毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第五巻 色は匂えどの巻
第六章 からっ風

四 仕立屋小僧


さて、端午の節句をすぎ、仲秋の名月を仰ぎ、
なおも旅を続けているうちに、
またも見上げるような高い山に進路をはばまれてしまつた。
「ほんとに、
 見るからに化け物の出そうな険しい山じゃないか」

馬上の三蔵がしきりに不安がると、
「お化けが出て来ないことには
 お客が喜んでくれないのですから、
 我慢して下さいよ」
と悟空が慰めた。

四人が山を登り、長い時間をかけて峠を越えると、
西側は意外にも平坦な草原がひらけている。
「もう日も暮れかかってきたから、
 早くどこぞひさしを借りる家を見つけなくちゃね」
と八戒が首を横にふりながら、
「それにしても馬の歩みの何とのろいことよ」
「早い方がいいのなら、俺が早馳けをさせてやろうか」

悟空はそう言って如意棒をふりあげると、
馬の尻っぺたに立って、
「えいッ」
と号令をかけた。
むかし天馬の養育長をつとめた弼馬温の悟空である。
猿の一声で、白馬は三蔵をのせたまま、
まるで弓をはなかた矢のようにまっしぐらに馳け出した。

馬は二十里ほども走った末に、やっと並足になった。
ところが、やれやれと一息ついた途端に、
突然、銅鑼の音がして
道の両側から槍や刀を持った荒くれ男たちが
三十人あまりもとび出してきて、
三蔵の馬をとりかこんでしまった。
「こら、坊主」

ただならぬ剣幕に三蔵は
馬からころげおちるように地べたにおりると、
そのままその場にへたりこんでしまった。
「金を出せ」

言われて、三蔵ははじめて
相手が何の目的で自分を取りかこんだのか気がついた。
「ごらんの通り私は旅の僧で、
 托鉢をしながら旅を続けているので、
 これと言ったお金の持ち合わせもございません」
「金がないなら、身ぐるみ脱いで、その馬もおいて行け」
「ナムアミダブツ」
と三蔵は手を合わせた。
「私のこの服は東の家で布を乞い、西の家で針を借り、
 という具合にしてやっと手に入れたものでございます。
 それを私からとりあげるのは、
 私に死ねというようなものではございませんか」

「だまれ!」
と盗賊の親分は怒鳴った。
「いう通りにしないと、この棍棒で目に物見せてくれるぞ」

──棍棒なら、私はここ何年と見慣れてきているよ、
と三蔵は心の中でつぷやいた。
悟空の棍棒に比べたら、
お前さんのその棍棒は
棍棒のめだかのようなものじゃないか。
しかし、めだかの棍棒だって
殴られたらくたばることに変りはないな。
「どうぞ、どうぞ、手荒なことはご勘弁下さい」
とやむを得ず三蔵はその場限りの嘘をついた。
「生憎と私はここに何の持ち合わせもありませんが、
 あとから来る私の弟子が、
 少しばかりの路銀を持っていますから、
 それをさしあげます」
「痛い目にあうよりも、その方が身のためだぞ。
 よし、この坊主をしばりあげろ」

親分の命令一下、三蔵はグルグル巻きにされて、
木の上からぶらさげられてしまった。

そんなこととは知らないから、
三人の弟子たちは冗談を言い言い、
あとから追いついてきた。
「おやおや。
 お師匠さまはよほど待ちくたびれたと見えて、
 木の上へあがっているよ」
と八戒が言った。
「バカいうな。
 同じ木の上でも、木の上からぷらさげられているぜ。
 待て待て、俺が一足先に行って見るから、
 お前らはあとから来い」

悟空が小高いところへあがってよくよく眺めると、
三蔵のまわりには追剥らしい連中が
何十人もたむろしている様子である。
「しめた、しめた。
 久しぷりに喧嘩の行商人に出会ったぞ」

悟空は揺身一変、十歳くらいの若い小僧に化けると、
背中に藍色の風呂敷包みを背負って、
すたこらさっさと、大樹のそばへ近づいて行った。
「お師匠さま。これはまた何というぷざまな姿です。
 ここにいるのは強盗さんですか?」
「私のこの姿を見れば、
 何が起ったかわかりそぅなものじゃないか」
と三蔵は言った。
「へえ? 一体、どうしたというのです?」
「この人たちは私に金を出せというんだよ。
 金はお前がもっていると言ったら、私をしばりあげて、
 お前と交渉をするタネにしようというわけさ。
 もしお前がうまく交渉してくれるならそれでよし、
 でなければ、馬をやってしまうよりほかないな」
「馬をやってしまうんですって。
 これからあと何万里の道程が残っているというのに、
 馬をやってしまう頓馬がありますか?」
「でも痛棒をくらって一命を失うよりは
 ましだと思ったんだよ」
「で、私のことを何と言ったんですか?」
「お前のその風呂敷包みの中に少しばかり金があるからと、
 つい一時のがれを言ってしまったんだよ」
「お師匠さまにしては上出来だ。
 よしよし。
 こんな相手なら月に七、八十回くらい出会っても
 大したことはない」

