包丁の錆となって
 消えてしまったかも知れません」
「ああ……」
と悟空は長大息をした。
「こんなに苦労をして、
 こんなに長い路のりをやってきたのに、
 とうとう目的も達しないで死んでしまうなんて。
 これももとはと言えば釈迦如来がケチケチしていて
 自分の方からお経のセールスにやって来ないで、
 独占資本家の根性を発揮したことから起ったことなんだ。
 よし、こうなったら、
 如来のところへ行って膝詰談判をしてやろう。
 私にも売ってくれるなら、
 さっさと東土へ運んで皆にくれてやるし、
 もし総代理店が
 三蔵法師以外のものでは駄目だというなら、
 この頭の輪を今日限りはずしてもらおうじゃないか」

悲壮な気持で斗雲に乗ると、
悟空は一路天竺へ向って直行した。
やがて霊山が間近に見えてきた。
斗雲はすぐ鷲峰の下へおりてきた。
「こら、どこへ行く?」

見ると、四大金剛が眼前に立ちふさがっている。
「如来にちょっと用事があるんだ」
と悟空はぶっきら棒な返事をした。
「何という礼儀知らザルだ。
 前に牛魔王にいじめられた時も
 ずいぷん手をかしてやったんだから、
 何とか挨拶くらいあっても然るべきじゃないか」
「だから挨拶に来たんじゃないか。
 何かというと独占資本家はすぐに他人の邪魔立てをする。
 そうしておいて
 自分らが力をかしてやったような顔をする。
 俺だってもしこの頭を金しばりにされていなかったら、
 何もわざわざ天竺くんだりまで
 挨拶まわりに来たりしないわい」

いやはや、
難儀の時に助けてやった相手からこんな挨拶では、
いくら紳士揃いの天竺でも黙っちゃいないであろう。
何をッ、バカヤロー、と言いあいをしていると、
宝蓮台の上に坐っていた釈迦如来が、
「孫悟空が来たようだ。お前ら迎えに行ってやりなさい」

言われて阿羅漢たちがぞろぞろと山門まで出てきたので、
悟空はやっと中へ入れてもらうことができた。
「悟空や、何をそんなにメソメソしているんだ?」
と宝蓮台の上から如来がきいた。
「私が何でメソメソしているか、
 全知全能のお釈迦さまはよおくご存じじゃありませんか」

悟空は大いにスネながらも、
これまでの経過を逐一報告せずにはおられなかった。
「まあまあ、そうヒステリックにならないでもいいよ。
 要するに化け物が手ごわすぎて
 お前の手に負えないということだろう?」
と如来が笑うと、悟空は襟を正して、
「お釈迦さまは何でもご存じです。
 私が改めて説明をするまでもないと思います」
「あの化け物なら、私は知っているよ」
と如来は言った。
「どうせそんなことだろうと思っていましたよ」
と悟空は思わず声を大にして、
「人の話では
 化け物はお釈迦さまと
 親戚の間柄だそうじゃありませんか?」
「バカをおいいじゃないよ。何で私と親戚なものか」
「親戚でもないのに、どうして知っているのですか?」
「お前は、私は何でも知っていると言ったじゃないか。
 老魔と二魔は皆それぞれ所有者がいるよ」

如来はそばにいる阿儺と迦葉の方をふりむくと、
「お前ら、今すぐ五台山と蛾眉山へ行って
 文殊と普賢を呼んできておくれ」

二人が出て行くと、如来はまたあとを続けて、
「老魔、二魔の素姓はよくわかっているが、
 第三の魔物は、もとを正すと、
 この私といくらか縁がないでもない」
「ほれ、そうでしょう。
 一体、父方の親戚ですか、それとも母系家族ですか?」
「いやいや、そんな簡単な系図で説明できることじゃない。
 もとを正せば、天と地が混沌として
 まだ男と女の区別もつかなかった時に、
 先ず天と地が分かれて交合が行われ、
 万物が生まれたんだ。
 地上を走る方のはじまりは麒麟で、
 空をとぶはじまりが鳳凰。
 その鳳凰が交合して生まれたのが孔雀と大鵬だ。
 ところが孔雀は生まれた時から美しいことを鼻にかけて
 性が悪く、人を見ればすぐペロリと
 一口にのみこんでしまう。
 私はその時、雪山の頭上で修業をしていたが、
 あっという間にペロリとのみこまれてしまった。
 お尻の穴をかきわけてとび出すのはわけはないが、
 それでは孔雀の小倅にされてしまう。
 仕方がないから奴の背中をこじあけて、
 ようやく外へ出た。
 そして、奴を一思いに打ち殺してやろうと思ったが、
 いくら性悪の女でも母親ともなれば、
 母らしさをもつものなのだと、
 他の仏たちにいさめられてやっと許してやった。
 そして、霊山にとどめて仏母孔雀大明王菩薩に
 封じてやったのだが、
 大鵬とこの孔雀はもともと同じ
 一つ親から生まれたものなのだよ」
「とすると、お釈迦さまはあの第三の化け物の
 甥御さんということになるじゃありませんか?」
「とにかくあの化け物は、
 私が自分で行かなきゃおさまらない奴だよ」
「じゃ是非是非よろしくお願い致します」

