毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第五巻 色は匂えどの巻
第七章 男泣き

二 またも追放令


邸の前までくると、三蔵は馬をおり、
三人を残して一人だけ中へ入って行った。
「もしもし。ご免下さい」
案内を乞う声に奥から一人の老人が出てきた。
「あなたは?」
「旅の僧でございます。
 東土から西方へ参る途中、
 日も暮れかかってきましたので、
 一夜の宿をお借り願えましたらと思って
 お伺い致したのでございます」
「東土からおいででございますと?
 この遠路をたった一人で
 おいでになったのでございますか?」
「いえ、三人の弟子と一緒でございます」
「お連れのお方は?」
「あすこにひかえております」

指さす方向を眺めやった老人は、
物も言わず奥へひっこもうとした。
「待って下さい。お願いでございます。どうか一夜の宿を」
「いやいや、化け物に宿を貸すわけには行かない」
「あれは化け物じゃありませんよ。
 顔立ちは悪いけれども、心は悪くない連中です」
「でも、一人は夜叉で、一人は馬面で、
 一人は雷公みたいじゃありませんか?」

それをききつけると悟空が大きな声で言った。
「雷公は俺の孫で、夜叉はそのまた孫で、
 馬面はそのまた孫ですぞ」
「ご老人、びっくりなさらないで下さい」
とあわてて三蔵は相手の袖にすがりついた。
「こいつらは根はいい男ですが、
 上品な言葉というものを知らないだけのことなんです」

そこへ婆さんが
五、六歳になる子供を連れて奥から出て来た。
「お爺さん、何をびっくりしているんですか?」
「いやいや、それよりお坊さんがおいでだから、
 お茶の用意をしておいておくれ」

婆さんは子供を奥へ連れて行くと、
やがてお茶を二人前持ってまた出てきた。
「私は旅の僧で一夜の宿をお借りしたいと思って
 お願いにあがったのですが、
 私の連れがあまりいい人相をしていないものですから、
 お爺さんがびっくりしていなさるのですよ」
と三蔵は言った。
「人相が悪いくらいでびっくりしていたら、
 虎や狼が出て来たらどうするんですか、お爺さん」
と婆さんは言った。
「けど婆さんや。
 人相が悪いだけならまだいいが、
 言葉つきも普通じゃないよ。
 雷公は俺の孫で、夜叉はそのまた孫で、
 馬面はそのまた孫だ、なんていうんだもの」
「いやいや、雷公のような恰好をしたのは
 孫悟空という私の一番弟子で、
 馬面のようなのが二番弟子の猪八戒、
 夜叉もどきが三番弟子の沙悟浄です。
 皆、そのむかしは天下狭しと暴れまわった
 威勢のよい男ですが、
 今は仏門に帰依して
 真面目に修行をしている者でございます」

あの人相の悪い連中にいちいち僧名があるのを知ると、
老人はやっと安心して、
「では、まあ、お入りになって下さい」
と三人の者を中へ招じ入れた。
「お前ら無礼な振舞いがあってはなりませんよ」
と入口で三蔵がこっそり注意をあたえた。
「私は根がスマートで、
 “恋愛実務知識”なんて本も
 ちゃんと熟読玩味しておりますから、
 兄貴のようなことはありませんよ」
と八戒は言った。
「そうだろうとも。
 お前の口がもっとひっこんでいて、耳がもっと小さくて、
 目がもっとバッチリしていたら、
 スマートな男に違いはないや」
と悟空も負けずに言いかえした。
「こんなところで仲間割れしても仕方ない。
 さあ、早く入った、早く入った」
と沙悟浄がうしろから催促をした。

その夜、この邸で腹一杯ご馳走になり、
そろそろ寝床に就く時分になってから、
三蔵は相手の名前をきいた。
「楊と申します」
と老人は答えた。
「大分、お年をお召しになっておいでのようですが……」
「ええ、ことし七十四歳になります」
「ご令息はおいくたりおいでですか?」
「一人だけです。
 さっき婆さんが連れて来たのが孫でございます」
「それは、それは。
 で、ご令息はどちらにおいでですか。
 おいでになれは、ご挨拶を致したいと思いますが……」
「それがでございますよ」
と老人は悲しそうに首をふった。
「私は子供運に恵まれていないのか、
 子供が家にいつかずに淋しい思いをしているのです」
「どこか遠くへ商売にでも行っているのですか?」
「そうであってくれれば、
 私もまだいくらか気も楽なんでございますがね」
と老人は大きな溜息をついた。
「うちの件は親に似てもつかぬグウタラで、
 家業に精を出そうとしないばかりか、
 悪党どもとグルになって
 殺人放火と悪の限りを尽しているのです。
 五日ばかり前にも、どこやらへ行くと言って、
 出かけたっきり、いまだにかえって参りません」

きいていた三蔵は思わずギクリとした。
悟空が打ち殺したのは
あるいはこの家の息子かも知れないと思ったのである。
「あなたのようなご立派な方に、
 そんな坊ちゃんがおいでになるとは、
 全く想像もつきませんね」
「しかし、ご老人」
と悟空は脇から嘴を入れた。
「そんな親不孝息子じゃ、
 穀つぶしどころか生きているだけ
 迷惑がかかるというものじゃありませんか。
 何なら私があなたの代りに打ち殺して進ぜましょうか」
「ほかに息子がおれば、家から出してしまうのですが、
 何せたった一人の跡継ぎですからね。
 たとえ不肖の子でも、
 私の骨を埋めてもらわなくちゃならんのです」
「兄貴もどうかしているぜ」

とそばできいていた八戒と沙惰浄が笑った。
「お役人でもないのに、
 他人の家のことに口を出すことはないじゃないか。
 それよりも、ご老人、
 ふとん代りに藁を少しばかりちょうだいできると
 有難いのですが……」

