毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第3巻 出たり入ったりの巻
第六章 金銀魔多し

一 八戒爼上にのぼる

平煩山の蓮花洞は、
人も知る金角大王、銀角大王の根城である。
「な、銀ちゃん」
と金角は思い出したように言った。
「俺たちがこの前、
 山の中を見てまわってからどのくらいたつだろうか?」
「もう半月くらいにはなるよ」
「そうか、もうそんなになるか」
と金角は顎ひげを撫でまわしながら、
「じゃ今日あたりまた見まわりに行ってくれぬか」
「どうしてまた急にそんなことを言い出すんだね?」
「ハハハハ……」
と金角はひとり笑い出した。
「お前には話をしなかったが、
 唐の三蔵法師という坊主が家来三人を連れて、
 西方へ行くとやらで、
 そろそろ今日あたりこの辺を通りかかる筈だ。
 そいつがいたら、つかまえてきてもらいたいんだ」
「何だって妨主をつかまえるんだね?
 人間ならもうそこに何人もつかまえて来ているんだから、
 当分、食い料に不自由しないじゃないか」
「お前は知らないんだ。
 むかし俺が天界から追われてここへおちのびて来る途中、
 世間で三蔵法師は金蝉長老の生れ変わりだという噂を
 耳にしたことがある。
 三蔵が金蝉の化身なら、
 あれは天下広しといえども二人といない天下の珍味、
 一たび味わえば、七十五日はおろか、
 いついつまでも生きながらえることが出来るぞ」
「そいつは本当かね」
と銀角は目を丸くして言った。
「もしそいつが本当なら、
 何もこうして苦行の数々を重ねていることはあるまい。
 よしッ。ひとつ俺が行ってふんづかまえて来よう」

早くも立ちあがろうとする銀角の腕を抑えながら、
「待て待て。どうもお前は気が早すぎるよ。
 ここに三蔵一家の絵姿がある」

そう言って金角はかねてとりよせておいた三蔵、悟空、
八戒、悟浄の似顔図を出して持って行くようにと命じた。
それを受けとると銀角は
早速三十名ほどの部下をひきつれて、洞門を出た。

その行列が向うから歩いてくるのが八戒の目にはつかない。
何しろ八或は悟空にあとをつけられていることばかり
気になって、無我夢中で走り続けているのだ。
「おい。あそこから走ってくる奴は誰だ?」
と銀角が大きな声で叫んだ。
やっと相手に気づいて顔をあげた八戒は
思わずギョッとなった。
「これはえらいことになったぞ。
 お経をとりに行く者だと言えば、
 つかまえられてしまうかもしれない。
 仕方がないから、
 タダの通行人だということにしておこう」

小妖怪どもがその通り報告に及ぷと、
まわりで他の者ががやがやと騒ぎはじめた。
「大王。あの坊主は
 どうも絵図の中の猪八戒に似ているようですよ」
「そうか。絵図をひろげて見せろ」

驚いたのは八戒である。
「この頃どうも元気がないと思っていたら、
 いつの間にか俺の影を盗みとられていたんだな」

銀角は絵図を前にすると、
「この白馬に乗ったのが三蔵、
 あの毛むくじゃらなのが孫悟空……」
「ああ。エンマさま」
と八戒は思わずロの中で叫んだ。
「俺はもう観念したよ。
 犠牲になろうと、ベーコンになろうと、
 お前さんの思召し次第だ」

しかし、銀角はなおも熱心に絵図に見入っている。
「この黒くてひょろっとしたのが沙悟浄で、
 口が長くて耳の大きいのが、ウム。これが八戒だな。
 どれどれ」

八戒あわてて口を懐の中にしまい込もうとしたが
間に合わなかった。
「やい。口をちょっとこっちに出して見せな」
「いま身体の具合が悪くて口を出すのも思うに任せないよ」
と八戒は懐中からもぐもぐ言った。
「よし。それなら鈎でひっかき出せ」
「冗談いうな」

あわてて八戒は口をとがらせた。
「見たかったら見せてやるぞ。とくと拝見するがいい」
銀角は八戒の姿を認めると、
さあっと太刀を抜いて斬りかかってきた。
八戒はそれを熊手でうけとめるや、
「坊や。無礼ではござらぬか」
「ハハハハ。お前は出家ではなくて家出の方だろう」
「おや。お前は若いのになかなかわかりがいいね。
 何で俺が家出したことがわかる?」
「そりゃわかるさ。
 お前は熊手を使っているじゃないか。
 大方、どこかの家で働いていたのを
 途中から失敬して逃げ出してきたんだろう?」
「なるほどね。アッハハハハ」
と八戒は笑い声を立てながら、
「お前のお父さんのこの熊手は、
 同じ熊手でも只の熊手とは熊手が達う。
 いざ。その昧を見せてくれよう」

いきなりふりあげた熊手を
銀角は手に捉った七星剣でハタリと受けとめた。
二人はそれから山中狭しとはかりに縦横に暴れまわったが、
二十回わたりあってもまだ勝負がつかない。
根は臆病でも破れかぶれになると、八或は滅法に強い。
その猛男ぶりには銀角大王もたじたじとなったが、
一対一では埒があかないと見るや、
「者ども、かかれ」
とうしろをふりむいて叫んだ。
三十人が一人ずつかかってくるならまだしも、
一せいに押しよせて来たので、八戒のあわて方といったら、
三十六計逃げるに如かずとばかりに、
敵に背中を見せて逃げ出したのはいいが、
その途端に路傍の籐に足元をすくわれて
そのままドッと倒れてしまった。
「それッ。野豚を生捕りにしたぞ」

可哀想そうに猪八戒は毛をひっばられたり、
耳をひねられたり、尻っ尾をふんづけられたり、
さんざんのていたらくで
蓮花洞へとひき立てられて行ったのである。
「兄貴、早速、一匹生捕りにしてきたよ」

意気揚々と洞門をくぐると銀角は言った。
「どれどれ」

金角は大急ぎでとび出してきたが、猪八戒の姿を見ると、
「これは人違いだ。この坊主じゃ何の役にも立たん」
「役に立たん坊主なら放しておやりなさい」
と八戒すかさず嘴を入れた。
「役に立たねえ野郎は
 人間のうちにも入らねえというじゃないか」
「いやいや、
 役には立たんからといってこのまま放すことはない」
と銀角は言いかえした。
「こいつを裏の池につけて、
 毛がぬけるのを待ってから塩漬けにしよう。
 天下の珍味というほどではないが、
 酒食には欠くことの出来んもんだからな」
「やれやれ」
と八戒は思わず大きな溜息をついた。
「えりにえらんで、
 食通のお化けに出食わすとは俺もよくよく運の悪い男だ」

2000-11-29-WED

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