毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第六章 俄か救世主

二 小ワニ一匹


さて、摩昂太子の一行は黒水府の近くまで来ると、
まず使者を走らせて、
「西海老竜王の太子摩昂がお見えになりました」
と告げさせた。
「こりゃおかしいぞ」
と化け物は早くも首をかしげている。
「俺が呼びにやらせたのは伯父貴なのに、
 伯父貴が来ないで代りに従兄がやってくるとは」

すると、そこへまた巡海の小妖怪がとんでかえってきて、
「水府の西の方に一団の兵隊が屯ろしています。
 旗を見ると、“西海儲君摩昂小帥”
 と書いてございます」
「従兄の奴、気でも違ったのじゃないかな。
 伯父貴が来られないから、
 代りの胃袋がやってくるのはまあ不思議じゃないが、
 鴻門の会じゃあるまいし、
 わざわざ手兵を率いてやってくるとは。
 ……うむ。
 こりゃ何か仔細があるのかも知れないぞ」

化け物は手下の者をふりかえると、
「万一の場合に備えて、俺の鎧兜と鋼鞭を用意しておけ。
 俺はこれから様子を見に行ってくるからな」

小竃竜が門を出て見ると、
はたして一団の海兵が
ものものしい出で立ちをして待ちかまえていた。
「従兄さん。お迎えにまいりましたよ」

素知らぬ顔をしながら化け物は営門の前に立って叫んだ。
守兵が奥へとりつぐと、太子はすぐ武装を整え、
手に一本の三稜簡を握りしめて営前へ出て来た。
「何用で俺を迎えに来たんだ?」

小竃竜はぺこりと頭をさげると、
「今日、私が伯父上のところへ招待状をさしあげたことは
 ご存じでしょう。
 伯父上がおいでにならないところを見ると、
 何かご都合の悪いことでも出来たのですか?」
「伯父上に招待状を出したって、
 何のために招待状を出したんだね」
「伯父上には一方ならぬお世話になっているし、
 この前から一度おいでいただこうと思っていたところ、
 たまたま昨日、東土の坊主が手に入ったので、
 是非、伯父上に珍味を味わっていただこうと
 思ったのです」
「お前がその坊主を捉えたために、
 我々かどれだけ困らされているか知らないと見えるな」
「へえ。そりゃまたどうして?」
と小竃竜は意外な顔をしてきいた。
「お前のようなバカは見たことがない。
 大体、お前が捉えた坊主は誰だと思っているんだね?」
「誰って、唐から西方へ経文をとりに行く坊主ですよ」
「お前には若い美男坊主だけが目について、
 そのうしろにひかえた荒法師どもが
 目に入らないと見えるな」
「ハッハハハハ……」
と開業早々でまだひどい目にあったことのない化け物は
笑いながら、
「豚のような長い口をした坊主なら、
 一つ網にひっかかってきているし、
 人相の悪い黒ん坊なら、私の一鞭にびっくりして
 雲を霞と逃げ出して行っちまいましたよ」
「ハッハハハハ……」
と今度は摩昂太子が笑いかえした。
「めくら蛇におじずとはよく言ったものだ。
 お前は雑魚ばかりが目について、
 あの三蔵法師のうしろに斉天大聖という
 途轍もない大徒弟が控えていることを知らんようだな。
 お前の出した招待状は
 既にあの男の手中に入ってしまっている。
 奴は俺たち親子を“侵略者”の共犯として
 天帝へ訴えるとおどかしている。
 もし本当にそういうことになったら、
 アジア・アフリカ・グループも
 待ってましたとばかりに騒ぎ立てるだろうし、
 俺たちはどんな目にあわされるかわかったものじゃない。
 悪いことは言わんから、
 今すぐ三蔵法師と猪八戒を河のほとりまで送り届けて
 孫行者にかえすがいい。
 そうして生命だけでも助けてもらえれば、
 儲けものというものだ」
「何だと」
と化け物はカッとなって怒鳴った。
「身内の者だと思って黙ってきいていりゃ、
 敵のまわし者じゃないか。
 お前が相手をこわがるなら、
 お前だけ降参すればいいものを、
 この俺まで同類扱いにしやがる。
 お前のいうような、そんなに腕っぷしの強い男なら、
 ここへ来て、この俺とわたりあえはいいじゃないか。
 奴が師匠と仰ぐ男だって俺の前には顔色なしなんだから、
 奴がやってくれば、ちょうどいい、
 一緒の釜で蒸してくれる。
 なあに、もう親戚や目上の者をご馳走するのはやめだ。
 天下の珍味は門をかたくとざして、
 自分ひとりでたのしむに限るさ」
「何というききわけならぬ不良少年だ」
と摩昂太子は罵った。
「お前のようなチンピラを料理するのは、
 孫悟空の手をかりるまでもない。
 この俺が相手になってやる」
「いいとも、いいとも。者ども、鎧兜をもってまいれ」

