毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第八章 照るにつけ曇るにつけ

二 透視術くらべ


みずから忍耐力競争を申し出ただけあって、
虎力大仙はさすがに辛抱強い。
しかし、辛抱強いことでは
三蔵法師もけっして人後におちない。
二人は坐禅台の上に坐ったまま、
いつまでもじっとしている。
しびれをきらしたのは台の上の人よりも、
下で見物している人々であった。

なかなか勝負がつきそうにないと見てとると、
下の腰かけに坐っていた魔力大仙は
一策を案じて手を自分の頭のうしろにまわした。
頭のうしろには短い毛が一ぱい生えている。
その中から一本抜きとって
くるりと指先でまるめてポンとはじくと、
丸い王は空をとんで三蔵の頭にあたった。
と、今まで丸い玉にすぎなかったものが
忽ち一匹の南京虫になって
三蔵に咬みついたからたまらない。

三蔵が首をすくめたり、
ねじったりするのを真先に見つけたのは八戒であった。
「大へんだ。お師匠さまは癇癪をおこしたらしいぞ」
「いやいや、日射病にかかったのかもしれないぞ」
と沙悟浄も青くなって言った。
何しろ手を動かしても負けなのに、
台からころげおちたりしては何もかもおしまいだ。
「そんなバカなことがあるものか。よし、俺が見てくる」

虻になった悟空が空高くとびあがると、なんと南京虫が
坊主頭にぴたりと吸いついているではないか。
悟空は南京虫をつかまえると
一ひねりにひねりつぶしてしまった。
「蝿がとまってもすべりおちるところへ
 南京虫がしがみついていられる筈がない。
 うむ。こりゃ奴らの手練手管に違いない。
 向うがその気なら、こちらにも考えがあるぞ」

悟空は東側の台から西側の台へとび移ると、
揺身一変、たちまち一匹のムカデに化けて、
虎力大仙の鼻の穴の中へ中へと這い進んで行ったから、
大仙の驚くまいことか。

あッと叫びざま、台の上でもんどり打つと
虎力大仙は地上へ向ってまっ逆さま。
もし下にいた役人たちがすぐさま応急手当をしなかったら
生命はなかったに違いない。
国王はすっかり色を失って、
虎力大仙を文華殿へ運ばせたが、
その間に悟空も三蔵法師を
台の上からもとのところへ無事おろした。

この上は一行四人を片時も早く
国境から外へ出すにしくはないと国王は思った。
ところが鹿力大仙はそれを遮って、
「陛下に申しあげます」
と国王の前に進み出てきて言った。
「師兄が陽負に負けたのは、
 かねてから患っていたリュウマチが
 高所の風にあたって再発したせいだと思います。
 ついては私にも、
 奴らと勝負をする機会を与えていただきたいと存じます」
「国師ご所望の競技は?」
と国王はきいた。
「“隔板猜枚”の術でございます」
「ヵクハンサイパイ?」
「ハイ、読んで字の如く
 板を隔てて中身を言いあてる透視術でございます。
 もしあの坊主がうまく言いあてればよし、
 万一間違えれば、
 どうか我ら二十年の功労に免じて
 あの連中をご処分になっていただきたいと存じます」

国王は何と言っても自国の国帥に
花を待たせたい気持ちがあるから、
早速、鹿力大仙の申し出を受け入れた。

ほどなく大きな朱塗りのつづらが
宮殿の中から運ばれてきた。
「さあ、この中にどんな宝が入っているか、
 ご両人で言いあてて見るがいい」

三蔵は弱りはてて、
「困った。困った。
 つづらの中にあるものが何だか
 この私には見える筈もないじゃないか」
「私が偵察してきますから、ちょっと待って下さいよ」

悟空はそう言うと、
またも虻に化けてつづらのところへとんで行った。
見ると、箱の脚のところに隙間がある。
そこから素早く中へ這い込むと、
中には朱塗りのお盆があって
その上に山河社稜稷乾坤地理裙と呼ばれる
一着の宮衣がおいてあった。
悟空はそれを手にとると、歯でビリビリに引き裂き、
唾をふきかけて、「変れ!」と叫んだ。
と、忽ち流一口鐘という
庶民の着る釣鐘マントが現われた。
「お師匠さま」
ともとのところへとんでかえると、
悟空は三蔵の耳元にささやいた。
「中に入っているのは、ボロボロの流一口鐘ですよ」
「バカを言っている時じゃないよ」
と三蔵は驚いて言った。
「宝物をあてろと言われているのに、
 釣鐘マントがあの中に入っているわけがないじゃないか」
「七の八のと言わないで、
 私の言った通り答えればいいのですよ。
 大事な時にお師匠さまに恥をかかせるこの私ですか」

