毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第3巻 出たり入ったりの巻
第一章 まあまあ、丸く

二 甘 露 水

さて、三人の星は祥光に乗って五荘観へとやって来た。
鶴のなく声が上空からきこえてくるので、
仙童が仰ぎ見ると、
雲のたなびくあたりから三人の老星がおりてくる。
「お師匠さま。海上の三星がおいででございます」

童児が知らせに入って行くと、
三蔵法師と閑談をしていた鎮元大仙は
すぐに迎えに出てきた。

八戒は福禄寿が打ち揃っておりて来たのを見ると、
「やあやあ。今日はオメデタイのが三人そろって来たぞ」

そして、一番手近にいた禄星の袖をつかまえると、
「しばらく見ないうちに
 見違えるほどハイカラさんになったな。
 この粋なセビロも時間の浪費をやって稼いだのか?
 しかし、何だってシャッポーをかぷらない?」

自分の頭にかぷっていた僧帽を脱ぐと、
いきなり相手の頭の上にのせて、
「アッハハハ。加冠進禄とはこの通りこの通り……」
「このロクでなし奴!」
と禄星は僧帽をはねのけながら、
「今は無帽無宗教無思想の時代だってことを知らないのか。
 お前のように千篇一律、
 身を恋うる歌ばかりうたっているから、
 いつまでたっても浮浪者の仲間から足を洗えないのだ」
「俺が浮浪者ならお前さんたちは河原乞食だよ。
 それ、福は内、ひょうロクだま、弁当、寿し、饅頭、
 サイダにラムネはいかが?」
「こらッ」
と奥から出て来た三蔵が怒鳴りつけた。
三蔵は八戒を追っ払うと、
あわてて襟を正して三人の老星を迎えた。

三星は鎮元大仙に迎えられ、一別以来の挨拶をすますと、
早速、孫悟空に頼まれた要件をきり出した。
「孫悟空が蓬莱島まで行ったのですか?」
と大仙はきいた。
「ええ、何でもお宅の大事にしていらっしゃる人蔘果の樹を
 傷つけたとかで、
 私どものところへ枯木に花を咲かせる方法はないかと
 ききに参ったのですが、
 生憎と私どもにはそんな処方箋はございませんのでね」
 寿星がそういうと、福拉がそのあとをついで、
「それでどこかまた別のところへ行くように
 と言ったのですが、
 何でもお師匠さんが三日と期限をきって、
 それまでに帰って来なかったら、
 緊箍児経をよむとかで、大へん弱っていました。
 真剣になって建直しに奔走しているようですから、
 もう少し猶予を与えてやっていただけませんか?」
「ええ、大仙さえご承知下されば、
 私の方はもちろんかまわないのですが……」
と三蔵はすっかり恐縮している。

一方、三星に別れた悟空は蓬莱仙境をあとにすると、
今度は方丈仙山へとやって来た。
ここも眺めの美しいところであるが、
とても風景を観賞しているだけの精神的余裕がない。
雲をおりると、
山の中の絶壁のすぐ下に東華帝君の仙宮の廂が見えた。
折しも帝君は家のそとで、
咲き乱れた蘭の花を眺めているところであった。
「こんにちは」

そはで声がするので、驚いてふりむくと、
悟空が立っている。
「これは、これは。
 誰かと思ったら斉天大聖じゃありませんか。
 本当にお久しぷりですね」

東華帝君は懐しそうに悟空の手を握ると、
ひっばるようにして自分の家の中へ連れて入った。

外から見た時はそれほどとも思わなかったが、
中へ入って見ると意外に豪壮な宮殴である。
帝君はすぐに弟子に命じて茶の用意をさせた。
「今日お伺いしたのはほかでもない、
 実はあなたに折入って
 お願いしたいことがあるのです……」

悟空がきり出すと、
「私に出来ることなら、
 もちろん喜んでお手伝いさせていただきますが」

しかし、悟空が人蔘樹を倒した経過を喋り出すと、
帝君は色をなして、
「何という向う見ずなことをしでかしたのです?
 鎮元大仙といえば、与世同君と世間から呼ばれている
 地仙の始祖じゃありませんか。
 あの人の人蔘果を盗んだだけでも大へんなのに、
 その上、樹まで根こそぎにしたんじゃ
 とてもタダじやすみませんよ」
「おっしゃる通りです。
 逃げるだけ逃げてみたんですが、
 奴は私たちをハンカチか何かのように
 袖の中へしまい込んでしまいましてね、仕方がないので、
 あの樹を元通りにする方法はないものかと
 ご相談にきたわけです」
「そんな方法が私にあるものですか?」
と帝君は言った。
「私の持っている太乙還丹は
 死んだ動物を生きかえらせることは出来るが、
 植物ではとても駄目だ。
 柿木に花を咲かせる術なら、
 まあ、花咲爺さんのところへでも行って見るんですね」
「あなたにも方法がないんだったら、
 これで失礼しましょう」

