毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第六巻 経世済民の巻
第五章  亜流極楽

一 だまされたい人もある

「私を無理矢理ここへひっぱってきて、
 歌の会をやろうというお話の筈でしたが、
 これじゃ美人局じゃありませんか。
 一体、何が目的で私に女を押しつけようとするのです?」
と三蔵はムキになって怒鳴りつづけている。
眉をつりあげた三蔵の形相を見ると、
四人の老人はびっくりして押し黙ってしまった。

すると、そばで眺めていた赤毛赤肌の鬼使が立ちあがって、
「仲人魔とは何だ?
 美人局とは何だ?
 うちのこの姐さんのどこが気に入らねえ?」
と三蔵よりももっと凄い声を張りあげて怒鳴った。
「一目見たってこの姐さんが、
 そんじょそこいらのお針子ふぜいとは
 わけが違うくらいのことはわかりそうなものじゃないか。
 詩ひとつ作ってみたって、
 あなたよりは文才があるかも知れないぜ。
 それをああでもない、こうでもない、
 と贅沢を言いやがって。
 孤直公の仲人では不足というなら、
 この俺が仲人をしてやってもいいぜ」
「いやいや、私はこのお嬢さんにケチをつけているわけでは
 もとよりありません。
 ただ何分にも私は目下、修行の身の上なのです」
とあわてて三蔵は弁解した。
「修行の身の上ならちょうど好都合じゃないか。
 若い身空の時は若さはあるが、財布の中はカラッポだ。
 そういう時には、財産のある年上の女と結婚をして、
 一所懸命、修行をするがいい。
 そうして、財産もでき、社会的地位もできたら、
 今度はもう一度、若い娘さんと結婚しなおすんだ。
 人生二回結婚論というのが目下、
 この国で大流行をしているが、
 おかげで宴会屋や衣裳屋が繁昌して
 みんな助かっているんだぜ」
「でも私は駄目なんです。
 出家は妻帯を禁じられておりますから、
 妻をめとるわけには行かないのです」

いくら口を酔っばくしても、三蔵がウンと言わないので、
しまいには鬼使は目をむいて、
「この野郎、
 紳士だと思ってこちらも紳士的な態度をとったら、
 ますますつけあがりやがって。
 もし俺たちが尻をまくつたら、
 手前のような奴は女房にありつくどころか、
 坊主も今日限りで廃業と相成るぜ」

しかし、何と言われても、石部金吉カナカブト。
三蔵法師は目をとじたまま、
「ああ、悟空や。八戒や。
 なぜ早くやってきて、
 私をこの世の地獄から救い出してくれないのだ?」

無理にしぼったわけでもないのに、
いつの間にか目から涙が溢れ出てくる。

それを見ると、
傍らにいた杏仙は袖の中から絹のハンカチをとり出して、
三蔵の涙をふいてやりながら、
「そんなに嘆いたりしないで下さいな。
 あなたが泣けば、私も泣かされるわ」
「もうたくさんだ」

三蔵は荒々しく杏仙の手をふりはらうと、
いきなり逃げ出そうとした。
すると、さっきの四、
五人が大急ぎでまわりをとりかこんで、
「それッ。逃がすな」
「助けてくれ。女は怖い!」
と三蔵がジタバタしていると、
「お師匠さま、お師匠さま。
 そこで誰と話をしているのです?」
と声がした。
「ここだ。ここだ。助けてくれ」

門を蹴破るようにして三蔵は石屋の中からとび出してきた 。
四人の老人と鬼使と杏仙の姿はいつの間にか消え失せて、
夜は漸く明けはなたれょうとしている。
「お師匠さま。
 何だってこんなところにいるのです?」
とそばへ駈けよってきたのは八戒であった。
「いや、もう一歩のところで童貞を失うところだったよ」

三蔵は、土地神と称する老人にさらわれて
ここに連れて来られ、三人の老人にひきあわされたこと、
四人して自分を杏仙という女に娶わせようとしたことなど、
昨夜来の出来事を語った。
「それはまた羨ましいお話じゃありませんか」
と八戒は笑いながら、
「私たちはまたお師匠さまが
 化け物にさらわれたのかと思って、夜もねないで、
 この荊棘嶺を東から西まで探しまわったのですよ。
 詩仙のおつきあいをさせられていると知ったら、
 夜の明けるのを待ってから
 お迎えにきてもよかったのですがね」
「いやいや、詩仙のおつきあいも楽じゃなかったぜ。
 歌をつくるだけなら結構だけれど、
 夜が更けるとともにだんだん下がかって、
 風流なのか花柳なのかわからなくなってくるんだからね」
「それにしても一緒に詩歌の会をやったのなら
 相手の名前をきかなかったのですか?」
と悟空が脇からきいた。
「もちろん、きいたとも。
 最初にやってきた老人が十八公で号が頸節、
 二人目が孤直公、三人目が凌空子、四人目が払雲叟、
 そして、女の名前はたしか否仙だった」
「へえ。
 それでどこに住んでいるとは言わなかったのですか?」
と沙悟浄がきいた。
「どこに住んでいるとは言わなかったが、
 恐らくここからそんなに離れたところではないだろう」

三蔵が三人の弟子と一緒にあたりを見まわすと、
すぐ向うに石崖があって、崖の上に、
「木仙庵」と書いてある。
「ここだ。ここだ」

三蔵の声に悟空が顔をあげると、
崖のふちに、大きな檜と柏と松と竹がそびえており、
竹のうしろ側に楓が生えている。
そのまた脇に杏の老木と梅と桂の木が繁っていた。
「7ッハハハ……。なるほどなあ」
と悟空は笑いながら、
「おい、化け物の正体がわかったかい?」
と八戒の肩を叩いた。
「いや、わからない」
と八戒は首をふった。
「化け物はお前のすぐそばに立っているぜ」
「えッ?」
ギョッとして八戒はふりむいた。
「どこにも誰もいないじゃないか?」
「いるじゃないか、それ、そこに!
 木が何本も茂っているじゃないか」
「フーン。すると木の精が化け物かい?」
「そうだとも。
 十八公は松の木で、孤直公は柏の木、凌空子は檜で、
 払雲聖は竹、赤身鬼使は楓の木だ」
と悟空が説明すると、
「なるほど、なるほど。
 すると、杏仙とシャレこんだのは杏の木で、
 丹桂と蝋梅は腰元だったわけか。
 畜生め、よくもお師拝さまをたぷらかしたな」

やにわに熊手をふりあげた八戒は、
ただの一撃で老樹を倒そうとした。
「待て待て」
と三蔵はあわてて八戒の袖をひきとめた。
「奴らになぶりものにされたといっても、
 別に危害を加えられたわけではない。
 冗談に対して真顔で腹を立てたら、
 立てた方が笑わわてしまうよ」
「ハッハハハ……。
 やっばりお師匠さまは未練がおありなんですね」
と八戒は笑いながら、
「その博愛精神は私にもよくわかりますよ。
 本当はこのまま残しておくと、
 あとからきた者がまただまされたりして迷惑するんだが、
 しかし、世の中には女にだまされたいと思っている人も
 ありますからね」

案外、素直にひきさがったので、
三蔵はやっと安心して馬上の人となった。
どうやら無事に荊棘嶺をこえた一行四人は、
再び西へ西へと道を急いだ。

2001-02-26-MON

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