毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第五章 黒船物語

一 自由化論争


根が侠客肌の悟空は河神の訴えをきくと、
まるで自分の縄張りを荒らされたかのように
青筋を立てて怒り出した。
「お前の話の通りだとすると、
 けしからんのは化け物だけじゃない。
 化け物をこの黒水河に派遣してきた西海竜王こそ
 憎むべき国際金融資本の総元締ではないか!」

西海竜王と言えば、東海竜王の実弟で、
七ツの海を一族の掌中に握っている
四大家族の中の一つである。
悟空にはこれまで何度となく
力をかしてくれたこともあって、
お互いに満更知り合いでないわけでもないのに、
その甥を無法に振舞わせているばかりでなく、
人もあろうに三蔵法師を生捕りにして
酒の肴にさせるなんて、悪逆無道にも程があるではないか。
「こうと知ったら、黙っちゃおれん。
 俺はこれから西海竜王のところへ
 膝詰談判に行ってくるから、
 お前たちはここでしばらく待っていてくれ」
「どうぞよろしくお願い致します」

悟空はただちに雲を走らせて西洋大海へ行くと、
避水の呪文を唱えて海の中へもぐり込んだ。
波を押し分けて進んで行くと、
やがて河の下流から一匹の黒魚精が金銀をちりばめた
小匣を口にくわえて近づいてくるのに出あった。
「この野郎!」

如意棒をふりあげた悟空は、
いきなり怪魚の横っ腹めがけて打ちおろしたから
たまらない。
魚の精はたちどころに浮袋をこわされて水面へ浮きあがり、
あとに小匣が残された。
悟空が中をひらいて見ると、
はたしてそれは化け物から西海竜王へあてられた
ご馳走への招待状である。
「どうだ。俺のカンのよさは!」

自分の名探偵ぶりに酔いながら、
手紙を袖の中にしまいこんだ悟空は、
さらに海中を押しわけてすすんだ。
遠くからその姿を見つけた巡海夜叉は
へ急いで水晶宮へとってかえすと、
「斉天大聖の孫悟空さんがお見えになったようです」

それをきいた西海竜王敖順は家来たちをひきつれて、
宮殿の門前までわさわざ迎えに出てきた。
「これは、これは、よくいらっしゃいました。
 さあ、奥へ入って、お茶の一杯でも召しあがって下さい」
「私にお茶を、とおっしゃるのは
 私の酒を失敬して飲んだおかえしのつもりですか?」
と悟空はいきなりきいた。
「私があなたのお酒を失敬して飲んだ?」
とびっくりして竜王はききかえした。
「仏門に入って以来、
 大聖はもはや世間並みの酒宴のやりとりは
 おやりになっていないじゃありませんか?」
「あなたがご自身で飲んだとは申しませんが、
 結果は同じようなものですよ」
と悟空は皮肉たっぷりに、
「それもあなたの方から押しかけてきて、
 ユスリ、タカリという形でねえ」
「へえ。それはまたどういうことでございますか?」
と竜王はますます驚いてきいた。