悟空がひとりうなずいていると、
盗賊たちはたちまちその周囲をとりかこんで、
「やい、小僧。
 お前のその風呂敷包みの中に入っている有金を
 残らず出せ。
 さもないと今日限りこの世におさらばをさせてやるぞ」
「私のこの風呂敷の中には大してお金はありませんよ」
と小僧姿の悟空は落ち着き払って、
「馬蹄金が二十何錠と粉面銀が二、三十錠と、
 それから小銭が少々と……」
「それだけあれば、オンの字だ」
「これをそっくりさしあげますから、
 私の師匠さまを痛めつけるのだけは堪忍して下さい。
 私たちは出家で、
 行く先々で托鉢をすればまたどうにでもなる。
 お金なんぞは眼中にありませんから、
 何とぞ、お師匠さまを木の上からおろしてやって下さい」
「師匠はしみったれだけれど、
 小僧の方はなかなか気前がいいじゃないか」

強盗たちはすっかり喜んで、三蔵を木からおろしてやった。

三蔵は馬にのると、一鞭あてるなり、
今きた道を一目散に走って行った。
「お師匠さま。方向が違いますよ」

一声叫ぷなり、悟空もそのあとを追おうとした。
「おいおい。その風呂敷包みはおいて行け」
と盗賊たちはあわてて悟空の前にたちはだかった。
「風呂敷包みをおいて行くのはいいが、
 中身は山分けといこうじゃないか」
と悟空は笑いながら言った。
「おやおや。背は小さいが、なかなか隅におけない小僧だ。
 が、まあいいや。
 ひらいて見て、もし金が沢山ありゃ、
 少しはお前にやろう」
「俺はそんな話をしていやしねえよ」
と悟空は俄かにひらきなおって、
「俺のこの風呂敷の中に
 金なんぞあろうはずもないじゃないか。
 俺のいっているのは、
 お前らが旅人から巻きあげた金銀財宝のことだ」
「この野郎、だまってきいておりゃ
 勝手なことを言いやがる!」

盗賊はカンカンになって、
「この痛棒をくらえ!」

手に握っていた籐の太い棒をふりあげて、
力任せに六、七回、悟空の頭をひっばたいたが、
悟空はケロリとした顔で、
「こんな取り方では、
 来年の春までかかっても
 ママゴト遊びをくりかえしているようなものだぜ」
「この小僧、とんだ石頭だ」
と盗賊はすっかり驚いた。
「いや、おほめにあずかって何とも忝ない。
 しかし、まあ、ちょっとしたものでしょう」

悟空はなおも相手の乱打に任せたが、
「さて、今度は俺の腕前を見せる番だ」

耳の中に指を入れて、
とり出したのを見ると一本の縫針である。
「ごらんの通り、こちとらは旅の坊主で、
 金というものは持ち合わせておらん。
 しかし、何もさしあげないのでは申しわけないから、
 この針をプレゼントしようと思うが、
 いかがなものでしょうか」
「やれやれ、金持の坊主をとりにがして、
 えりにえらんで
 仕立屋あがりの小僧をつかまされるなんて、
 とんだ貧乏籤をひいたものだ」

しかし、悟空は相手の不平にかまわず、
指先にもった針をくるりと一廻転させると、
たちまち一本の巨大な鉄棒が現われた。
「やあ、この小僧は魔法使いだぞ」
と早くも逃げ腰になっている。
「お前らの中で、
 この棒を持ちあげることの出来るものがあったら、
 そいつにタダでさしあげよう」

強盗たちは先を争って鉄棒を持ちあげようとしたが、
重量一万三千五百斤の如意金箍棒である。
まるでトンボが石柱を動かそうとするようなもので、
ビクリともしない。

そこへ悟空が走りよって軽々と持ちあげながら、
「ではママゴトでない棒の使い方を教えて進ぜるぞ」

言いざま如意棒を大上段にふりあげたのである。

2001-01-03-SAT

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