老人は沙悟浄を連れて裏庭の物置きへ行くと、
藁束を二つばかりとり出して、沙悟浄にわたした。
それから庭の中にある別棟に四人を案内した。

さて、その夜も更けて
人々がすっかり寝しずまった頃のことである。
ざわざわと人の気配がして、
やがてトントンと戸を叩く音がした。
「婆さんや。あの連中がもどって来たらしいよ」

老人は床から這い出すと上着を肩にひっかけた。
「かえってきたのなら、門をあけてやるよりほかないね」

老人が起き出して門をひらくと、盗人の一群は口々に、
「ああ、腹ぺこだ。ぺこぺこだ」

楊家の息子は妻をたたき起して
すぐに飯の用意にかからせたが、
台所には生憎と薪が切れてしまっている。
息子が自分で裏庭へ薪をとりに行くと、
白馬が繋いであるのが目についた。
「あの白馬はどこからやって来た?」

台所へかえると、息子は妻にきいた。
「あの馬なら旅の坊さんのものですよ。
 唐の国から天竺へお経をとりに行く方とかで、
 いま離れの中で休んでおられます」
「しめた!」

そう言って息子は手を叩きながら、
仲間のところへとんで行った。
「おい、兄弟、カタキがどこへ逃げたかと思っていたら、
 何と俺の家に来ているぜ」
「カタキってどのカタキだ?」
「俺たちの頭を叩き殺した坊主だ。
 宿を借りに来て、いま裏の小屋でねているそうだ」
「そいつはいい塩梅だ。
 ふんづかまえて生き皮剥いでやろうじゃないか」
「まあ、そうあわてるな。
 先ず腹ごしらえをして
 それから徐ろに料理をしてもおそくはない」
「じゃ飯が炊きあがるまでに刀でもといでおくとしようか」

強盗たちの会話を耳にした老人は
急いで裏庭へ駈けて行くと、四人の者を叩き起して、
「せっかく、遠路はるばるやって来られたあなた方が
 目の前で殺されるのを見るに忍びないので
 お知らせしたのです。
 悪いことは申しませんから、
 早く荷物を片づけて裏門からこっそり逃げて下さい」

三蔵は青くなって弟子たちに出発の用意をさせると、
老人に送られて裏門から外へ出た。

強盗たちが飯を食べ終ったのは
夜明け近くなってからである。
周囲が明るくならないうちにというので、
皆して離れを頼り囲み、
「それッ」
とおしよせて見ると、既にもぬけの穀ではないか。
「裏門があいているぞ。あすこから逃げたに違いない」

一人一人が矢の早さで裏門をとび出すと、
四人のあとを追った。

もう陽がのぼりはじめて、あたりは明るくなっている。
うしろから喊声がきこえてくるので、
三蔵がふりかえると、
およそ二、三十人もの者が
手に手に刀や槍をふりかぎして追っかけてくる。
「あッ。大へんだ。どうしよう」
「心配はご無用。私が追っぱらってきますよ」
と悟空は言った。
 「悟空や。人を傷つけてはいけないよ。
  おどかして追いかえすだけにしておくれょ」

三蔵はたづなをひきながら、悟空を押しとどめた。
しかし悟空がおとなしく言うことをきくわけがない。
「諸君。バカに物々しい恰好をしてどこへ行きなさる?」
「この野郎」
と強盗たちは怒鳴りかえした。
「やい、俺たちの頭の生命をかえせ」

グルリと悟空を取り巻くと、
てんでに武器をふりかざして斬りかかってきた。
悟空も如意棒をふりあげると、
誰彼かまわず片ッ端から片づけて行った。

驚いたのは三蔵である。
あわててたづなをとると、ポンと一鞭くれてやったから、
馬はそのまま駈け出した。
遅れまじと八戒も沙悟浄もそのあとを追う。

けれども悟空はひとりその場にふみとどまって、
「楊家の倅というのはどいつだ?」
ときいた。
「あの黄色い服をきた男です」
「よしッ」

悟空は黄色い服の男のそはへ近づくと、
相手の刀を奪いとり、
ただの一打ちでその首を打ちおとしてしまった。
それから血のしたたる首級を片手にさげたまま、
三蔵のあとを追った。
「お師匠さま。
 楊家の不肖息子の首をとってまいりました」

三蔵は青くなって、そのまま馬からすべりおちてしまった。
「何ということをしてくれたんだ。
 早くあっちへ持って行け。
 見たくない。見たくない」

八戒が首をフットポールのように足蹴にすると、
首はスッテンコロコロところがって路傍におちた。
「お師匠さま。どこもお怪我はありませんでしたか?」

沙悟浄が肩の荷をおろして三蔵のそばへかけよった。
しかし、耳を真赤にしてその場で七転八倒しているのは、
三蔵ではなくて悟空なのである。
「やめて下さい。お願いです。やめて下さい」

けれども三蔵はどうしても緊箍児経をやめようとしない。
およそ十ぺんもくりかえされると、
悟空は息も絶え絶えになって、
「許して下さい。助けて下さい。
 話があればおっしゃって下さい」
「お前に話をするようなことは何もないよ。
 もう愛想がつきたから、
 今すぐここから帰って行くがいい」
「私を追っ払うつもりなんですか?」
「そうだとも。
 お前のように人間の生命を生命と思っていない者は
 救い様がない。
 早く出て行かなかったら、また今の続きをやりますぞ」
「そんなにききわけがないのなら、
 言われないでもこちらからさよなら致しますよ」

言うなり斗雲に乗ると、
悟空はその場から消えてなくなっていた。

2001-02-05-MON

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