悟空は袂の中から招待状をとり出して
黙って西海竜王の前につき出した。
それを読んだ竜王は息もとまらんばかりに仰天して、
「こんなことが起ろうとは夢にも思っておりませんでした。
 ほんとに何と申して謝れはよろしいのやら」
「すると、あの化け物はあなたの指金だということは
 認めるわけですな」
「指金だ……なんて滅相もない。
 でもあれが私の妹の九番目の息子であることは
 間違いございません。
 ご承知かと思いますが、妹の亭主は先年、
 過ちを犯して唐の丞相魏徴に夢うつつの中で斬られ、
 以来、未亡人になった妹は子供たちを連れて、
 私のところへ身をよせていたのです」
「すると、あの化け物のオヤジは、
 賭けに夢中になって
 天下に降らすべき雨をふところにしまいこんだ
 河竜王というわけですか?」
「仰せの通りでございます」
「なるほど。
 血すじというものはやっばり争えないものですな。
 しかし、
 オヤジが疑獄にひっかかって生命を失ってからは、
 あなたが後見人になっているわけなんでしょう?」
「ええ、妹がいたあいだは、
 まだそれでもよかったんですが、
 つい昨年、妹が病気で他界してからというもの、
 兄弟わかれわかれになりましてね」
「一体、あなたの妹さんには息子が何人いたのですか?」
「全部で九人ございます」
「それが兄弟商会をつくって、
 世界中を自分たちの支配下におこうという
 了簡なんですか?」
「いえいえ、決してそんなことはございません。
 ほかの八人の兄弟は皆それぞれ
 然るべきところに就職しているのですが、
 一番末っ子だけは甘やかされて育ったものですから、
 手のつけようがなくて、
 やむを得ず黒水河に行ってしばらくの間、
 実業の勉強をしろといって、私が追いやったのです」
「しかし、本人は黒水河へ行くと、世は自由化時代だから、
 門戸を開放して貿易を自由にしろ、
 資本導入を自由にしろと黒水河の河神に迫り、
 河神がそんなことをしたら国の産業が滅びる
 といって拒んだら、河神を王座から追い立てたのですよ」
「全く仕様のない奴だ」
「甥御さんにばかり責任をなすりつけないで、
 一体、あなたご自信は自由貿易論者なんですか?
 本当のところをおきかせ願いたいものですね」
「それは時と場合によりけりですよ」
と西海竜王は言った。
「産業が相当高度に発達して、国際収支が好調続きなのに、
 自分の国に入ってくる商品に高い関税をかけて
 しめ出しをくらわせるのは
 少し利己主義だといっているのです。
 しかし、自由化を主張すると、
 たとえば、私のところのように近来、
 入超続きの国では国内業者を保護せよと言って
 逆に外国商品の排撃運動が盛んになって、
 為政者たるものは痛し痒しというところですよ、
 本当のところは」
「すると、
 あなたは無条件の自由貿易論者じゃないわけですね」
「まあ、国際収支の好調な時は
 自由化の一つも唱えてみたくなりますが、
 二、三年、赤字を続けてごらんなさい。
 由由化の自の字も出て来なくなりますね」
「それならば、
 黒水河にだけ自由化旋風をまきおこさせるのは
 不当じゃありませんか?
 黒水河の企業経営者は、自由化がまだ始まっていないのに
 その影に早くもおびえて戦々兢々としていますよ」
「しかし、黒水河というところも不思議なところですね。 
 我々はまだ投資でるかどうかもきめていないのに、
 向うでは今にも外国資本が
 洪水のごとく流れ込んでくるようなことを言って、
 自分たちの間で
 早くも株価のつりあげをやっているらしいですよ。
 中には我々のところへ代表者を送ってきて、
 黒水河の株は煙草一つの値段で買えるから
 投資して下さいと
 勧誘にくる証券会社もあるくらいですからね」
「そういう連中もけしからんことはけしからんが、
 もとを言えは、
 あなたの言論が原因になっているのですよ。
 あなたがクシャミをされれば、
 黒水河が風邪をひくと言われているくらいですからね」
「しかしそれは私の本意ではございませんよ。
 自由化というものは、
 自国の産業を破壊しない範囲でやるもので、
 私はいつも漸進主義を主張しているんです。
 経済というものに飛躍というものはあり得ませんからね。
 ところが株屋という奴はどこの国でもあわて者が多くて、
 全くあんなにつっ走ってよく息がつづくものですな」
「人のことのようにおっしゃいますが、
 黒水河は大荒れですよ。
 あなたの派遣したあのチンビラが
 いかに横暴をきわめているかは、
 うちのお師匠さまを生捕りにしたことを見ても
 わかるじゃありませんか」
「いや、まことに赤面の至りです」
「私はこの招待状を証拠物件として、
 玉皇上帝のところへ訴えて出ることも出来るのですが、
 一つにはあなたとは全く面識のない間柄でもないし、
 もう一つにはあなたの甥御が
 まだ年も若いということも考えて、
 ひとまずあなたのところへ参ったのですよ」
「いや、そうして下さってほんとうによかったと思います。
 私の方で早速、あの子を呼びもどして
 適当な処置をとることにしますから、
 この度のことはどうかお許し願いとう存じます」

西海竜王は息子の摩昂太子に手兵五百を連れて
直ちに小竃竜を捉えに行くよう命ずると共に、
悟空にはここにのこって
酒を飲んでから帰るようにとひきとめた。
「お志は有難いが、私はあなたの息子さんと同行しますよ。
 お師匠さまのことが気になりますからね」

そう言って悟空は、竜王に別れると、
摩昂太子と共に海中を通って黒水河へ戻ってきた。
「では、あなたが化け物をつかまえてきてくれますね」

悟空が言うと、
「どうぞ私に任せておいて下さい。
 万事うまく片付けてきますから」

摩昂太子が快くうけあったので、
悟空は河の中から岸辺へ這いあがってきた。
「おや、往復切符じゃなかったのですか?」
と沙悟浄はきいた。
「うん。帰りは西海竜王の息子と一緒だったから
 潜航艇にして、かえりの切符は払い戻しさ。
 アッハハハハ……」

2000-12-30-SAT

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