毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第三章  赤 い 雲

一 サービス競争


いい方法があると言われても、すぐには思い当らない。
やむを得ず、
「いい方法って何だ?」
と悟空は八戒の方へ向きなおってきいた。
「たかが二人の三蔵の中から
 本物と偽者を区別するだけのことだが、
 我々にとっては死活を決する重大な問題だぞ」

いかにも八戒の頭脳を信用していないような口ぷりである。
「アッハハハハ……」
と八戒は心底から愉快そうに笑っている。
「兄貴は俺を低能扱いにしているが、
 兄貴の方も相当なものじゃないか」
「この野郎。
 酒場の女みたいな思わせぷりな口をきくな。
 方法があるならその方法をはっきり言え。
 お前も知っての通り俺は生れつき気が短いんだから」
「ここの問題だよ、ここの……」
と八戒は手を自分の頭へもって来た。
「兄貴も手をここへもって来て見ろ。
 そうしてよく考えて見ろよ」

いまいましい限りだが、
悟空は思わず握りしめた両の拳で自分の頭をおさえつけた。
その途端に拳にカチリとぷっつかるものがあった。
「そうだ、そうだ」
と思わず悟空はとびあがって叫んだ。

偽者の三蔵法師が幾百十人あろうとも、
緊箍児経を知っているのは一人しかいないことに、
やっと気づいたのである。
「兄貴はいつも
 自分一人だけが天下を動かしているようなことをいうが、
 殺身成仁の道はご存じないようだな」
「そういうお前だって
 他人の頭だから気づいたんじゃないか。
 が、まあ、いいや。
 お師匠さま。
 ひとつ例のお経を読んで下さい」

「だけど悟空や」
と二人の三蔵の中の一人が言った。
「お前が何も悪いことをしないのに、
 お前を苦しめるようなことは出来ないよ」
「おお、きっとこの方が本物のお師匠さまだ」
と沙悟浄が感激していうと、
「私もそう思いますよ」
ともう一人の三蔵も負けずに言った。
「私はお前がどんなに私のために尽してくれているか、
 肝に銘じて知っています。
 時々、お前に辛くあたることもあるけれども、
 それは決して私の本心ではありませんよ」

「おやおや。
 お師匠さまも一人よりは
 二人の方が慈悲心のせり合いをしていいな」
と八戒が手を叩いて喜ぶこと。
「だから俺はむかしから
 専売事業とか独占企業というのが嫌いなんだ。
 兄貴、どうせ二人になったんだから、
 二人一緒に連れて行こうじゃないか。
 そうすりゃ二人とも従業員を大事にして
 サービスこれつとめるから、
 今に自分たちが荷物をかついで
 時々俺たちを馬にのせてくれるかもしれないぜ」
「お前はだまっておれ!」
と悟空は一喝した。
「お師匠さま。
 もしあなたがここでお経をお読みにならないのなら、
 私はもとの古巣へ帰ってしまいますよ。
 二君に仕えることは私の潔しとしないことですから」

本気になって荷物をとりまとめにかかっている。

根が慈悲心の塊のような三蔵は悟空の忠義立てに
思わず涙がこぼれ、
と言ってこのまま帰られては
元も子もなくなってしまうから、
「では許しておくれよ」
と言いながら、緊箍児経をとなえはじめた。
途端に悟空が頭を抱えて七転八倒しはじめたので、
偽者の方の三蔵は
意外な光景にびっくりして逃げ腰になった。
「それッ」
と言って八戒は素早く熊手をふりあげたが、
それより一瞬早く
化け物は身をかわして上空へとぴあがった。
八戒はすかさずあとを追ったが、
沙悟浄も宝杖を握りなおすとそのあとにつづいた。
すぐさま地面から立ちあがった悟空もあとを追った。

見ると、化け物は八戒の熊手と悟浄の宝杖の間に
挟みうちになっている。
「待て待て。
 俺があの中へ割りこんで行ったのでは、
 奴は驚いて逃げ出してしまうだろう。
 もっと上へあがって、
 上から大蒜でもつぷすように一つぶしにしてくれよう」

悟空は空中戦の展開されている現場を素通りして、
上空高くとびあがった。
さて、耳の中から如意棒をとり出して、
おもむろに化け物に狙いを定め、
いましも打ちおろそうとした時のことである。
「ちょっと待った!」
と空の向うから声がかかった。
誰かと思って顔をあげると、
彩雲たなびくあたりから
文殊菩薩がこちらへ向ってやって来る。
「やあ、こんにちは」
と悟空は会釈をしながら、
「珍しいところでお目にかかりましたな。
 これからどちらへお出かけです?」
「あなたたちの助太刀に来たんですよ」
「へえ、そいつは有難いことですな」

幾分の皮肉をこめたつもりだが、
文殊菩薩には一向に通じない。
菩薩は袖の中から照妖鏡をとり出すと、
遙か下の方で戦っている化け物の方へむけた。
「やあやあ、あれは菩薩のそばにいつも坐っている
 青毛獅子じゃないですか?
 どうしてあいつがこんなところへ来て
 化け物業を開業しているんだろう」