仕方がないので、三蔵は前に進み出て、
その通り言おうとすると、鹿力大仙は、
「いや、私が先に言いあてよう。
 中に入っているものは、山河社稜稷と乾坤地理裙」
「いえ、いえ」
と三蔵は首をふって反対した。
「私の見たところでは、中に入っているのは
 ボロボロになった流一口鐘でございます」
「何だと?」
と国王は眼を釣りあげて言った。
「無礼にもほどがある!
 我が国を宝物ひとつない貧乏国と思っているのか」

国王ほ部下に命じてすぐにも三蔵をしばりあげようとした。
「お待ち下さい。
 私をつかまえる前にまずつづらをひらいて見て下さい。
 もし私が間違っていましたら、
 どんな罪でも甘んじておうけします」

もっともな言い分なので、
国王はつづらをあけるように命じた。
とはたして中からボロボロになった一口鐘が現われた。
「誰だ。
 こんなものを中へ入れたのは?」
と国王はカンカンになって怒り出した。

うしろにひかえていた三人の妃たちは口を揃えて言った。
「物を入れたのは皇太子でございます。
 入れたのは確かに宮衣でございますが、
 どうしてボロマントになってしまったのでしょう?」
「お前らのやることはこれだからあてにならん。
 宮中で使われているものは
 絹でなければ緞子ときまっているのに、
 木綿のそれもボロボロになったのが
 紛れこんでくるわけはないじゃないか。
 いいからつづらをもう一度奥へ運んでまいれ。
 私が自分で行って何か入れてくるから、
 勝負はもう一度はじめからやりなおしだ」

国王は後宮へ入ると、色々考えた未に
裏庭になっていた大きな桃を
一つ摘んでつづらの中へ入れた。
「悟空や。また難問がやって来たよ」
と三蔵は言った。
「心配ご無用。
 同じことをもう一度繰りかえすだけのことですから」

悟空はまたもつづらのおいてあるところへとんで行くと、
中へもぐりこんだ。
見ると、茶碗ほどもある大きな桃が入っている。
「しめたぞ」

悟空はたちまちもとの姿にもどると、
大急ぎで桃にかじりつき、見る間に平らげてしまつた。
そして、タネだけをその場に残して、
また三蔵のところへもどると、
「お師匠さま。中に入っているのは桃のタネでしたよ」
「お前、今度こそは冗談じゃないよ」
と三蔵は言った。
「国王が自分で宝物を入れたというのに、
 桃のタネを入れるわけがないじゃないか」
「心配するよりも、勝ちさえすればいいのでしょう?」
と悟空は笑っている。

仕方がないので、三蔵が進み出て、
さっきの通り言おうとすると、
今度は羊力大仙が進み出て言った。
「はばかりながら、私がさきにあてよう。
 中に入っているのは仙桃が一つです」
「いやいや」
と三蔵は首を横にふりながら、
「中に入っているのは桃のタネが一つでございます」
「さあ。今度こそは坊主の方が負けたようだな」
と国王は言った。
「ではどうぞつづらをおあけになって見て下さい」
と三蔵は落着いたものである。
国王が家来に命じて、つづらの蓋をとると、
中から出てきたのは、はたして桃のタネであったから、
国王はすっかり仰天してしまった。
「もうこの連中を相手にしない方がいい。
 私はたしかにこの手で桃を入れておいた。
 だのにとり出したら、タネだけになっている。
 この連中はきっと科学以前、
 あるいは科学以後の世界からやってきたに違いない」
「ハッハハハハ……」
とそれをきいて八戒は声を立てて笑い出した。
「奴らはうちの兄貴が
 桃食い競争では永年の修行を積んだベテランだってこと
 知らないと見える」
「まったくだ。
 桃を入れる代りに美女でも入れておけば、
 悟空兄貴は歯が立たなかっただろうにな」
と沙悟浄が応ずると、
「いや、なに。そうしたら俺が代りにひきうけてやるよ。 
 アッハハハハ……」

2001-01-08-MON

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