帝君はせめてお茶を一杯とひきとめたが、悟空は、
「さきを急ぎますから」
と、また雲に乗ると、今度は洲海島へとやって来た。
洲は人も知る世捨人の世界である。
ここには洲九老といって、
ヒゲのコンクールに出れば
さしずめ団体優勝間違いなしの美髭の老人が、
酒を飲んだり歌をうたったりして
名誉や富貴と無関係の生活を送っている。

悟空が島へ到着した時も、
九人の老人は酒盛りの最中であった。
「ご老体は相変らず
 無事息災の日を送っておいでのようですな」

九老は悟空の姿を認めると、
「貴公だってもし天宮で反乱を起しさえしなければ、
 今頃は僕らより平穏無事の生活だっただろうよ。
 ところで近頃、景気はどうだね?
 やっと改心して西方へ巡礼に出かけた
 ときいてはいたが……」
「それがとんだことになったのですよ」

悟空が人蔘樹の話をはじめると、九老もびっくり仰天して、
「またしてもバカなことをしでかしたものだ。
 儂らの力ではどうにもならぬ。
 バカは死ななけりゃなおらんというが、
 貴公は不死身ときているから、手のつけようがないな」
医者はおろか神仙にも見捨てられた悟空は、
やむを得ず洲を離れて、再び東洋大海へ出た。
この道を真直ぐ行けば、南海落伽山にはそう遠くない。

いつも困ったことがおこると、落伽山へ相談に行く彼も、
今度ばかりはなることならそれを避けたかったのだが、
やはりそうは行かなかった。
万策つきた今となっては、観音菩薩に叱りとばされても、
その袖にすがりつくよりほかないのである。

程なく悟空がやってくるだろうことを
オールマイティ観音菩薩は既に知っていた。
そこで今は守山大神になったかつての黒大王を
紫竹林の入口まで迎えにやった。
「おい、孫悟空」
と呼びかけられたので、足をとめると
かつての黒風洞の化け物がすぐ目の前に立っている。
「俺を呼び捨てにするとは何ごとだ」
と悟空は声を大にして叫んだ。
「あの時、もし俺が観音菩薩の顔を立ててやらなかったら、
 今頃、貴様は黒風洞の
 シカバネになっているところではないか。
 あの時のことを思えば、
 俺のことを大恩人と呼んでもよいだろう」
「ハハハハ……」
と守山大神は笑いながら、
「君子は他人の旧悪をあばかず、というじゃないか。
 観音さまに言いつけられて、
 貴様を迎えに来たところなんだよ」
「ふむ。すると観音さまは今日、
 俺がここへ来ることを承知していると見えるな」

悟空は機嫌をなおすと、
守山大神のあとについて紫竹林の中へと入って行った。
「悟空や」
と観音菩薩は彼の顔を見ると、素知らぬ顔をしてきいた。
「三蔵法師は今どこまで行ったかね?」
「ハイ、只今、
 西牛賀洲の万寿山にさしかかったところです」
「万寿山には五荘観というところがあって、
 鎮元大仙が住んでいる筈だが、尋ねて見たかね?」
「それが観音様もご存じの偉い親分だと
 知っておればよかったのですが、
 その辺のインチキ新興宗教の
 教祖だとばかり思っていたものですから、
 あの人の人蔘樹をひっこぬいてしまったのです。
 そうしたら、お師匠さまを人質にとられて、
 先へすすむことが出来なくなってしまいましてね」
「色と恋の区別もつかないタワケとはお前のことだ」
と菩薩は怒鳴りつけた。
「あの人蔘樹は天地開闢の霊根で、
 あの鎮元大仙には私も一目おいているんだぞ」
「本当に私はそれを知らなかったのです。
 知っておれば、勿論、
 手を出したりなんかしませんでした」
「嘘をおっしゃい。
 知っておれば、きっと余計盗む気になっただろう」
「いや、八戒が悪いんです。
 八戒の奴は食い意地の張った男で、
 奴がさかんに私を焚きつけたのです」
「それで八戒の非をかくすために、
 直接、私のところへは来ないで、
 三島十洲をかけまわったというわけか。
 お前はなかなか友達思いなんだね」

