毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第3巻 出たり入ったりの巻
第六章 金銀魔多し

三 義の赴くところ

「兄貴、坊主をつかまえて来たぜ」

銀角大王の得意な顔を見るがいい。
「どれどれ」

金角は小妖怪どもの間をかきわけて出てきたが、
「なんだ。また人違いじゃないか」
「しかし、
 兄貴は三蔵をつかまえて来いと言っていたじゃないか」
「それはまあ、その通りだ。
 しかし肝心の孫悟空を野放しにしておいて、
 安心して料理が食えるかというんだ」
「アッハハハ……」
と銀角は思わず大きな声を立てながら、
「兄貴は食いしん妨に似合わぬ臆病者だな。
 天下の珍味は食うも無分別、食わぬも無分別。
 あとの祟りがおそろしいなら、
 俺が一人で食ってしまうぜ」
「おいおい。お前いつからそんな豪傑になったんだ?」
「兄貴のいうことをきいていると、
 天下に孫悟空以上の勇者はいないようだが、
 俺に言わせると、孫悟空は力は強いかも知れんが、
 お脳の方は少々弱いようだな」
「お前、つかまえたのか?」
「奴は今、三つの山の下敷きになって、
 身動きが出来ないでいるよ。
 でなきゃ、どうしてこいつらをつかまえて来られる?」
「そうか。そうか。そいつをきいて俺も安心した。
 それなら、もう三蔵は俺たちの胃袋に入ったも同然だ」

金角大王はすっかり上機嫌で、
早速、部下に命じて酒宴の用意をさせようとした。
「いや、待ってくれ」
と銀角はおしとめた。
「酒宴もいいが、
 その前に孫悟空を片づけてしまおうじゃないか。
 その方が安心してご馳走にありつける」
「それもそうだが、どうやって片づける積もりだ?」
「誰か手下の者に
 我々の武器を持って行かせればいいだろう」
「我々の武器って?」
「俺の紅葫蘆と兄貴の玉浄瓶さ。
 あの二つを持って行って、山の項上へ登り、
 底を天に向け、口を地に向けて孫悟空と呼べばいい。
 もし奴が『おう』とか何とか答えれば、
 忽ち中へ入ってしまう。
 その上に例の太上老君急急如律令のお札を貼っておけば、
 あとは溶けるのを待つはかりじゃないか」
「うん。そいつは名案だ」

二人は早速、精細鬼と伶俐虫という二人の小妖怪を呼ぷと、
それぞれに意を含め、武器を持たせて現場へ行かせた。

一方、須弥山、峨眉山、泰山の下敷きになった悟空は、
気がついた時はもう身動きが出来なくなっている。
「ああ、お師匠さま」
と彼は思わず大声を張りあげた。
「俺がこうなったからには、あなたももうおしまいだ。
 三蔵内閣もここに至って野垂れ死だ。
 潔くあきらめて下さい。男は諦めが肝心です。
 しかし、それにしても悪を卒業して
 ようやく善を行おうとした途端にこんな目にあうとは、
 神も仏もあるものか。
 やっばり天界で適当に汚職をやったり、
 議員手当のお手盛り値上げをやっていた方が
 生命が長かったな。
 まあ、いいさ。くよくよすることはないさ。
 俺は五行山であなたに助けられたことを
 いまも忘れちゃいないよ。
 あなたが死んだら、坊主になって、
 いや、もう既に坊主だが、
 せいぜいあなたの冥福を祈りつづけるよ」