そう言いながら、悟空は菩薩の方をふりかえると、
「奴もやっばり天界からの脱走者なんですか?」
「いやいや、あれは釈迦如来の密命を受けて
 ここへ派遣されてきたものだ」
「烏鶏国王の帝位を奪うためにですか?
 国を盗むのにも仏の辞令がおりるのなら
 我々のように苦心惨憺して西方へ行く者には、
 感謝状を一束くらいくれてもよさそうなものですな」
「それにはわけがあるのですよ」
と文殊菩薩は言った。
「この烏鶏国の国王は一頃は仏道に好意を持って、
 旅の僧侶に親切だったことがあるのです。
 それで如来は彼を帰依させようとして
 私をわざわざ派遣なさったところ、
 ちょうどその少し前に悪い坊主にひっかかったとかで、
 坊主は皆嘘つきだ、偽善者だ、と糞味噌にいうんです。
 私がそんなことはない、
 坊さんにもたまに悪い者はいるかもしれないが、
 それをもって全体をはかるのは間違いだと説くと、
 いやいや、坊主は皆悪党だ、
 “世の人に欲を捨てよとすすめつつ
  あとから拾う寺の住職”
 と狂歌にもうたわれているじゃないかといって
 私をからかうんですよ。
 私が少しむきになると
 今度は私の言辞がけしからんといって、
 人もあろうにこの私に縄目をかけて
 河の中へ三日三晩水びたしにしたんです。
 ですからさすがの如来も大へんお怒りになって、
 国王を三年間水びたしにするよう
 青毛獅子にお命じになったのです。
 自業自得とはこのことですよ」

「物は考えようですね。
 あなたは私怨をはらして
 さぞや胸がスッとしているだろうが、
 おかげで多くの人が迷惑をしたじゃありませんか?」
「別に誰も迷惑しちゃいないだろう。
 青毛獅子が来てからというもの、天候も順調になったし、
 国民は鼓腹ゲキジョウして
 帝王の存在なんか忘れてしまっていますよ」
「毎晩、同じ床にねかされたお后たちも
 迷惑をしなかったというのですか?」
「ハハハハ……」
と文殊菩薩は笑いながら、
「迷惑をかけるわけはないだろう。
 何せこいつは去勢がしてありますからな」

それをきくと、
八戒はおとなしくしている化け物の前へ近よって、
いきなりズボンの上からさわって見た。
「なるほど、なるほど。
 匂いを嗅ぐだけで酒は飲めない、
 とはこういう奴のことだな。
 しかしだ。
 酒を飲む能力はあっても
 洒を飲もうとしない我らの師匠と
 その差いくばくぞと反問したくなるな。
 アッハハハハ……」
「シーッ。
 お師匠さまにきこえたら、たとえ破門にならなくとも、
 思いきり耳をひっぱられるぞ」

菩薩は化け物のそばへ行くと、
口に呪文をとなえながら、一撫で撫でた。
と忽ち化け物は一変して、もとの青毛獅子に戻った。
菩薩は手にもっていた蓮の花を獅子の頭の上におき、
それからその背にまたがって、
一路、五台山へと戻って行ったのである。

さて、文殊菩薩に別れた三人は、
空をおりると、宮殿へ帰った。
宮殿では三人の帰りを今か今かと待っていたが、
悟空から一部始終をききおわると、
「これもお師匠さまをはじめ
 四人の方々のお力でごぎいます」
と、かわるがわるお礼を述べられる。
そこへまた衛門の長官が駈けこんできて、
「申しあげます。
 表にまた四人の坊さんがお見えになりました」
「てヘッ」
と八戒が真先に悲鳴をあげた。
「さっきの文殊菩薩は
 ひょっとしたら化け物が化けた奴かも知れんぞ」
「そんなバカなことがあるものか」
と悟空は内心びっくりしながら、
「いいから、ここへ案内してきなさい」

文武百官居並ぶところへ入ってきたのを見ると、
それは宝林寺の僧侶たちであった。
僧侶たちは両手に国王の冠や玉帯や黄袍を
うやうやしく捧げもっている。
悟空はそれらの品物を受けとると、
国王に早速、服をとりかえるようにと言った。
「いやいや」
と国王は尻込みをしてなかなか首をたてにふらない。
「私の生命はもはやなくなったものです。
 こうして一旦失った生命を
 助けていただいただけでも儲けもの、
 どうしてまたもとの椅子に坐ることが出来ましょう。
 どうか皆様にこの国をおさめていただきたいと存じます」

しかし、西方へお経をとりに行くこと以外は
一切眼中にない三蔵法師が、
現実政治に関心を持つわけがない。
「お師匠さまがどうしてもご辞退なさるなら、
 長老様にお願い致します」
と国王は今度は悟空の方へ向いて頼み出した。
「ハッハハハ……」
と悟空は朗らかに笑いながら、
「この悟空に皇帝になる気持があれば、
 全世界を統一して世界連邦の皇帝になっていますよ。
 しかし、皇帝業という職業は、
 上ご一人というときこえはいいが、
 その実、一家の働き手のように心配事ばかりで
 夜もろくろく眠られやしない。
 白髪三千丈をやるくらいなら、
 髪毛を剃りおとして行雲流水で暮らすのが
 よっぽど俺の気性に合っている。
 坊主というものは
 三日やればやめられなくなるものですからね」
「そんなに結構なものでしたら、
 ぜひ私も仲間に入れて下さい」
「いやいや、人間には生れつき坊主が似合う者もあれば、
 国王が似合う者もある。
 あなたは失礼ながら精々国王の器でしかありませんよ」

まるで坊主の方が国王より偉いような口吻である。
仕方がないので、国王は再び王位につき、
四人の旅坊主を国賓として盛大にもてなしたが、
いつまでも四人をこの土地にひきとめることは
出来なかった。
「お名残り惜しいことでございますが、やむを得ません」
国王は自ら文武百官を率いて、
城門の外まで四人を見送りに出てきた。
「無事所期の目的を果たされてお帰りの節は、
 どうぞまた私どもへお立ちより下さい」
「必ずお伺い致します」
三蔵はこれまでの盛大な歓待を謝すると、
再び涯知らぬ旅路を急ぐ身となった。

2000-12-18-MON

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