小竃竜は鎧兜を身につけると、
「さあ、来い」

今度の合戦は沙悟浄とわたりあった時の比ではない。
共に新進気鋭の闘士同士。
片や鋼鞭をふりあげると、片や三稜簡で身構える。
太鼓の音とともに、
たちまち両陣は入り乱れての大合戦となったが、
摩昂太子はわざと三稜簡を空振りして見せた。
その際を見てすかさず小竃竜が突っこんでくると、
太子はすぐ三稜簡をもちなおして、
相手の右肩をしたたかに打ちつけた。
「アイテテテ……」

前にのめるところを、
脇に身をかわして力一杯蹴りとばしたから、
化け物はその場にひっくりかえってしまった。
「それ、しばりあげろ」

まことに口ほどにもない自由化魔で、
黒水河鳴動して、小ワニ一匹。
摩昂太子は従弟を縄目にかけると、
岸辺へひき立ててきた。
「さすがは西海竜王の後継者だけあるな」
と悟空は摩昂太子をほめたが、今度は化け物の方を向いて、
「大体、お前は今を何の時代と心得ているのか。
 俺はお前の伯父に会って真意をただしてみたが、
 お前の伯父は資本の提携をして
 産業の開発を画すことにしか
 興味を持っていないと言っていたぞ。
 いや、お前が失業しているのを見るに見兼ねて、
 お前を外資会社の支配人に任命しただけのことで、
 黒水河を植民地にしろとは言わなかったそうじゃないか。
 お前のような不肖の出先重役がいるから、
 西海竜王までが独占資本や帝国主義の
 総元締みたいに言われるんだ。
 ふつうなら、ただじゃすまないが、
 西海竜王の顔に免じて、この一撃だけは勘弁してやる」
「まことに申しわけありませんでした。
 大聖のお名前を存じあげなかったばかりに
 とんだ失礼をしてしまいまして」
「お師匠さまはどこにかくしてある?」
「あなたのお師匠さまは水府の中にしばってございます。
 私がこれから行ってお連れ申しますから、
 この縄目をといていただけませんでしょうか?」
「いやいや」
と脇から摩昂太子が口を出した。
「こいつは口がうまいから、縄目をといたら
 どんなことをしでかすかわかりません」
「お師匠さまの居所なら、私に見当がついていますよ」
と沙悟浄が言った。
「私がご案内致しましょう」
と老河神も申し出た。
二人はすぐ水中にとびこみ、水府の門前までやってきた。
見ると水府の門扉はあけっばなしになっていて、
あんなに沢山いた小卒どもが一人もいなくなっている。

二人は門をくぐって奥へ入ると、亭台のうしろに、
三蔵と八戒がしばりつけられているれを見つけた。
沙悟浄は急いでそばへかけよると、
三蔵の縄をときにかかった。
老河神も八戒の縄をといた。

四人はふたたび岸辺にあがってきたが、
おさまらないのは八戒である。
化け物の姿を見ると、
「やい。ハンドバッグ野郎!
 俺をゼニッコと間違えやがって。
 今度は俺がお前の皮を剥いで、
 デパートのショー・ウインドーに並べてやる番だぞ」

言いながら、早くも熊手をふりあげている。
「まあまあ。手荒いことは勘弁してやれ」
と悟空が手をあげて制した。
「西海竜王親子の顔に免じてな」
「では大聖」
と摩昂太子は言った。
「三蔵さまもご無事だったようですから、
 私はこいつを連れて帰ります。
 幸いにして、あなたには大目に見ていただきましたが、
 オヤジはきっとこいつを許しはしないでしょう。
 必ず大聖にお顔向けが出来るような
 処置をとると思います」
「そのことはあなたたちに一任するよ。
 ではお父さんにどうぞよろしく」

摩昂太子が水中に消えると、
今度は黒水河の河神が悟空の前に膝をついた。
「これも皆、あなたさまのおかげでございます」
「それよりも、悟空や」
と三蔵は言った。
「どうやって向う岸に渡ればよいのだろうか」
「ご心配は要りません」
と河神がすぐに答えた。
「私が先に立ってご案内申しますから」

三蔵が馬上にまたがり、八戒がたづなを握り、
沙悟浄が荷を肩にし、そして、悟空が馬の右側に立つと、
河神は阻水術を使って、上流の水をとめた。

すると、下流の水だけが流れ去って、
水の中に一本の大道がひらかれた。
無事、河を渡った一行は、そこで河神に別れ、
更に道を西へとったこというまでもない。

2000-12-31-SUN

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