毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第一章 王座は狙われている

三 冷たい人


「これはどういうものですか」
と皇太子はきいた。
「おあけになってごらん下さい」

皇太子がそっと蓋をとると、
箱の中から悟空の一寸法師がとび出してきた。
「おや、小人じゃないか」
「ええ、ちょっと変った小人でございましょう?」
「我々の話す言葉がわかりますか?」
「わかるわからないなんてものじゃありません」
と三蔵は答えた。
「この立帝貨は上知五百年、中知五百年、下知五百年、
 つまり過去現在未来千五百年にわたっすべてのことを
 言いあてることが出来るのでございます」
「こんな貧相な一寸法師が?」

いかにもバカにしたような口吻だったので、
悟空は少しムッとして腰を一ふりすると、
たちまち三尺四、五寸の身丈になった。
「このくらいの背の高さならいいかね?」
「てへっ」
と居並ぶ軍士は驚いて、
「ずいぷん育ちの早い子供だな。
 このスピードで育ったら二、三日で
 天を突き破ってしまいかねないぜ」

悟空は本来の背の高さまで戻ると、
皇太子の前に立ちふさがった。
「和尚さんの話によれば、
 お前は過去や未来の吉凶を
 うらなうことが出来るそうじゃないか」
と皇太子はきいた。
「ハイ」
「亀の甲を使うのかね? それとも筮竹かね?」
「いやいや」
「でないとすれば、姓名判断ですか?」
「いやいや」
と悟空はまたしても首をふった。
「私はそんな小道具は一切必要としません。
 舌三寸だけでぴたりとあてて見せます」
「そんなバカなことがあるものか。
 いくら当らぬも八卦と言ったって、
 人を納得させるためには
 もっともらしい理由がなくちゃならないものだ」
「まあ、そう先廻りをしないで下さい」
と悟空はニヤニヤしながら、
「論より証拠。
 ひとつ試みに殿下の運命を言いあてて見ましょうか?」

そう言って悟空はじっと皇太子の顔を見つめていたが、
「殿下はここから西の方四十里ほど行った
 烏鶏国の皇太子でございましょう」
「ウム」
「五年ほど前に烏鶏国は
 未曽有の大旱魃に見舞われたことがありますね。
 その時、鐘南山から道士が尋ねて来て
 雨をふらせてくれた。
 それで国王はその男と義兄弟の誓いを立てた……
 そんなことがありませんでしたか?」
「いかにも、いかにも」
と俄かに皇太子は興味を持った様子である。
「で、それから」
「それから二年ほどして
 道士は突然見えなくなってしまったでしょう。
 あなたのお父さんと道士が
 庭を散歩していた時のことです。
 道士がいなくなると同時に、
 あなたのお父さんがふだんから大事にしていた
 白玉の圭も見えなくなってしまったはずです」
「おっしゃる通りです」
「ずいぷん不思議なことだと
 お思いになりませんでしたか?」
「あの当時はそう思ったが、
 世の中には理屈ではとけない出来事が
 往々にしてあるものだ」
と悟空は傍若無人な笑い方をした。
「学問をやっている人間が学問の限界を知っているとは、
 なかなか見どころがある。
 ついでに推理的な興味があれば、
 皇太子として申し分ないんだがなあ」
「何だと?」
「いや、殿下にクイズときのご趣味があれば、
 二人で膝をつきあわせて
 天上天下の謎ときをやってみたいと思っているのですよ」

皇太子は血のめぐりの早い男だったから、
何かわけがあるに違いないと気づき、
すぐ身辺の者を退けた。

三人きりになると、悟空は真面目な表情に戻って、
「殿下、宮中では恐らく道上が圭をとって逃げ去った
 と言われているでしょう。
 しかし、風と共に去ったのは、
 道士ではなくて、あなたのお父さんですよ」
「デタラメを言ってはいけない」
と皇太子は色をなして言った。
「道士が去ってからのち我が国はおかげで雨や風も順調で、
 人民は満足している。
 お前のようなデマをとばす者があったら、
 それこそ八つ裂きにされるぞ」

悟空は三蔵の方を向くと、
「こうなったら仕方がない。
 証拠の品を見せてやることに致しましょう」

三蔵が朱塗りの箱を渡すと、
悟空の手から箱は消えて、白玉の圭が現れた。
「やあ、これは父の秘蔵していた宝物に相違ない」
と皇太子は叫んだ。
「父から宝を奪った張本人はお前だな」
「殿下、どうか落着いて下さい。
 この白玉の圭が私たちの手に入ったことについては
 仔細があるのです」

そう言って三蔵は、
昨夜の出来事をありのまま述べてきかせた。
「私が白兎になってわざわぎあなたをここまで連れてきて
 お師匠さまにひきあわせたのも、
 義侠心があったればこそ。
 それを泥棒扱いにするのはあんまりですよ」
と悟空が脇から三味線を入れた。

皇太子はじっと耳を傾けていたが、次第に顔を曇らせ、
「なるほどそういえば、そのような気もするが、
 もしそうだとなると、
 殿上にいる人は父上でないということになる!」