どうも何もかも見抜いてやがる、
これ以上理窟をいうのも面倒だから謝っちまえ──
と悟空は思った。
「いや、いつもへマをし出かして
 菩薩さまに迷惑をかけ通しなので、
 なるべくなら自分で片づけようと思ったのです。
 でも枯れた木をもとに戻すことは
 誰ひとり出来ないというし、
 もとに戻さねは、お師匠さまをかえしてくれないし、
 ひとつお願いですから、
 どうかもう一度力をかして下さいませ」
「私はかつて太上老君と賭けをしたことがあるよ」
と菩薩は微笑を浮べながら言った。
「いくらあなたでも枯木をもとに戻すことが出来ないだろう
 と言ってね、
 私の柳を持って帰って煉
 丹炉の中でからからにしてからかえしてよこしたんだ。
 それを私がこの花瓶の甘露水の中へ挿しておいたら、
 一昼夜でまたもと通りになったね」
「へえ」
と悟空は目を丸くしながら、
「それで賭け金はいくらだったのですか?
 一万円? 十万円? もっと多い?
 へえ、それじゃ観音さまも
 税務署に知られない臨時所得があったんですね」
「バカ猿め」
と菩薩は相好を崩して笑いながら、
「人に迷惑をかける時は多くの人にかけるよりも、
 一人にだけかけた方がいいってことを
 お前は知らないと見えるな。
 迷惑をかけられる人けロでは迷惑だ迷惑だとポヤいても、
 自分一人だけが頼りにされていると知れば、
 案外いやな気持がしないもんだよ。
 だからさ、お前たちのような中小企業は
 何軒もの銀行と取引をするよりも、
 一軒とだけ深い仲になるに限るね」
「ハイ、わかりました」
と悟空はおとなしく頭をさげた。

頼まれれば、そこはやはり菩薩である。
早速、ミコシをあげると、手に例の花瓶をもち、
白い鸚哥を先頭に立てて、
悟空のあとを追うようにして万寿山へ向った。
「観音菩薩がおいでだぞ」

一足先に五荘観についた悟空が叫ぶと、三星をはじめ、
鎖元大仙、三蔵法師の師弟はあわてて迎えに出た。
見ると、菩薩が雲の中に立っている。
「観音さまがあなたの人蔘樹を癒しに来て下さったんだ」
と悟空は鎮元大仙に向って言った。
「これはこれは」
と大仙は大いに恐縮して
「遠路をわざわざご足労願ってまことに相済みません」
「いやいや」
と菩薩は言った。
「三蔵は私の弟子でね、
 そのまた弟子の悟空がやったことですから、
 私としては知らぬ顔も出来ません」
「観音菩薩もそうおっしゃるのですから」
と三星が脇から口出しをした。
「ひとつ庭へおいで願ったらいかがです?」

早速、庭への道が掃き清められ、
大仙が案内役に立って、一同は裏庭へ出た。
なるほど人蔘樹は横倒しになって、
根は露出し、葉はおち、枝は枯れたままになっている。
「悟空や。手をお出し」

言われた通り悟空が左の手をそっと出すと、
菩薩は柳の枝で花瓶の中の甘露水をつけて
掌の中に起死同生のしるしを描き、
「それをあの樹の根のところへ伏せてごらん」
と言った。

悟空が握りしめた拳を樹の根の下に伏せると、
忽ちそこにコンコンと泉が湧いて来るではないか。
「この泉の水を樹の頭から根まで
 くまなくかけてやりなさい。
 そうすれば、生きかえりますよ」

大仙が童子に命じて水をかけると、
悟空と八戒と沙悟浄が力を合わせて樹をおこして、
もとの位置に植えなおした。
菩薩はそのまわりを見てまわり、
水をかけそこなったところに更に水をやり、
口に呪文を唱えつづけた。
すると、間もなく枯木に緑が蘇り、
やがて鬱蒼たる老樹のむかしが再現したのである。
「やあ、この間は二十二しかなかったのに、
 二十三個実がなっているぞ」、
と清風と明月が叫んだ。
「歳月は常に最も公平な審判官さ」
と悟空は胸を張って言った。
「八戒の奴、俺が一個チョロマカシたようなことを
 宣伝するものだから、
 世間から汚職の大家のように誤解されてしまったが、
 これでやっと、青天白日の身になったよ」

人蔘樹がもとに戻ったので、
皆の者は大喜びで、早速、「人蔘果の会」が開かれた。
その喜びの方が逢かに大きかったので、
誰も悟空の盗み食いにふれようとしない。
盗み食いをした上に感謝をされて、
「だから言ったじゃないか」
と悟空はひそかに舌を出したことである。

2000-11-12-SUN

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