毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第3巻 出たり入ったりの巻
第七章 謀略合戦

三 頭かくして


ほどなく一行は蓮花洞へ到着した。
「大奥様をお迎えして参りました」

さきに立ったニセモノの巴山虎と倚海竜が門番に伝えると、
門番はすぐ奥へ報告に入った。
「さてさて。天下はまわり持ちというが、
 さっき婆さんに頭をさげたこの俺が、
 今度は化け物どもから拝まれる番になったぞ」

轎からおりた悟空は、四本の毛をもとの身体におさめると、
小妖怪どもに附き添われて、
しずしずと奥へ向って歩き出した。
簫や笛の音に合わせて正庁の中に入ると、
二人の魔王が膝をかかえてその前に頭をすりつけている。
「母上さま。よくぞおいで下さいました」
「まあ、お立ちなさい、坊やたち」

とりすました悟空の母親ぶりを見ると、
さっきから梁にぶらさげられていた猪八戒は突然、
カラカラと笑い出した。
「兄貴、気でも狂ったのか?」
と同じく縛りあげられた沙悟浄が上の方をむいて言った。
「おかしなことが起ったんだよ」
と猪八戒は笑うことをやめようとしない。
「おかしなことって何だ?」
と沙悟浄がききかえした。
「俺たちは大奥様がやってきたら、
 すぐにも蒸籠に入れられてしまうんじゃないかと
 びくびくしていたが、
 来たのを見りゃ昔あった話の蒸しかえしじゃないか」
「昔あった話って何のことだい?」
「来たのは馬方さんだよ」
「へえ、どうしてそれがわかる?」
「さっき、まあ、お立ちなさい、
 と言って腰をかがめたのを見たら、
 尻尾が見えてしまった。
 俺のところはお前のところより良いところにあるから、
 よく見えるんだよ」
「シーッ。あんまり大きな声を出すんじゃない」
「そうだ。そうだ。何が起るか見物することにしよう」
 猪八戒が口をとじると、上座に坐った孫悟空は、
「お前たち、私をよんで何をご馳走してくれるんだね?」
「母上さま。
 今日は本当に珍しいものが手に入ったんですよ。
 唐の坊主が私たちの罠にかかったんです。
 きっと母上も喜んで下さると思って、
 お迎えにあがらせたのです」
「いつも私のことを気にかけてくれて、
 こんな嬉しいことはありません」
と悟空は頷きながら、
「でも私は坊さんの肉は好きじやないんですよ。
 それよりも猪八戒の耳はとてもコリコリして
 歯ごたえがあるときいていますから、
 あれを肴にして少し晩酌がしたいわね」
「この野郎」
と猪八或は大あわてにあわてて、
「俺の耳を切りに来て見ろ。俺が悲鳴をあげたら、
 お互いにみっともないことになるぜ」

折しも、山をまわっていた小妖怪が洞門の番人もろとも、
中へ駈け込んできた。
「大へんです。大奥様が何者かに殺されております」
「なにッ」

顔色を変えた銀角は腰間の七星剣をサッと抜いた。
待っていましたとばかりに本性を現わした悟空は
身をかわすと、素早く駈け出した。
そのあとを銀角は追いかけようとした。
「な、銀ちゃん。
 三蔵も悟浄も八戒も皆、奴に返してやろうじゃないか」
と金角がその腕をひきとめていった。
「そんなバカなことが出来るものか」
と銀角は眼をつりあげて、
「あの坊主をつかまえるのに俺がどれだけ智恵を搾ったか。
 それを今になっておめおめと逃がしたりしちゃ
 それこそ世間のいい物笑いだ。
 孫行者は立派な腕前を持っているかも知れないが、
 俺とはまだ一度も勝負をしていない。
 生捕りにした者を返すのは
 俺が負けてからでも遅くはないよ」
そう言い捨てると、鋭角は鎧兜に身をかため、
颯爽と洞門を出て行った。
「やい。孫行者はどこにいる?」

中空で銀角の声をきいた悟空は、
「お前の眼はどこについているのだ。
 眼に一丁字がないことがわかったら、
 おとなしく俺の師匠や兄弟たちをここに出して、
 両膝をついて謝ったらどうだ」
「なにを。お前こそ俺の武器と母親を出して、
 そこで生命乞いをやれ」

言いながら、銀角は雲に乗ると、
剣をふりかざして悟空へ立ち向ってきた。
二人は牙をむき、爪を立て、
秘術の限りをつくしてわたりあったが、
三十何打ち合ってもまだ勝負がつかない。
「こいつ、なかなかやるわい。
 腕で勝負がつかないなら、
 ひとつ奴の武器で奴をふんづかまえてやるとしようか」

悟空は紅葫蘆と玉浄瓶を使おうかと思ったが、
相手が「おう」と答えなければ何の役にもたたない。
「よしよし。まず奴の縄で奴をしばりあげてやれ」

隙を見て悟空は片手で相手の剣先を受けとめると、
もう一方の手に縄を持って、銀角の頭に向って投げた。
うまい具合に銀角の頭がすっばりと縄の中に入ったので、
悟空は力任せに縄をひっばった。