烏鶏国の皇太子はハムレットよろしく、顔を両手で覆って、
そのインテリぶりを発揮しはじめた。
「生むは按ずるよりやすしですよ」
と悟空は我慢がならなくなって言った。
「そうであるかそうでないかは、
 おふくろさんにきけばわかるじゃないですか。
 三年前とそれから後と、
 ベッドの中のおやじに変りがないかどうか、
 それをたしかめればすぐにわかることです」
「なるほどそうだ」
と皇太子は顔をあげて言った。
「これからすぐ城へ帰って、
 母上にきいて見ることにしよう」
圭を手にとると、
皇太子はすぐにも本殿を出て行こうとした。
「ちょっとお待ち下さい」
と悟空はあわててひきとめると、
「事は重大ですぞ。
 万一、秘密がもれるようなことがあると、
 おふくろさんもあんたも生命が危くなる。
 行くならば、軍隊はここにとめておいて、
 単身こっそりと行って来ることです」

皇太子は頷いて、寺の門を出ると、軍士に休止を命じ、
自分ひとりだけ馬をとばして城へ戻って行った。
皇太子は正陽門を避け、
後宰門からこっそり城の中へ入ると、
折よく皇后が錦香亭で
侍女を相手に池の白鳥を眺めているところであった。
「母上」

思わぬ息子の声に、皇后は顔を綻ばせて立ちあがった。
「よく来てくれたね。本当によく来ておくれだね」

見ると、母親の眼は涙でうるんでいる。
同じ城の中に住みながら、
三年間も顔を合わせなかったのだから、
当り前かも知れない。
しかし、母親の涙にはまた別の理由があったのである。
「母上、ちょっとお伺いしたいことがあって参ったのです」

人払いをすると、皇太子は言った。
「大へんぷしつけなことをきくようですが、
 父上は本当に父上なのですか?」
「お前、気でも狂ったのかね、そんなことをきくなんて」
「それじゃ、やっばりこちらの思いすごしだったのか」
と皇太子は独りつぶやきながら、
「とんだことをきいて申しわけありませんでした」
「でもお前」
と今度は皇后がひきとめた。
「お前、何かわけがあるんじゃないの?
 いいから遠慮しないで話してごらん」
「いや、実は僕はただ三年前と今と、
 父上との仲に変りはないかしらとふと考えたのです。
 もしそうだとしたら……」
「お前!」
と母親は突然ほろほろと涙をこぼしながら、
「しばらく会わないうちに、
 お前もずいぶん大人になったんだね。
 私は嬉しいよ。
 嬉しくてこの通り涙がこぼれて仕方がないよ」
「一体、どうなんです?
 本当のことを僕に話して下さいませんか」
「もしお前がきいてくれなかったら、
 私はあの世へ行っても
 こんなはずかしい話はしないでしょう。
 でも本当のことをいうと、
 三年前からお前のお父さんと私は
 もう夫婦ではないのです。
 あの人の身体の冷たいことと言ったら!
 自分ではもう年だとおっしゃるのですけれど」
「やっぱりそうか」

それだけきくと、皇太子はすぐに出て行こうとした。
「お前、話も終らないうちに
 どうして出て行こうとするの?」
と皇后は息子の前に立ちはだかった。
「実は今日、狩に出たところ不思議な人にあって、
 殿上の人は父上ではなくて
 化け物だという話をきいたのです」

皇太子が手短かに事の経過を話すと、皇后は、
「何か証拠でもあって言っていることかしら?」
「僕もまだ半信半疑なんですが、
 でも父上がこれを坊さんに渡して頼んだというのです」

そう言って、皇太子が白玉の圭をとり出して見せると、
「確かにこれだわ。これはあの人のものに違いないわ」

皇后は涙にくれながら、
「ああ。やっばり昨夜見た夢は本当だったんだわ。
 昨夜、お前のお父さんがびしょぬれの姿になって、
 同じ話を私にきかせてくれたところなんだよ」

それをきくと、皇太子は急いで馬を走らせ、
再び宝林寺目指して帰って来た。
「どうでしたか?」

猿は皇太子の悲痛な顔にお構いなく、
まるで腕きき弁護士のように
そのへんを行ったり来たりしている。
皇太子が話をすると、
「ふむ。身体の冷たい奴かね?
 するといずれ冷血動物の化け物に違いないが
 一体、何だろう。
 まあ、何だってかまわんが、今日はもう遅いから、
 明日にでもお城に乗り込むことにしょう」
「もしそうでしたら、
 私も今夜一晩ここへ泊めておいて下さい」
と皇太子は言った。
「いや、そういうわけには行かない。
 そんなことをしたら怪しまれるから、
 殿下は知らぬ顔をして城へ帰って下さい」
「でも、今日は何ひとつ獲物をとっていません。
 獲物なしで帰れば、もっと怪しまれるでしょう?」
「そんなことはわけないさ」

悟空は山神を呼び出すと、猛物をとりそろえるように命じ、
それから皇太子に向って、
「さあ、お帰りなさい。
 帰る道には獲物が沢山ころがっているはずですから」

皇太子がお礼を述べて帰途につくと、
はたして路上に雉子や鹿や狐などがごろごろ転がっている。
それを今日一日の獲物にして、
何も知らぬ家来たちが家路を急ぐ気持は、
現代の釣天狗たちといささかの変りもない。

2000-12-12-TUE

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