言っているうちに何となくセンチメンタルな気分になって、
涙がこぼれおちてくる。
「畜生。ああ。どうしてこう泣けてくるんだろう」

涙はいつか大河をなして、山の裾を流れおちて行く。
ただならぬその音に気づいて、
「おいおい。あれをきいたか?」
と山神や土地神がよりあつまってきた。
「一体、俺たちは誰を下敷きにしているんだろう?」
「それがどうも斉天大聖らしいんだ」
と泰山の山神が言った。
「へえ? そいつは大へんだ。
 斉天大聖といえば、
 天界荒らしのあの孫悟空のことだろう。
 五行山の下に五百年下敷きになっても
 まだ死ななかったのだから、
 もしあれに出て来られたら、
 我々は軽くても左遷、悪くすると兵隊にとられて
 シベリアあたりにやられるぞ」
「じゃ、いっそ知らぬ顔の半兵衛をきめこんでしまおうか」
「いやいや」
と泰山の山神が言った。
「死ハ鴻毛ヨリ軽ク、義ハ泰山ヨリ重シ、
 というじゃないか。
 孫悟空はいま三蔵法師の護衛をして
 西へ行くという大義名分があるんだから、
 かれをいつまでも下敷きにしておいちゃ
 泰山の名に恥じる。
 知ラザル者ハ罪知ラズというから、
 これから皆で行って、
 放してやる代りに我々を殴らないように
 あらかじめ話をつけようじゃないか?」
「放してやった上に殴りつけるなんて、
 そんな理不尽なことがあるものか」
「あんたら、ご存じないのか。
 孫悟空の如意棒は一名泣き棒といって、
 一ふりふられたら、本人は泣くひまがないが
 家族の者が一生泣かされるという剣呑な兇器なんだぜ」

仕方がないので、山神、土地神は内心びくびくしながら、
悟空のところへぞろぞろとおりて行った。
「もしもし、あなたは斉天大聖で?」
「俺に何用だ?」
と悟空は目を怒らせて言った。
「実は我々は須弥山、峨眉山、泰山の山神と土地神ですが、
 まさかあなた様を下敷きにしているとは
 露知りませんでした。
 いましがたお声をきいて、
 こりゃとんだことになったと
 皆であわててこうしてやってきたのですが、
 いますぐ山をどけますから、堪忍して下さいますか?」
「早くどけてくれ」
「どければ、本当に許してくれますか?」
「許してやるから、早くどけろ」

そこで土地神と山神が呪文をとなえて、山を動かすと、
悟空は素早くとび出してきた。
見ると、その手には如意棒が握られている。
「やい。尻を出せ。一人二つずつ蹴りとばしてくれる!」

土地神、山神は驚いて、
「許してくれるといったから、
 出してさしあげたんじゃありませんか?」
「何をぬかすか。大体、お前ら、この俺をこわがらないで、
 化け物のいうことをきくとは何事だ」
「そんなことをおっしゃっても、
 あの魔神はとても勢力があるんです。
 あれが呪文を唱えると、我々は蓮花洞へ
 参勤交代をやらないとならないのですから」

化け物が山神、土地神に参勤交代をやらせているときいて、
悟空は二の句がつげなくなった。
花果山の石から生れ、天下に名師を求め、修行を重ね、
七十二変化ならざるはなく、
世に斉天大聖と仰がれたこの悟空でさえも、
山神や土地神に参勤交代をやらせるような
大胆不敵な真似はしたことがない。
ああ、天よ。
そなたは孫悟空を生みおとしながら、また何故、
こんな妖魔をも生みおとしたりしたのだ。

悟空はしばしの間、三嘆していたが、ふと遠くを見ると、
ピカピカと光を放つものがこちらへ向かって近づいてくる。
「ありや何だ? お前ら、
 洞窟へ出入りしているのなら知っているだろう?」
「きっと妖魔の武器ですよ。
 あなたをやっつけに来たのかも知れません」
「そいつはちょうどいい。
 ところで奴らと交際しているのは
 どういう種頬の人間だ?」
「大抵は道士ですよ。
 もともとあの人たちは、
 太上老君を宗祖にいただいて金銀学会とやらいう
 新興宗教の団体をつくっている人たちですから」
「そうか。道理でさっき道士に化けたわけだ。
 よし、お前ら、もういいからとっとと帰れ」

悟空は揺身一変、忽ち一人の道士に化けると、
向こうからやって来る小妖怪を待った。

小妖怪どもは悟空の姿に気がつかない。
悪戯っ気を起した悟空は如意棒をそっと
二人の通る道へ伸ばしておいた。
すると、はたして二人は
足をひっかけて地べたにすってんころり。
「この野郎!」