あわやと思ったが、銀角は素早く緩縄呪を唱えた。
すると、しめつけたはずの縄が遵にゆるんで、
銀角はその下から脱けおちた。
そして、今度はそれを逆にとると、
悟空の頭に向って投げてきた。
縄はうまく悟空をとらえた。
悟空はあわてて「痩身術」を依って脱け出そうとしたが、
銀角がそれより早く緊縄呪を唱えたので、
あッという間に身動きが出来なくなっていた。
それもその筈、縄だと思っていたのはいつの間にか
金属製の輪になって悟空の首を
ぐっとしめつけていたからである。

つづけさまに銀角は手に握った剣で悟空の頭を叩いた。
しかし、悟空の頭は
はれあがるどころか赤くさえもならない。
「何という石頭だろう。
 やい。俺の葫蘆と浄瓶をどこにかくした?」
「そんなもの知るものか」

銀角は不貞腐れた悟空の身体をあちこちさぐっていたが、
やがて二つの武器をさがし出した。
それから縄を手にとると、洞窟の中へひき立てて帰った。
「兄貴。これを見ろよ」

金角は首をしめられた悟空の姿を認めると、
「やあ、今度こそ間違いないぞ。
 これで安心して酒がのめるというものだ」

二人の魔王が悟空を柱につないで奥へひっこむと、
猪八戒はニヤニヤしながら、
「兄貴、とうとう耳の料理を食べそこなってしまったな」

悟空も負けてはいない。
「そういうお前のぷらさがり方は
 焼き豚屋のショウ・ウインドそっくりじゃないか。
 まあ、もうしばらく辛抱したら、
 俺が助け出してやるから、
 そのままいい夢でも見ていろよ」
「ハッハハハハ。猿の尻笑いという言葉があるが、
 まさにその通りだ。
 自分を助けるのも覚束ない者が
 他人を助けてやろうなんて殊勝な心掛けじゃないか。
 それより師弟ともども一蓮託生で、
 あの世へ行く道順でもききに行った方が世話ないぜ」
「待て待て。
 俺がどういう具合に脱け出すか黙って見ていろ」

悟空は耳の中の棒をとり出して、それに息を吹きかけ
「変れ!」と命ずると、忽ち一本のヤスリが現われた。
首のまわりをしめている輪にそれをあてて
思い切りこすると、三、四回で輪は二つに切れて
悟空の身体はスルリと脱けおちた。
悟空は毛を抜いて、もう一人の悟空に化けさせ、
身代りにしておくと、自分は小妖怪に化けて
奥へ入って行った。
「やれやれ。鎖でつながれたのはニセモノなのに、
 ぶらさげられたのはいつまでたってもホンモノだとはね」

八戒が宙から喚き立てるので、
金角は口まで持ってきた杯をおいて、
「猪八戒が何やら騒いでいるようだが」
「ハイ、猪八戒は孫行者をそそのかして
 早く化けて逃げろと申しているのです」
と小妖怪になりすました悟空は言った。
「ところが孫行者が逃げないものだから、
 それで喚き立てているのですよ」
「けしからん奴だ」
と銀角は言った。
「猪八戒は正直者だと思ったが、
 見かけによらぬズルイ奴だ。棍棒で二十殴れ!」
「ヘイッ」

悟空は根棒を手に握ると、八戒のそばへ近づいて行った。
「おい、お手柔かに頼むぞ」
と八戒は言った。
「でないと、俺は本当のことを口走るかも知れないぜ」
「俺があれに化けたりこれに化けたりするのも、
 もとを言えば、
 お前らを助けようと思ってのことではないか。
 この洞中、誰一人気づいていないのに、
 お前は何だって俺の秘密をあばき立てるんだ?」
「あばき立ててるわじゃないが、
 兄貴、ちょっとうしろをふりかえって
 自分の尻をのぞいて見ろよ。
 頭かくして尻かくさずって、このことじゃないのか」

言われてうしろをふりむいた悟空は
そのまま台所へとんで行って、
鍋底の媒を尻の上から塗り立ててかえってきた。
「やあ、今度はトンネルをくぐってきたと見えるな」
猪八戒はかなか口数が多い。
さっきからいかにして魔王どもの武器を奪ったものかと
考えていた悟空は再び奥へ入ると、
「大王、孫悟空がじたはたするので
 あの金縄が切れてしまいそうです。
 もっと太いのにかえた方がよさそうだと思いますが」
「うむ。それもそうだ」
金角は自分の腰に結んでいた帯をといて悟空にわたした。
悟空は金縄と帯を取りかえると、
幌金縄をこっそり袖の中にしまい込み、
別に毛を吹いてニセの金縄を作り出し、
それを化け物の前にさし出した。
金角は酒に夢中になっているので、一向に気がつかない。

2000-12-05-TUE

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