如来が宝蓮台をおりて諸仏と共に山門を出ると、
そこへ阿儺と迦葉が文殊菩薩と普賢菩薩を連れて
戻ってきた。

挨拶が終ると、如来がすぐにきいた。
「菩薩の獣が山をおりてから
 どれだけ時日がたちましたか?」
「ハイ。七日になります」
と文珠が答えた。
「山中の七日は俗世間の何千年にもあたりますよ。
 早く行って連れ戻して来ないことには、
 どれほどの人が犠牲になっているかわかりません。
 さあ、すぐこれから私と一緒に行きましょう」

悟空を道案内に如来の一行が虚空を進んで行くと、
ほどなく黒煙を濛々と吐いている都会地が
視界に入ってきた。
「あれがさっきお話をした獅駝国ですよ」
「じゃお前が先に下りて行って
 妖魔をおびき出してくるがいい。
 敗れたふりをして私のところまで退いてくるのですよ」

言われた通り悟空は城の上まで下りて行くと、
「やい。化け物。男なら出て来て潔く勝負を致せ」

驚いて手下が報告にとんで入ると、老魔は、
「猿の奴め、この二、三日来ないと思っていたが、
 どこぞへ行って援兵でもたのんで来たんだろうか」
「かまうものか。
 一緒に出て行ってやっつけてやろうじゃないか」
と二大王、三大王がすぐに応じた。

三人の化け物は手に手に武器を握りしめると、
宮殿の中から出てきた。
そして、悟空の姿を認めると、
物も言わずに一せいにおどりかかって行った。
七、八回も刀と棒を打ち合わせただろうか。
悟空が負けたふりをして背中を見せると、
「逃げるな。逃げるな」

悟空が雲にのると、
三人の化け物も一せいに雲を駕してそのあとを追った。
悟空はさっと身体を動かすと、
釈迦如来の金光の中にとびこんだ。

すると、その姿は一瞬消え失せ、
過去、現在、未来の三尊の仏像と、
五百阿羅漢、三千掲諦神が
三人の化け物を完全に包囲してしまった。
「しまった。えりにえらんで
 俺たちの一番弱い奴らを引っ張ってきやがった」

老魔が叫ぷと、
「なあに、こうなったら如来に一太刀浴びせて、
 ついでに雷音寺の縄張りも、
 こちとらにちょうだいしようじゃないか」

怖れを知らない三大王は本気になって刀をふりあげると、
釈迦如来に向って突進して行った。
「不届き者め! 早々にもとの姿にもどれ」

文殊と普賢が口々に呪文を唱えると、
老魔と二魔はもっていた武器を投げ出して
その場で宙返りをした。
と思うと、忽ち本性を現わした。
見ると、一匹は青獅子で、一匹は白象である。

しかし、
第三の化け物だけはまだ屈しようとしないばかりか、
一つかみに悟空をつかまえようと、
翅をひろげて猛然と襲いかかってきた。
そこは如来の金光という安全地帯に逃げ込んだ悟空だから、
如来が相手を料理するお手並みいかんと
涼しい顔をしている。

何のことはない。
如来はちょっと手を出して化け物の頭を指さした。
すると、
化け物は筋でもひっこぬかれてしまったかのように、
翅をジタバタさせながら、これまた本性を現わした。
見ると、こちらは一羽の大鵬金翅である。
「どうしてまたそんな卑怯な手を使って
 俺を苦しめるんだ?」
と大鵬はくやしそうに叫んだ。
「お前がここにいると、世間の者が迷惑するんだ。
 私と一緒に戻ろう」
「いやだいやだ。
 貧乏を清貧と称して、他人に倹約の押し売りをする
 菜食主義者と一緒に暮らすのは嫌だ。
 燕雀いずくんぞ大鵬の志を知らんや……だ」
「しかし、私は四大部州に無数の信者を持っている。
 彼らがお供えをもって来たら、
 先ずお前にあげるように手配してあげよう」

大鵬は如来のつくった土俵から逃がれ出ようとするが、
所詮は逃がれることのできない運命にある。
大鵬の翅の動きが自由にならなくなったのを見ると、
悟空はやっと安心して金光のかげから這い出してきた。
「お釈迦さま、化け物を退治してくれたのは有難いですが、
 私のお師匠さまはどうしてくれます?
 もう一度あの世から連れもどして下さいますか?」
「誰がお前の師匠を殺したというんだ?
 あの老いぼれの糞坊主は、
 錦香亭の鉄櫃の中で今頃糞をたれているわい」

大鵬に言われて悟空はあわてて城の中へ駈けこんで行った。
形勢不利と見たか、さっきまであんなに沢山いた
手下どもは唯の一人も残っていない。
悟空は八戒の縄をほどき、沙悟浄を助けおこすと、
錦香亭へ急いだ。
なるほど亭内には鉄の櫃が一つおいてある。
蓋をあけると、まぶしそうに眼をしょぼつかせている
三蔵の姿が見つかった。

2001-03-28-WED

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