起きあがって見ると、そこに道土が一人ねころんでいる。
「ふざけた真似をしやがるな。
 俺たちの親分があんたらを大事にしているんでなけりゃ、
 只でおかねえところだ」
「只でおかねえならどうするんだ?」
と悟空は笑いながら、
「あんたらの親分も道士なら私も道士、
 特別に歓待してくれるとでもいうのかね」
「何だってこんな道端にねころんでいたりするんだ?」
「あんたら若い者が面会に来る時は、
 一ころびころぷのが私んとこの慣わしだ」
「へんな慣わしだな、
 俺たちの親分は二両とることになっている。
 金で通用しないところを見ると、
 あんたはこの世界の人じゃあるまい?」
「いかにも、私は蓬莱山から参った」
「蓬莱山といえば、海島神仙の世界ではありませんか?」
「私が仙人でなければ、誰が仙人かね?」

見るからに悠然とした悟空の仙人ぶりに接すると、
二人の小妖怪は怒りを一変して
俄かに丁寧な言葉にかわった。
「これは、これは、仙人さま。どうもお見それ申しました」
「なあに。あんたらが見間違えるのも無理はない。
 仙人は俗界に足を踏み入れないのが当り前だからな」

悟空そう言って、カラカラと笑った。
「ところで、あんたらはどこから来た?」
「この向うの蓮花洞から参りました」
「で、これからどちらへ行かれます?」
「うちの親分の命令で、
 これから孫悟空をつかまえに行くところです」
「誰をつかまえに行くって?」

きこえなかったようなふりをして、
悟空はもう一度ききなおした。
「孫悟空ですよ」
「孫悟空って、三蔵法師についてお経をとりに行く
 あの孫悟空のことか?」
「ご存じなんですか?」
「いや、あのサルならよく知っている。
 傲慢無礼なサルで、私もあいつには腹を立てているのだ。
 何なら、私がお手伝いをして進ぜよう」
「折角ですが、それには及びませんよ。
 我々の親分が魔術で奴を三つの山でおさえているから
 身動きが出来ないでいる筈です。
 我々は親分の命令で奴を容れにきたのです」
「容れるって何に容れるんだね?」
「私の持っているのが紅葫蘆で、
 こいつの持っているのが玉浄瓶ですよ」
と精細鬼が言った。
「これを逆さにもって中に容れたいと思う奴の名前を呼ぶ 、
 もし相手が『おう』とか『はい』とか応じたら、
 忽ち中へ容れられてしまうのです」
「それからその上に太上老君急急如律令という
 お札を貼りつけておけば、
 間もなく溶けて骨も肉も見えなくなってしまうのですよ」
と伶俐虫は得意になってつけたした。
「へえっ、すごいものだね。
 前に私は蓮柁洞の親分は
 五つの兵器を持っているときいていたが、
 して見るとその中の二つというわけだね。
 どれどれ、ちょっと見せて下さらぬか?」

言われると、二人とも自慢をした手前、
嫌だと断わるわけには行かなくなった。
二人からそれぞれの名器を手渡された悟空は、
「ウム。素晴らしいものが手に入ったぞ。
 俺が俺の尻っ尾を一ふりして一風吹かせれば、
 この二つの武器は立ちどころに俺のものだ」

しかし、またこうも考えなおした。
「待て待て。
 人の好意につけ込んで盗むのは白昼強盗にも等しい行為、
 このまま失敬したとあっては孫悟空の名がすたるぞ」

そこで、折角、手に入った二つの名器を
また二人にかえすと、
「ところで、
 あんたらは私の宝物を御覧になったことはありますまい」
「どういう宝物でございますか。
 ここでお会い出来たのも何かのご縁。
 是非一度拝ませて下さい」
「よしよし。では見せて進ぜよう」
と、悟空はニヤリと笑った。

2000-12-01-FRI

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